続続・よいこの1日  -

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09

30

23:49
Tue
2008

No.0415

帰国の日

最終日は朝から、宿の裏から伸びる小道を通って展望台へ行くのだと言う私に
G殿は自分も行った事がないので起こしてくれたら同行してもよいと言ってくれた。
この宿は皆、動き出しがゆったりなので自分だけ早起きしてしまったら
どうしようと心配していたところ、運悪く朝の6時に目が覚めてしまった。
2段ベッドの上から下のベッドを使っている、いわゆる"girl"の様子を窺ってみたところ
あっちを向いて寝ていたので自分ももう一度寝ることにする。
1時間後、また目が覚めてやはり下のベッドの住人を覗きこんでみたら
起きたばかりらしく、うーぃと伸びをしていた。
彼女がベッドから離れるのを待ってから自分も降り、身づくろいをして
隣の部屋で就寝中のG殿をていていと突付いて起こした。
いわゆる"girl"が、サンデーマーケットへ行きたいと管理人殿に告げて
いそいそと出て行くのをベランダの上から見送りながらG殿の準備が整うのを待つことにする。

展望台から
 展望台から町を見下ろす町は
 建物の凸凹がなかった。
 線を引いたように潔く一直線に
 空と町はすっぱりと分かれているのである。

 サンデーマーケットの方を見下ろして
 "girl"は今頃何をしているかと思ったが
 さすがにここまで高い場所からだと
 彼女を窺い見ることは叶わなかった。

KK観光の最後に、昨日バスターミナルから戻る際にタクシーから見えた
モスクをぜひとも見に行きたいとG殿に告げた。
既に訪れていたらしいがG殿は快く同行を引き受けてくれたので
連れ立ってバスに乗り、青いタマネギのついたモスクをバスで目指す。

モスク
ブルネイのモスクも改修中だったが
ここのモスクも同じく改修中らしく
モスクの上や側面にツブツブと
工事のおじさん達が張り付いていて
色の塗り替え作業をしている。
全部塗るのかと考えるだけでも
気の遠くなる作業である。

変な形の椰子の木の伸び方や塗り替えられているモスクは
白→クリーム色になるのか、或いはその逆かというような、
どうでもいい事を喧々囂々2人で議論しながらモスクの周りを1周する。
ちなみに何色になるのかについては、私が来年再度訪れてちゃんと確認するつもりである。

モスクから再び町へ戻って来ても出発まではまだ数時間の余裕があった。
一人で忙しなく走り回るのもエキサイティングでいいのだが
小さな町で多少ゆっくりと留まるのもまたいいものである。

これから何ヶ月も世界を周るG殿には「帰国の暁には我が町へ必ず寄るように」と念を押し、
宿の管理人殿には「また来年」と手を振って私は一人、宿を出た。
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09

29

23:10
Mon
2008

No.0414

言葉の壁

Mr.Mに5回くらい言われたことがある。
「バスの中では絶対に眠ってはいけないよ。」
これは、決して防犯上のためとかではない。
せっかく日中のバスで7時間もかけて移動するのだから
道中の村やプランテーションやキナバル山を見ながら行けということなのである。

職業病なのか、起床時間からチェックアウトタイムまで
細かく決めてくれたMr.Mのスケジュールに沿ってタクシーを拾い、バス乗り場へ向かったが
私がバス乗り場に着いた時刻は早過ぎ、バスが到着したのは遅すぎた。
バスのチケット売り場で働く、何を言っているのか皆目わからないじーさんの話に
炎天下の下でうんうんと頷きながらバスを待つこと1時間。
恐らく最初はボルネオの見所について語っていたようだったのだが
後半部分になると、自分がこの歳でこれだけ英語を喋ることができるのは
若い頃、当時殆ど誰も行けなかった大学に自分は行って勉強したからだ。
というような内容を言っていたのだと思う。
英語が達者なのはよくわかった。が、申し訳ない事に私は英語がわからないので
1時間も喋り続けた彼の話の1/3も理解できなかった。

乗って1時間と経たないうちに私は深い眠りに落ちていた。
時々は目覚めたものの、休憩所以外は殆ど寝て過ごしたわけなのだが
最後に目が覚めた私の目の前にあったのは
他の山とは明らかに様相の違う山だった。
誰に聞かなくてもキナバル山であることがわかり、
運良く目覚める事ができた幸運に感謝しながら山が見えなくなるまで
窓に張り付いてずっと見ていた。

キナバル山 キナバル山は4000m級の
 非常に高い山である。
 KKでお知り合いになった
 おじさん殿曰く、
 1000mの滝が落ちているとのこと。
 1000mって1kmってことですよねと
 聞いた時は結構疑っていたのだが、
 バスから見えた滝は本気で1kmくらいは
 あるであろう長い長い滝だった。
 おじさん疑ってすいませんでした・・・
 と心の中で呟いた。

かくして無事、KKに着いたわけだが着いたところは途方もないほど
一体ここがどこなのかわからない場所のバスステーションである。
こういう困った時はタクシーに乗るのが一番。

タクシードライバーは親切にもあそこへ行けここへ行けと名所を紹介してくれたが
特にオススメなのは美術館らしく、20分で行けるから連れて行ってあげようかと言われた。
しかし生憎私は、海外旅行先で博物館や美術館は訪れない人だ。
なぜならば英語の説明書きが読めないので行ってもちんぷんかんぷんだからである。
丁重にお断りすると、ドライバーは「そうだね。美術館は5時で閉まるから
今から行っても間に合わないしね」と言った。
私が乗り気になって行くと言ったらどうするつもりだったのだろうか。

G殿の滞在する宿を最後の宿泊先とするべく向かい、
小部屋の住人である管理人にドミトリーで1泊と伝えたところ、
「ベッドは一つあるが同部屋の人は全員"boy"である。
最初にあなたがシングル部屋として泊まった部屋にも一つベッドが空いており、
既に一人泊まっているが日本人の"girl"である。
値段はドミなら18リンギだが2人部屋は25リンギで高くなるけどそっちの方がいいんじゃない」
とのことなので、そういうことなら・・・と2人部屋に入ることにした。

荷物を置いて水シャワーを浴び、G殿と一緒にご飯に繰り出す際に
その事をG殿に告げると、以外な事実を知らされた。
「"girl"って・・・おばさんだよ。」
これを聞いた時私は、G殿は少しばかりお口の悪い殿方で
おばさんと言ってもきっと30代とか40代くらいのお姉さまが泊まっているのだろう
くらいに思っていたのだが、これは私が図書館で犯した過ちを彷彿とさせる事件であり、
小部屋の住人が"girl"と言った日本人は、実は50代~60代くらいの貴婦人だったのである。

"girl"であるという小部屋の住人と"おばさん"であるというG殿、
私の見解において、どちらが正解なのかは明言するのを避けることにしようと思う。
が、去年のブラジル旅行においてアマゾンツアーのガイドも
60歳をとうに回ったドイツ人のおっさんをホテルまで迎えに行く時に確か、
"あと一人、boyを迎えに行くよ"と言っていた。
"boy"や"girl"が一体どういう対象を指すものなのか、もう私にはわからなくなってきた。
私みたいなその辺の人が言うのは間違いであり
客を相手に言うのは正解であるというところなのだろうか。
英語ってむつかしい。
こんな事を長々と考えていても、英語なんて殆ど喋れないのだから私。
09

27

18:48
Sat
2008

No.0413

ラハ・ダトゥの人々

当初の予定では、タビンでのツアーを終えた後、
空港のあるラハ・ダトゥという町で1泊し、翌朝早朝発のバスでサンダカンという町へ、
そこでオランウータンを見た後その日の夜行バスでKKに戻る手はずだった。
が、サンダカンからKKまでのバスは混雑するため当日チケットがなかなか買えないとの情報を得た。
Mr.Mに聞いてみると、確かにサンダカンからKKのバスは混んでいる、
なぜならば今はラマダン中だからだとの返答を得た。
帰国日も迫り、どうしても2日以内にKKへ戻らなければならないため
間に合わないようであれば旅程の変更はどうしてもやむを得ない。
そこで私は、ゾウが見れなければラハ・ダトゥからKKへ戻り、
ゾウが見れたらラハ・ダトゥからサンダカン経由でKKへ帰ることに決めた。
旅の最大の目的はゾウなので、もしゾウが見れたら次回の旅は別の場所へ行くだろう。
だから多少忙しくなっても色んな町を見て回りたい。
だが、もし見れなければ見れるまでボルネオに通い続けようと決めたので、
その場合サンダカンは次の機会に回すことができると考えたからである。

ホテル前
 で、結局ゾウは現れなかったため
 私はラハ・ダトゥから直接KKへ戻ることにした。
 本当は夜行バスで帰りたかったのだが、
 Mr.Mが、晴れていたらバスからキナバル山が
 見えると朝発のバスを勧めてくれたので、
 キナバル山見たさに朝発のバスチケットを購入した。

ホテルに荷物を置き、早速ラハ・ダトゥ探検に繰り出すことにする。
たまたま廊下を通りすがったフロント業務をしていた女の子に
ラハ・ダトゥの地図が手に入る場所がないか尋ねてみるが「ナイ」とのこと。
どこかで買えないかと食い下がると「知らないっ」と言いながら彼女は走って逃げて行った。

仕方がないので適当に歩きながら水を買おうとスーパーマーケットに入って
物色していると変な日本語を書いたお菓子があった。
お菓子を手にとって一人で笑っていると店員に不審がられてしまったらしく
後をつけられたので慌てて水とパックジュースのコーヒーだけ買って店を出た。

海沿い
何度訂正されても私は
「川沿い。」と言ってしまう、
実は"海沿い"へ水上集落を見に行くと
ガラの悪い殿方集団に
「どこから来たんだ」と声をかけられた。

ヤクザみたいで怖いようとビビりながら「日本でございます」と答えると、
彼らは何かマレー語で相談し始めた。
ボスっぽく見える、一番派手な殿方が「こんな小さな町に何しに来たんだ」と聞いてきたので
「タビンにどーぶつ見に行ってました。」と震えながら返答した。
拉致されたらどうしようとドキドキしながら様子を伺っていると、
「ふーん。海の写真撮ってたんでしょ。たくさんお撮りなさいよ。」
ボスはそう言って仲間に何やらマレー語で話しながら去っていった。
拉致の相談をしているのではなく、どうやら彼は仲間に通訳していただけのようである。
ああよかったと胸をなでおろし、私もその場を立ち去った。

お腹が空いたのでご飯を食べておこうと、色々な屋台が並ぶマーケットをぶらついた。
ここではパン屋さんとかお菓子屋さんとかハンバーガー屋さんとか、
KKのマーケットでは見かけなかったお店が並んでいた。

バーガー屋の殿方
 屋台でモノを売る人々は
 近づいていくと
 買ってくれと言うよりも
 写真を撮ってくれと揃ってねだった。
 で、写真を撮ってあげると
 それだけで満足らしく、
 バイバイと手を振るのである。

何を食べようかと考えながらマーケットを歩いていると、ザルを持った8歳くらいの少年が
追い抜きざまに振り返り、「Welcome to Malaysia!!」と言ってスタスタと行ってしまった。
何てかわいい少年だと立ち止まって感動していたのだが、ポツポツと振り出した雨ではっと我に返り、
食堂で食べるのはやめにしてテイクアウトのできるものを買ってホテルに帰ろうっと。
と、再び物色しながら歩き始めた。
マーケットの外れで夫婦らしき二人が「コレいかがですか」と、
おずおず勧めてきたヤキソバのようなものを一つ頂くわと買ってホテルに戻る。
ヤキソバらしきものはとてもおいしかった。
が、食べている最中に何となく嫌な予感がした。
予感は的中し、このヤキソバもどきに私は見事、当たってしまうのである。

Mr.Mとは約束どおりにビールを飲みに行った。
その後、カラオケへ連れて行ってもらい、彼の歌を聴きながらビールを飲んだ。
カラオケは日本のような個室ではなく、ホステスのいないラウンジのような感じである。
お手洗いに立ち、トイレのドアの前ですれ違った青年にガシっと腕をつかまれた。
どこから来たのか、どうしてこんな何もない町に来ているんだとまたまた聞かれ、
しばらく話していると「お前はマリファナをやっているだろう」と彼は突然言い出だした。
滅相もないことだと首を振ったが彼は引き下がらず、ウソだ絶対持っているはずだと言う。
持ってる持ってないの言い合いをしているうちに、彼はどうしてもトイレを我慢できなくなったらしく
「よしわかった。後でゆっくり話そう」と言い捨ててトイレに駆け込んで行った。
私は急いで席に戻り、Mr.Mに「眠くなったのでホテルに帰りたい。今すぐ帰りたい。」
と告げ、まだ歌いたいと言う彼を急かしつつ早々に店を出たのである。
09

26

22:50
Fri
2008

No.0412

宿について―後編

5・6泊目であるタビンのロッジはとても広かった。
テラスにソファ、ベッドが2つ、机と椅子、部屋干し用の物干し竿、姿見、
その上、でんぐり返りが3回くらいできるスペースがあった。
今まではドアを開けるとベッド。ボロボロ。以上。という具合の宿だったにも関わらず、
皮肉にもこんなジャングルの中の宿がこの旅一番の豪華さを誇っていたのである。
そして最も感動をくれたのは、5日ぶりのお湯が出るシャワー。

しかし、気に入らなかった事が一つだけある。
早朝トレッキングから戻ると、ロッジはベッドメイキングの最中だった。
シーツを抱えた婦人とすれ違い様にこんにちはと挨拶を交わして自室に戻ると
彼女の忘れ物なのか、私の部屋のドアに合鍵が刺さっていた。
・・・何とも無用心な。
後で事務所に文句を言いに行こうと思いながら鍵を引き抜いた。

部屋へ入り、しばらくするとドアをノックする者があった。
開けるとさっきの彼女が立っていて、ドアに鍵が刺さっていなかったかと聞く。
もしかしてコレかと鍵を見せ、気をつけてくれないと困るじゃないかと注意した。
彼女は、隣にシーツを取りに行ってすぐに戻ってくるつもりだったから・・・
と、言い訳をしつつも素直に笑顔で謝った。
いつもの私であれば、笑ってないで反省している態度を見せろと激しく怒るところだが
あまりにも感じのよい話し方とかわいい笑顔の彼女に私はとても怒る気になれず、
「ハイどーぞ。じゃあまた後で・・・」なんて言いながら鍵を渡したのである。

まあ、こんなジャングルの中で数人の従業員と観光客以外の不審者が
仮に外から侵入したとしても恐らくサルくらいなものだろうと楽観的に考えたのだが、
高級リゾートを誇る割にツメの甘いホテルであるなと
鍵を放置した当の彼女ではなく、施設の運営体質に若干幻滅したのである。

さて、2泊以上一所に留まる際、まず最初にするのは洗濯だ。
いつものようにTシャツやら靴下やらをざぶざぶ洗っていると
蛇口から出てくる水の色が茶色であることに気づく。
しまったこの水で歯磨きしちゃったよ・・・といやーな気分になるも
次の瞬間にはまあ飲まなければ問題ないかと思い直した。
初めての海外個人旅行でサファリツアーに行った時に
水に当たるのが嫌でミネラルウォーターで歯磨きをした記憶がふと蘇り、
何だか私も強くなったものだなとしみじみ思った。

ロッジはマウンテンサイドとリバーサイドにそれぞれ10棟ずつあり、
私はリバーサイドロッジの10番、つまり拠点となるフロアから一番遠い端っこだった。
ロッジまでの渡り廊下としてボードウォークが伸びているのだが、
このボードウォークは雨に濡れるととにかく滑る危険極まりないものだった。
足の裏にバナナの皮か石鹸を貼りつけて歩いているようなもので
気をつけなければ、いや気をつけていてもとにかく激しく滑るのである。
いっちょまえに手すりがあるにはあるが、この手すりはもっと危険で、
かの恐ろしい"fire ant"が彼らの渡り廊下として我々と並んで歩いている。
よって手すりに捉まるという事は、ヤツに噛まれる事と
噛まれた拍子に滑って転ぶ事という、2つの痛いリスクを負わねばならない。
つまりここは、最も豪華にして最も試練の多い宿なのである。

タビンでの滞在を終え、私はラハ・ダトゥという小さな町に1泊する事にした。
飛行機で一足先にKKへ戻る学生2人を空港で見送り、
Mr.Mに予算を告げて探してもらったホテルは生憎部屋がいっぱいで泊まれなかった。
そこで、そのホテルの傍で一番最初に目に付いたホテルを訪れると
メニュー表を出してどれがいいかと聞いてきた。
シングルを頼むと、シングルはいっぱいでこれしかないとフロントの女の子が指したのは
クイーンサイズのベッドにエアコン付きの部屋で値段はシングルよりも10リンギ高かった。
一人であれば他所へ行くところだがMr.Mをこれ以上付き合わせるのは
申し訳ないと思い、じゃあそれでいいとシブシブ承諾した。

VENUS HOTEL1泊目のホテルも同じシチュエーションだったので
この国のホテルはどうしてシングルの部屋を
貸してくれないんだと腹が立ってきた。
彼らは当然の事のように一杯だというけれど
1泊目のホテルもここも人の気配が全くない。
しかもガイドブックにさえ載らないようなこの町で、
一体ホテルには誰が寝泊りしているのだろう。

後日、この胸の内をKKにいるG殿にこぼした所、
一人しか泊まれないシングルルームを
一人客に貸さないわけないでしょと笑われた。
確かにおっしゃる通り。

よって、この国のホテルには、シングルルームは1部屋とか2部屋ずつくらいしか
恐らく存在しないのだろうという結論に落ち着いたのである。
09

25

23:12
Thu
2008

No.0411

マッドテラピー

マッドボルケーノ

ダナンバレーに比べ、あまり認知度も高くなく
利用者も比較的少ないと聞いていた通り、
「タビンに行く」と言っても大概は「どこ?」と言われた。
飛行機で一緒になった、ダナンバレーに野生動物を見に行くという人々にさえ
「なにそれ知らないわ」と言われた。

そんなタビンを選んだ理由の一つにマッド・ボルケーノが見たいというのがある。
我々日本人メンバーは、Mr.Mの特別な計らいにより
初日と最終日の2度、ここを訪れることができた。

マッド・ボルケーノを目指して森の中をしばらく進んでいくのだが
毎晩の雨により足元が緩く、長靴を履いて泥道を歩く。
できるだけ地面の固そうなところを選んで歩いているつもりだったが
運悪く深い泥の中に足を突っ込んでしまい、抜けなくなった。
足が動かないので上半身をぐらぐらさせながら「たすけてー」とMr.Mを呼ぶと、
振り返ったMr.Mは、「・・・・・dancing?」と、言った。

さて、マッド・ボルケーノの傍には櫓(?)が立っており、マッド・ボルケーノを見下ろすことができる。
そして事前に希望を出しておけばこの櫓に泊まって動物を待つこともできるらしい。
Mr.M曰く、マッド・ボルケーノは地底でマグマが活動して泥が湧き出しているとのこと。
ただ、これは本物ではなくて泥を運んできて作った人工のものらしい。

マッドボルケーノ



 櫓を降りてマッドボルケーノに登ると、
 シカやイノシシやゾウの足跡、
 ヤスデの白骨(?)死体などがあった。
 そして、頂上の湿った一部分に
 水溜りや泥溜りがあり、
 ボコッボコッと音を立てながら泥が湧いている。
 
 泥に手を入れてみると
 とても柔らかく、底は深そうだった。
 Mr,Mに舐めてみなと言われたので
 手についた泥を少しだけ舐めてみると
 しょっぱかった。


この泥は塩分やミネラルが豊富で、動物達はそれを求めてこの泥を食べに来るそうだ。
ゾウも食べるのかと尋ねると、もちろんだとMr.Mは言ったので、
念のためもう一度舐めておいた。

マッドボルケーノ
泥の噴火には、丸くドーム型に盛り上がるものと
弾けるように泥が飛び散るものがあり、
ドーム型の写真を撮ってMr.Mに見せると
「よくやった。じゃあ次はアレを撮ってなさい。」
と、噴射型を指差した。

よしきたとカメラを連写モードにして
噴射型の噴火をジリジリと待っていると
Mr.Mはその隙に、他のメンバーの顔に
泥を塗りたくっていた。

慣用句ではなく本気で全員の顔に泥を塗った
Mr.Mは最後に自分の顔にも泥を塗り、
「ロッジに帰って顔を洗えば20歳は若返るぞ」
と、満足気に言った。

泥まみれの顔をした一行は元来た道を戻る。
夜も更けて、一年中いるというホタルを一つ二つと数えながら、
「飛行機のせいで私が遅刻している間、何してたの」と尋ねると、
Mr.Mは、「彼女達はサルを見た、雄が1匹と雌が3匹いたぞ」と答えた。
「いいなあサルか。本当に本当に見たのかい」と興奮しながら聞くと、
「見たよ、ねぇT殿。雄が1匹と雌が3匹だったよねぇ。」と、獣医大生のT殿に話を振った。
T殿が「えっなに?」と、顔をあげたのでMr.Mがもう一度、
「雄が1匹と雌が3匹のサル、見たよねぇ」とゆっくり言うと、
「あぁ。雄が1匹」と言いながらMr.Mを指し、
「雌が3匹」」と言いながら我々日本人一行を指した後で
「・・・ていう話でしょ?」と、私の方を向いた。
「そうそ・・・いや、僕達も確かに雄1匹と雌3匹だけど・・・でも。。。」
Mr.Mは、思った以上に高かった言葉の壁を前に頭を抱え込んでいた。

Mr.Mには大変申し訳ないことではあるが、我々日本人一行の英語力年齢は
マッドテラピーの力を借りずとも実年齢よりも20歳以上若い。
09

24

23:02
Wed
2008

No.0410

Mr.M

我々のガイドはMr.Mというマレー人である。
彼は大の日本贔屓で携帯の着メロはウルフルズの「バンザイ」。
トレッキングの道中も事あるごとにこの「バンザイ」を流しながら歩く。
ごくごく簡単な日本語を少しだけ話し、
動物や鳥の名前の日本語名を日本人客から教えてもらいながら日々勉強を重ねている。

私は旅行をする時、必ずトレッキングを旅程に入れるのだが
今回はいつになくガイドの説明が少ないようだなと思っていた。
同じグループで行動する日本人女子2人は東京で獣医学部に通う大学生で
私と同様に個人手配でやって来ているがマレー語はもちろん、英語も殆ど話せない。
が、さすが獣医学部だけあって動物の名前をよく知っており、
彼女達が出会った鳥や動物を日本語名で教えてくれるのでとても助かった。
もちろん、Mr.Mだって「イノスィシー(イノシシ?)」とか「ミドリハトー!(アオバトのことか?)」など
ちゃんと日本語を織り交ぜつつ教えてくれるが。

とにかく、私も彼女達もあまり英語ができないということから
若干日本語を解する彼が抜擢されたのだろうと思われるのだが、
「これはナニナニですよ」とか「マレー人はこれをこうこうして使います」とか
「これはとても珍しいです」とか、説明は一貫してこんな感じなのである。
彼のガイドは、「詳しい説明を英語でコイツ等にしてやったところで理解できないだろう」と
甘く見られているんじゃないかと訝しく思うほどに簡潔に済まされ、
何かといえば「OKデスカー!」「ホントカナーァ!」「ダイジョウブー!?」を大声で繰り返す。

big tree... ある朝、トレッキングの帰りに
 先を歩く欧米人グループが、
 足を止めて木の写真を撮っていた。
 撮っていたのは大きく立派な木で
 彼らのガイドはその木を指しながら
 何やら話をしていた。

 我々一向もその木の前で立ち止まる。
 欧米人グループは先へと歩き出した。
 これは何の木だろうか。
 と、ワクワクしながら眺めていると
 Mr.Mはニコニコしながらこう言った。
 
 「yes, big tree...」

 ・・・言いたい事はそれだけか。
 心の中で密かに悪態をついた。

が、3日間観察を続けているとどうも彼はベテランガイドではなさそうだということに私は気づいた。
ふいに虫の名前なんかを聞いたりすると他のガイドに聞きに行くということがままあるのだ。
そして、他の観光客との会話を聞いていると、どうやら英語も苦手のようである。
実は色んな事をよく知っているが説明できるだけの英語力がないのか、
単に知らないだけなのかは定かではないが、
我々が英語を理解できないからと話を端折っているわけではなさそうだ。
それは、ツアー最終日に日帰りでやってきたオランダ人のトレッキングに
特別に同行させてもらった事で確証を得る。
我々とこのオランダ人では何かガイドに違いがあるのか確かめようと
Mr.Mの説明に耳をそばだてて聞いてみたところ、
日本語単語がなくなっている分、彼らに対するガイドはより簡潔に短くなっていたのである。

しかしそんな彼は、他のメンバーが飛行機でKKへと帰っていく中で
一人だけガイドブックにも載っていない小さな町に残る私のために
安ホテルを探しKKまでのバスチケットの手配を手伝い、
その夜はビールまでおごってくれたとても優しい殿方である。
09

23

16:11
Tue
2008

No.0409

タビンの生き物達

高級リゾート施設であるタビンに滞在したのは
ボルネオピグミーエレファントに会いたかったからである。
たった2泊3日の行程で、しかも飛行機のせいで半日も遅れをとってしまった上に
施設に着く頃には激しい雨が降っている。
何だか幸先悪い出だしであるなと思っていたのだが案の定、
滞在中に私が見たものはゾウの足跡に雨水が溜まったもの、ゾウの糞、
現地人には「ゾウの耳」と呼ばれているという私の背丈よりも大きな葉を持つ植物くらいのものだ。
せめて何か生き物を・・・と思っても手軽に見られるのは虫やヒルだけ、
時々ブタオザルが木の上から私にお尻を向けているといった按配なのである。

去年訪れたアマゾンリバーでのジャングルトレッキングの際に
熱帯雨林に生息する哺乳動物はとてもシャイであり、いないわけではないが
見つけるのは大変困難であることを重々言われていたので
今回のジャングルにおいても早々お目にかかれるものではないとは思っていたが
せっかく来たのだし何か写真をと思ってみてもいるのは私の苦手な虫ばかり。
が、私はめげずに見たことのないでっかい虫たちを震える手で写真に納めることにした。

ヒル
 一番恐れていたのはヒル。
 森を歩いていると飛びついてきて
 服のちょっとした隙間から入り込んでくるとのこと。
 こんなナメクジみたいなのが・・・
 と思うだけで冷や汗が出そうだが
 腋の下や足の付け根など
 皮膚の柔らかい所以外では
 ただ這うだけで血は吸わないらしい。

トレッキングから戻りズボンを脱ぐと、ポトッと足の上にヒルが落ちた時は血も凍る思いをした。
ヒルが付いたときの取り除き方は教わっていたが
そんな事などアサッテの方角へ記憶も飛んでパニックを起こし、一人騒いでいたところ、
偶然にも指でビシッと弾いたのがよかったらしくヒルは足から外れて飛んでいった。
どうしても摘めないのでティッシュで掴み、外に置いておいて
ガイドのMr.Mが偶然尋ねて来た時にやっつけてくれと頼むと
危機を覚えた件のヒルは既にどこかへ去っていった後だった。

幸いヒルに血を吸われる事はなかったが、
ある晩のこと、昆虫を探してロッジの周辺をサンダルで歩いていると
突然刺すような痛みを覚えてまたまたパニックを起こして一人で騒いだ。
Mr.Mに助けられながらもぎゃんぎゃん喚きながら明るいところへ移動すると
私の足にはアリが噛み付いていた。
ヤツの名は"fire ant"と言うらしい。

ハムシヤスデ?

昼は昼でジャングルの中でトレッキングをしながら鳥を探し、サルを探し、虫を見つける。
夜は夜でロッジの周辺で懐中電灯を片手に灯りに集まる虫達を探し、案の定虫を見つける。

IMG_7937.jpg

山が好き、自然が好きと
偉そうに言っていても
私は虫がとっても苦手である。
そして爬虫類もまた、苦手。
動物園にはよく行くけれども
爬虫類コーナーは
一人で入ることはできない。
なぜってそれは
彼らが怖いからに他ならない。


「これはとても珍しくてガイド達でもなかなか見られない
貴重な動物だからホラ、もっと近づいて写真撮りなさい。」
なんて言いながら背中を押すMr.Mに、
「・・・ズームがあるからいい。」
と、私は足を踏ん張った。
それでも50cmの距離まで近づいた私のガンバリは評価に値するだろう。
危うく恐竜に食べられるかと思った。

タマヤスデIMG_8051.jpg

しかし、じっと彼らを観察してみたり後から写真を見てみたりしていると、
不思議な形をしていたり不思議な模様や皮膚を持っている虫や爬虫類というのは、
本当はとても美しい生き物なのではないかと思えてきたりもするのである。
09

22

22:55
Mon
2008

No.0408

タビンへの道

IMG_7973.jpg
プランテーションの中の
凸凹道を走って
辿り着いた場所は
タビン動物保護区である。
ここで、今回の旅の
最大の目的である
ボルネオピグミーエレファントを
探すのだ。

一緒に行動するメンバーは
日本人の女の子2人と
気持ちばかり日本語のわかる
マレー人のガイド、Mr.Mである。
彼は「朝日放送に出た事があり、
時々日本人に声をかけられる」らしい。
残念ながら私は
その番組を見てなかったので
彼のことは全く知らなかったのだが。

滑走路からは高さ2mほどのフェンスを隔てたすぐ傍に民家が並んでいるのが見えた。
まるで誰かの家かと見紛うほどの小さな空港に降り立ち、
その他人の家を「ごめんなさいよ」と横切るかのようにして外に出ると
迎えの人たちが数人、名前を書いた紙を持って立っていた。
自分の名前を探してみたが、私の名前を書いた紙を持っている人はいない。
迎えは来ていないのかとドキドキしていたら、
どこかのドライバーらしき長髪の青年が「もしかしてキミはタビンに行くのか」と問いかけてきた。
そうだと答えると、「タビン〇*▲~」と言いながら私のドライバーを読んでくれた。
他の人たちは全員ダナンバレーに行く中、タビンへ向かうのは
どうやら私一人だったようである。
彼だけ名前を書いた紙を持たず、手ぶらでやって来ていた。

ドライバーに、1本だけタバコを吸ってもよいかと尋ねると、
なんと彼は私を無視して車に乗り込んでしまった。
感じ悪いにーちゃん・・・と思っていると、先ほど「タビンか」と聞いてきたドライバーが
「いいよー」と言って私のドライバーにマレー語で通訳してくれた。
どうも私のドライバーは英語が話せないらしい。
トイレも行っておきたかったが伝えるのも面倒なのでそのまま出発した。
水分はあまりとってないしどうせ2時間くらいだから大丈夫だろう。。。

舗装された道路を10分ほど走ると、プランテーションの中を突き進む未舗装の道に入った。
車の前に乗せてあったカバーが車の振動でずれる。
ドライバーは30秒に1度くらいの頻度でカバーを直しながら運転を続けているが
ここからおよそ1時間は走るであろう道中、共通の言語を持たない我々に会話はない。
舌を噛みそうなガタガタ道、ぎゅっと結んでおくのと開けたまま走るのとどっちがいいかなと
口をパクパクさせながら私は無言の張り詰めた空気に耐えていた。

運転したりカバーを直したりドライバーの手があまりに忙しそうなので、
カバーが5cmほどずれたところで彼に先んじてカバーに手をかけ、
カバー直し係に名乗りを上げてみた。
すると彼は嬉しそうに笑い、その後チラチラとこちらに視線を送ってくるようになった。
車内の空気は一気に和らいだものの、しばらくすると彼の視線にいちいち答えるのが
面倒になった私は、プランテーションの写真を無意味に撮りまくることで
彼の視線から逃れる試みを始めた。
が、今度は写真を撮るごとに彼は車を減速させるようになった。
ガタガタ道のせいで写真がブレるのを察した彼の優しい配慮ではあるが
早くロッジに辿り着きたい私にとってみれば若干、大きなお世話である。
仕方なく私はカメラをしまいこんだ。

すると今度は、トイレに行きたくなってきた。
未舗装で曲がりくねったガタガタ道の振動はマッサージ効果抜群のようである。
停めてもらってその辺でしてやろうかと思ったりもしたが
自転車やバイクに徒歩の子供達と、この凸凹道を行きかう人間がまばらにおり、
運悪く人が通りかかったら嫌だしお尻に虫がとまるのも何なので
ここは耐えてロッジに着くのをひたすら待つことにした。
その後、スコールのような激しい雨のおかげで車のスピードが若干落ち、
このままでは凸凹道との戦いに負けるんじゃなかろうかと思いながらも
険しい表情で耐えに耐えてやっとの思いでロッジに辿り着いた。

ロッジで待っていたガイドMr.Mは、そんな私の苦労など露知らず、
ウェルカムドリンクをお飲みなさいとニコニコしながらジュースを持ってきて
施設の説明を延々と始めたのである。
09

21

12:23
Sun
2008

No.0407

after much delay...

空港から

 移動時間を短縮するため、
 ジャングルツアーの往路のみ
 飛行機を使って向かうことにした。
 バスを使えば費用は安く上がるが
 半日かかるところを
 飛行機ならば1時間弱で着くからである。
 が、それは大きな誤算だった。

寝坊しつつも7時のフライトで移動すべく、早朝5時に起きて空港に向かった。
空港で顔を洗い、身だしなみを整えてチェックインして搭乗時刻を待っていたのだが
あと5分で搭乗時刻というあたりでアナウンスが流れた。
どうも機体のトラブルで出発を11時まで延期することになったらしい。
聞き違えがないかその辺にいた日本人旅行者に間違いないことを確認した。
しかし困った。ツアーの迎えは9時に来るのに。
仕方がないので一旦外に出て、マックで絵葉書を書きながら時間を潰す。

11時前に再度搭乗口へ行き、日本人のじーさん二人組と
夫婦っぽい若い二人組と一緒に出発できるのを待った。
だが、11時を回っても飛行機は一向に飛ぶ気配がなく、
カウンターの人に聞いても「もうすぐだ」の一点張りで埒が明かない。
こんなことならバスにすればよかった、6時発のバスであればもうすぐ目的地に着く頃だ。
日本人のじーさんはマレーシアへ何度か来たことがあるらしく
国内線が遅れるのはよくあることで最悪、その日は飛ばずに翌朝になることもあると言った。
ただでさえ苦手な飛行機、時間短縮のために我慢して乗ろうというのに
時間さえも短縮できないなんてまったくどういうことだと段々腹が立ってきた。

ラハ・ダトゥ付近



クーラーのせいで寒くて凍えそうだし
こんなことなら払い戻ししてもらって
バスにすればよかった。
そんな事を考えながら待つこと1時間、
飛行機は12時になってやっと飛んだ。

飛行機の中で
くつくつと苛立ちながら、
マレーシアの国内線など
二度と乗るものかと
豆乳を飲みながらストローを噛み締めた。
09

20

18:41
Sat
2008

No.0406

a boy

ブルネイから戻った私は、宿に荷物を置いてから
日本人の殿方、G殿に会いに2泊目に泊まった宿を訪れた。

小部屋の住人である管理人に、「Mr.Gはいるか」と尋ねると、
「でっかい方かそれともちっさい方か」と聞かれた。
Mr.Gは2人いたのかと驚いたのだが、私の知人が果たしてどちらかわからない。
しばらく考え、彼女の身振り手振りからどうやらでっかい方は彼女よりも大きく、
ちっさい方は彼女より小柄であるようなのでちっさい方だと思い切って伝えたところ、
程なく、私の知人であるG殿が現れた。

後で彼にその話をするとMr.Gが二人いるのではなく、
日本人が二人なのでおじさんの方かG殿かという意味だろうとのことだった。
「名前なんて覚えてないだろうから適当に名前言っても大丈夫だよ」
タバコをきゅーっと吸い込みながら彼はそう言って笑った。
確かに、もう一人いた日本人のおじさんは大柄のでっかい人である。
ちなみにこの時、おじさんは仕事?で不在だった。

G殿はこれから図書館で英語のレッスンがあるとのことで
7時半に図書館の中で待ち合わせ、一緒に夕飯を食べに行く約束をした。

フィリピノ・マーケットフィリピノ・マーケットフィリピノ・マーケット

さて、約束の時間。
図書館までは難なく着いたが入り口がわからず中に入るまでに大変苦労をした。
で、やっと入り口を見つけて中に入るがどこにもG殿が見当たらない。
階段を上って2階でキョロキョロしていると
司書の女性があなたは図書館の人間かと言いながら慌ててやって来た。
どうやら私が通ってきたところは関係者以外立ち入り禁止の通路だったらしく、
警備員の人はこっぴどくしかられていた。

部屋の隅々まで探してもまったくG殿が見つからないため
1階のフロントで「日本人のboyを探しているが知らないか。」
と尋ねたところ、さすがは図書館司書らしく「・・・という題名の本ですか。」
と、平然とパソコンで検索しだした。
「いやいや日本人のboyがここで勉強してるんだってば」と言うと
フロントに座っている2人はどちらも知らないと首を振った。

どうしても見つからないので、警備員達を巻き込んで図書館中をぐるぐる歩き回っていると
先ほどフロントに座っていたおじさんが「おーい。boyがいたいた」と呼びに来た。
よかったよかったと彼の後をついていった先は、紙芝居や絵本が並ぶ子供コーナーである。
ナルホド、ここは確かに探さなかったけど彼は一体どんな勉強をしているんだ。
「ホラ、この子だろう」と彼の指差す先には、本棚の一角でうずくまって
熱心に絵本を読んでいる5歳くらいの男の子だった。
・・・違う。
「そうか・・・彼も日本人なんだけどね」と残念そうに肩を落としておじさんは歩き去り、
私は、"boy"はまずかったなと思いながら諦めて図書館を出た。

彼とはその後、運良く落ち合うことができたのだが、
いくら見かけが若く見えるからと言っても自分より年上の殿方を捉まえて
"boy"なんて言うのはやめようと心に誓った。

夕方の空フィリピノ・マーケットフィリピノ・マーケット
09

19

23:48
Fri
2008

No.0403

宿について―中編

3泊目はブルネイのユースホステル。
受付にはちっさいおっさんとでっかいおっさんがいた。
入っていくと、でっかいおっさんが飛び出してきて
「8000円はブルネイドルでいくらなんだ」
と、突然大声で聞いてきた。
これはテストだろうか。間違えたら泊めてもらえないのだろうか。
と、ドキドキしながら108ドルくらいだと答えると、
頭を抱えて「ノーぅ!!」と、叫んだ。
間違えたかなとビビっていると、どうやら楽天ショップでかっこいい靴を見つけて
欲しくなったが一体いくらぐらいなのか知りたかったらしい。
108ドルは彼には高すぎたようである。

話が逸れてしまった。
このユースホステルは殆ど利用者がいないようで
私の他にはアメリカ人を名乗る殿方に一人会ったのみ、
ドミトリーと言えども一人部屋である。
私は、女性立ち入り禁止の看板がある殿方用の部屋に通された。
クーラーはないと言われていたがちゃんとついていて快適である。
が、トイレ兼シャワールームは学校のトイレのように広い。そして汚い。
トイレについては一番水漏れの影響を受けてないところを使った。
シャワーは3つあったが一番マシだと思われるシャワーは水が出ない。
結局、和式トイレとユニットになっているところで水シャワーを浴びた。
和式トイレとのユニットバスなんて初めて見た。
シャワーの下には深さ10cmくらいでカビだらけの浴槽らしきものがあり、
この浴槽もどきの水捌けが非常に悪く、水がどんどん溜まってくる。
カビまみれの浴槽に溜まった水に足首まで浸かりながらのシャワーでは
お風呂に入っても何だかキレイになった気がしない。

ところで、私はブルネイを朝9時のフェリーで去らねばならなかったため、
チェックインの時に、翌朝7時にチェックアウトしたいとちっさいおっさんに告げてあった。
おっさんはじゃあその時間にボクも来ておくよと言ってくれたのに
翌朝になってみると、彼は来なかった。
一応7時15分までは待ってみたがどうしても来ないので、
仕方なく手紙を書いて管理人室のマットの下に鍵を隠して立ち去ることとなった。

ブルネイからKKに戻った4泊目は、2泊目の宿から数件隣の別の宿にした。
翌日は早朝フライトでゾウのいる動物保護区へと向かうため、
朝の5時におばさんを小部屋から引っ張り出すのは申し訳ないと思ったからである。
ここは24時間受付が開いていて、フロントは大変なべっぴんさんだった。
滞在客は私と欧米人カップルの2組のみで、
欧米人カップルは個別に部屋を取っていたので私はドミトリーにした。
ドミトリーなので宿代は2泊目の宿の約半額くらいになったが実質一人部屋である。
3つある2段ベッドの梯子を全部使って洗濯物を干した。
シャワーはお湯が出たが、非常に狭い洋式トイレの傍らについていたので
足を洗おうとかがむと、角度を考えねばトイレと顔がやけに接近する事になる。

とは言え、この宿は全体的にとっても清潔に保たれていて、
安らかに眠った私は寝坊をしてしまった。
合鍵で部屋を開けて入ってきたべっぴんの受付嬢に
「タクシー来たわよー」と揺り起こしてもらい、お礼を言うのもそこそこに
大慌てで宿を飛び出し、空港に向かったのである。
09

18

22:17
Thu
2008

No.0405

2人のアメリカ人

旅行をしていると、色々な人と出会う。
現地の人に助けてもらったりツアーに入ってガイドの人と仲良くなったり。
色んな国からの旅行者、特にシングルトラベラーは
長い移動時間の話し相手であり、目的地や気が合えば時に行動を共にする。
それでもやっぱり基本は一人きりである事が多いのだが
今回はむしろ、一人でいることの方が少なかった。

歯磨きを終え、部屋へ戻ろうとドアノブに手をかけた瞬間、
私は部屋の鍵を持っていないことに気づいた。
いつかはやるだろうと危惧していたがこんなに無人の宿泊施設でやってしまうとは。
階下の管理人室に行くと電気やクーラーはついているがドアの鍵が閉まっている。
ノックをしても返事はなかった。

他に人影がないか探して建物内を歩いていると早足の殿方が階段をおりてきた。
日本人ぽい風貌だったので思わず「すいませーん」と声をかけると
思いの外、「イエース?」という言葉が返ってきた。
そうか日本人じゃないのかとアセアセしながら
部屋の鍵を中に忘れて締め出された旨を伝えると彼は、
管理人は夕食に出ているが10時半に戻ってくるからそれまで管理人室のドアの前で待つように
みたいな内容の事を言った。と、思う。
早口だなーと思っていると彼は再び早足で歩き出し、施設の外へと出て行った。

管理人室の前の階段に腰をかけ、歯ブラシを握ってひたすら待っていると
浅黒い肌の男性がペットボトルと世界地図を持って通りかかった。
私以外にも泊まっている人がいるんだなと彼を見過ごすと、
どうやら彼も同じ事を思ったらしく、一旦は通り過ぎたものの戻ってきて
よければ隣に座ってもいいかと聞いた。
私は、ヒマなので別に構わないと答えた。

管理人が戻ってくるまでの話し相手を務めてくれた彼はアメリカ国籍のインド人、
真偽の程は定かではないがNASAでIT関連のエンジニアをしているとのこと。
仕事でオーストラリアに行った帰りに休暇をもらい、友人を訪ねてブルネイに来たのだそうだ。

特に話が弾んだわけではないが、鍵を開けてもらった後コーヒーを飲みに外に出た。
と、今度は施設自体が閉まってしまい、我々は再び締め出しをくらってしまう。
開いている門を探して彷徨っていると、夜中の0時過ぎにも関わらず
ベンチに座ってでっかいバックパックにもたれながら本を読む白人の青年がいた。
自称・NASAのエンジニアはこの白人青年と少し言葉を交わし、
彼が立ち去った後、私にそっと「彼は恐らくヨーロッパの人間だ」と耳打ちをした。

しかし残念ながらこの白人青年もまた、アメリカ人である。
なぜ私がそれを知っているのかと言うと、
翌日にブルネイからコタキナバルへと戻る途中で経由する
ラブアン島という場所で我々は再会し、
ラブアン島からコタキナバルへと向かう道中のひと時を共に過ごしたからである。
09

17

23:24
Wed
2008

No.0404

アシンメトリー

ブルネイへは早朝発のフェリーで向かった。
前日の夜、おいしい夕飯をお腹一杯食べさせてくれた上に
周辺の情報を色々と提供してくれた日本人の殿方2人に
お礼も別れも告げずに一人で宿を飛び出したのは朝の7時半頃だったか。

朝の6時に目が覚めて出て行きたい衝動に駆られた。
一応、服など着て荷物の整理をしてから部屋の外に出る。
窓の外は既に動き出しているが宿の中はまだみんな眠っているらしい。
ベランダに出てみたり玄関の南京錠を睨んでみたりしていると
ふいに電話のベルが鳴った。
件の小部屋から管理人のおばさんが不機嫌そうに出てきて受話器を上げる。
何か早口で喋って電話を切るとようやく私に気がついた。
こんな好機を逃す手はないと
次の瞬間、私は階段を駆け下りていた。
こうして私は船に乗り、次なる場所へと移動をしたのである。

慌しく出発し、半日のみの慌しい滞在をしたブルネイは
とても静かな街で、人がいないわけではないが歩行者はあまりいない。
そして、道路を横切ろうとすると信号の有無を問わず、
間違いなく車は止まり、渡らせてくれる。

ブルネイのカンポンアイール
 ただし、サルとボートは別である。
 水上集落を見ようと
 水上タクシーに乗ってみたところ、
 ほっぺたの肉が風になびくほどの速さで
 見事に疾走してくれた。

 そして、テングザルを見せてあげると
 ボートのおじさんが言ったので、
 水上ガソリンスタンド(?)で
 給油をしてからテングザルを求め、
 再び奥地へと向かった。

ちなみに、水上集落にはガソリンスタンドはもちろんのこと、
学校や警察にモスク、消防署なんかもある。
「じゃあ、スーパーマーケットは?」と、聞いてみると
「あるにはある。でも小さい店だから皆、買い物はボートで陸まで行くのさ」
ひもに吊るされた缶に燃料代を入れながらおじさんはそう説明してくれた。
お金を入れた後の缶が引き上げられていったので上の方に目をやると
ひもを手繰っているおじさんが「ボクの写真を撮ってくれ」と言ってピースサインをした。

さて、私が想像していたテングザルというのはメタボな体型で木にまたがり、
ぼーっと座っている鼻のでかいおっさんだったのに
そこにいたテングザルは木の上を縦横無尽に走っていて、
でっかい鼻が見えたかと思うとあっという間に高い木の枝の上の方に駆け上がってしまう。
歩行者のために一時停止するほど余裕のある人たちが住む町のサルは
観光客の冷やかしなど相手にできぬほど多忙を極めているらしい。

モスクボートから降りた私は
モスクを見ようと広場の中を通ってみると、
ウォーキング中のおじさんと出会った。
私のすぐ前を歩いていたその彼が
突然、後ろ歩きを始めたため、
歩く速さがほぼ同じだった我々は
等間隔を保ったままで向かい合って歩くという
何とも言えないひと時を共有するハメになった。

モスクの方からは何かの歌のようにお祈りの文句(?)がスピーカーを通して流れている。
その文句を聞きながら、私はモスクを目指して、おじさんはトラックに沿って
黙々と歩き続けたのである。
09

16

21:43
Tue
2008

No.0402

宿について―前編

KKに初めて降り立ったのは夜の10時半頃。
ホテルの予約を取らずに適当にメボシをつけておいた場所に
タクシーで向かうが、真っ暗な建物の前で降ろされた。
「・・・閉まってんじゃない?」
と、タクシーのおじさんは言った。
外に出て建物の周りをくるりと見て回ってくれたが
やっぱり閉まっていた。
どうするかと聞かれたが、雨も降っているし夜も遅いし
疲れているのでこの辺の空いてるホテルに行くと言って
タクシーのおじさんに別れを告げた。
あそことかあそことかホテルだよーと指で指し示しながら
おじさんは去って行った。

フロントが外から見える、入りやすいホテルを探して飛び込むと
そこには中国系のおじいさんが一人で座っていた。
シングルで1泊したい旨を伝えると、シングルは一杯でダブルしかないとのこと。
5秒くらい考えたが初めての場所で夜中に歩き回りたくないので
ダブルの部屋に泊まることにした。

部屋はとても清潔とは言えず、毛布に穴が空いていて
バスタオルはほつれて黄ばんでいる上に破れている。
クーラーはあるもののスイッチの傍にはヤモリが構えていて、
「クーラーつける?つける?」と聞いているみたいだ。
そしてシャワーはお湯がでなかった。

値段が割に合わないと感じた私は、翌日の早朝、
いつもならば観光に行くところを町の散策に充てて
昼前には部屋を引き払い別の宿に移った。

2泊目の宿の管理人は中年の女性、お出かけ時に斜めがけするポシェットが
彼女のチャームポイントの一つだと私は思う。
そして、今回の旅でお世話になり通した日本人の殿方二人とはここで出会うのである。

バックパッカー達が集うらしいドミトリーが中心の宿のようだが私は一人部屋をとった。
トイレやシャワーは共同でもちろんお湯もでないながら
昨日の宿よりもはるかに清潔でしかも値段は2/3になった。

2泊目の宿にて
ここに泊まった翌日早朝、
私はブルネイへと発つのであるが
その時に彼女はこの飾り棚のような
幅の狭い階段の上にある
収納棚みたいなドアから
眠そうに目をこすりながら出てきたのを見て
あの小部屋に住んでいたのかと
顎が外れるくらい驚いた。

彼女にはお子様達がいるのだが、家族総出でこの小部屋に住んでいるのかどうか、
小部屋の中は果たしてどうなっているのかといった謎の究明については
友人となったG殿に託しておいたので彼が立派に突き止めてくれると信じている。
09

15

22:44
Mon
2008

No.0401

紺碧の国

恒例の旅から本日、無事に帰国した。
更新が滞っていたのは旅のせいだけではないけれども
とりあえず備忘録として今日からまたしばらくは
旅日記を記していくのでお付き合い頂ければ幸いである。

さて、今回の渡航先はボルネオ島。
マレーシアのサバ州と一瞬だけブルネイに行ってきた。
目的はもちろん、ゾウである。
小型のゾウと言えばコンゴのマルミミゾウがメジャーだが
アフリカなんか、おいそれと行ける場所ではない。
そんな時、何とアジアというこんな近場にも
ボルネオピグミーエレファントという小型のゾウがいるという話を聞きつけ、
これはぜひとも会っておかねばなるまいと思ったのだ。

結果からいうと、ゾウには会えなかった。
ゾウだけではなく、動物自体をほとんど見つけることができなかった。
このトレッキングの模様は後述する事にして話を続ける。


ボルネオ島は青い島だった。
昼間は明るい水色の空が広がるが、
夕方になると紺色や深い青の厚い雲に覆われる。
ガイドブックには、雨季は10月からだと書いてあったのに
大概は夕方の4時頃からどんよりと雲ってきて激しい雨が降るのだ。
最終日の3日間以外、水溶性の足を持つ私はこの雨に悩まされることとなる。

足が溶けるから迎えに来てよおかーしゃーんと叫んでみても
おかーしゃんがここに着く頃にはきっとこの雨は止んでいるだろう。
で、おかーしゃんが帰っていった後くらいにきっとまた降ってくるだろう。
で、もう1回おかーしゃんを呼んでみたところで
おかーしゃんがここに着く頃にはきっとまた雨は止んでいるだろう。
そしてまたおかーしゃんが帰った後に降り始めるのだろう。
さすがのおかーしゃんでもそのうち怒りそうである。
確かに雨は降るけれども、待っていればそのうちやむ。
次の日にはまた暑くて眩しい町が帰ってくるので
おかーしゃんを呼ぶのはやめにする。

と、いうわけで、私は楽しみにしていたコタキナバル(以下KK)の空が
赤く染まるサンセットを拝むことは叶わなかった。
KK到着2日目に知り合った日本人の殿方、
M殿とおじさん殿(M殿の叔父様ではなくてただの小父さん)のお2人の協力の下、
ウォーターフロントへ夕日を見に連れて行ってもらった時も
ブルネイから戻った日に、一人でリトライした時も空は紺色だった。

KK国際空港にてが、夕日が沈む様子は一度だけ見た。
空が真っ赤に染まるようなことはなかったが
でっかいでっかい夕日が
瞬きする間も惜しいくらいの速さで
海に引きこまれるように沈んでいったのだ。

それは旅の最終日、
空港で搭乗を待っていた時のことである。

この後、離陸する頃には大雨になっていた。
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