No.0220
最果ての地
♪行きはよいよい 帰りはだるい・・・
なんて歌があったかな。
とにかく日暮れが近い。急いで帰ろう。
今回はどこへ行ったのかと言うと、ばばる県の西、最果ての地である。
何時間も車に乗っているもんでお尻が四角になりそうだ。
寄り道しつつ
最後にたどり着いたのは
奥祖谷の二重かずら橋。
東祖谷のかずら橋は
観光客でにぎわうが
西祖谷のこちらには
あまり人が来ない。
なぜってそれはとっても遠いから。
このかずら橋には
男橋と女橋があり
手前の小さいのが女橋、
奥の大きい方が男橋。
日本三大奇橋の一つである。
一方通行の東祖谷と違い、
ここでは行ったり来たり
何度でも渡ることができ、
色々と自由に遊べる。
そしてもう一つ、東祖谷にはない乗り物(?)にだって乗れてしまう。
腕力が必要なので軟弱な貴婦人やチビッコどもは殿方と乗らねばならない。
私?私はゾウなので別に軟弱じゃないけど最後の一息はその辺のおっさんに引っ張ってもらった。
ロープを引っ張って手動で動くその乗り物とは・・・
「野猿」だ。
この野猿に乗って真ん中で止まると、
二重のかずら橋が上下に美しく並んでいる様を正面で見ることができる。
野猿から降りて川原に下りると、二重の橋を写真に撮ろうと試みる初老のおっさんに出会った。
「期待外れだよまったく。もっと木を刈り込んでくれないと橋が見えないじゃないか。
遠くからいい写真を撮ろうと来たのに全然絶景じゃないな。そう思うだろうねーちゃん。」
む。ばばる県を愚弄する気か。
この限界集落と言ってもいいような地で木を刈り込めと。
「野猿に乗れば二重の橋はごっついきれいに撮れるんでよ。おっさんどこから来たん。
大体、時期が悪いわ。そこまで言うならどして紅葉の時期にせなんだ。」
と、ばばる語で返事した。この無遠慮なおっさんは大阪から来たとのこと。
野猿をしきりに勧めたが何だかんだと言って乗ろうとしない。怖いのか。
岩場を跳んで遊びながら、
そんな受動的なヤツは
わざわざ外に出てこないでいいから
家で写真の写真でも撮ってろと思った。
一人で出かけてたまに誰かと話をしたら
これだもんなーと橋を渡りに上へと上がる。
私はゾウだけれども心配はご無用。
ちゃんとワイヤーが入ってるから
ちょっとやそっとじゃ切れないようになっている。
でも、こんなワイヤーが入ってたら
源氏の追手が来た時に
「わー切れない!!」
と平家の落ち武者がパニックにならないか
それが心配だ。
この奥祖谷、二重かずら橋は手前のかずら橋から1時間くらい走った所にある。
真っ直ぐ走ればいいのだがあまりに遠いので心配になって途中、その辺のおっさんに道を聞き、
奈良だの滋賀だのの車の後をつけた末、ようやくたどり着いたのである。
観光客は少ないかと思いきや
平家の落人の亡霊かと思うほど
ぞろぞろと歩いている。
昔、ばばる新聞に
こんな記事があった。
「とんびに最中を取られる。」
中年女性が最中を食べながら
橋を渡っていたところ、
とんびがやって来て
その最中を奪われたとのこと。
こんな小さな事件でも
新聞に載る平和な町、
それがばばる県。
しかしこの揺れる橋の上で
最中を食べつつ渡るとは
なかなかやるな
と思った記憶がある。
若年層と中高年は
黄色い声を出すのが
この橋のお約束事(?)なのに。
何にせよ、この橋の上で食べ物を食べないようにせねばならない。
この鳶は狩のスペシャリストだったので最中だけを盗ったけれども
へたくそな鳶だったらきっとケガをするはずだ。
大昔の新聞記事に思いを馳せていると
ガボッと足がはまった。
渡し木と渡し木の隙間から見える
緑色の渓流が光っていた。
いい天気だ。
でも隙間には注意が必要である。
しかしこんな隙間に足を挟むなんて
私はくの一にはなれそうにない。
橋を渡り切った後のお目当てはもちろんヲーターフォールである。
鮎の塩焼きや田楽の匂いをふんふんと嗅ぎながらヲーターフォールへと急ぐ。
その昔、平家の落人達が
この滝の前で琵琶を奏でて
昔の生活を偲び、慰めあったと
伝えられているのが
この滝が名づけられた所以だ。
滝の前の岩に腰をかけて
しばらく佇んでいると
冷たい風が吹いてきて
顔に一滴の水が落ちた。
平家の落人の涙だろうか・・・
なんて感慨に耽ってみるのも
いいかもしれないが
別に。滝のしぶきである。
かずら橋。
次回は紅葉の時期に決死の覚悟で来てみよう。
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