続続・よいこの1日  -

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07

31

23:49
Fri
2009

No.0465

コーヒータイム

IMG_1413.jpg


帰りの車は2台。
1台は軽自動車で、行きでお世話になったドライバーの嫁さんが運転する。
もう1台は行きと同じ車、行きと同じドライバーである。
嫁さんの車にポーランド人2人が行きの時よりもきゅうきゅうに詰め込まれた。
乗用車には私とフランス人カップル2人、相変わらず私は助手席に座らされる。
さあ出発という所でオーナーのおっさんが走ってきて、
フランス人カップルが乗っている後部座席に乗り込んだ。

助手席は暑い。
このおっさんが乗ってくるなら私が後ろでおっさんが前に乗ればいいのにと思いながら
再びフロントガラスから差し込む日の光でこんがりと焼かれながら
3時間のロングドライブに臨んだ。

行きは殆ど休憩なしで走り続けたが、今回は2度ほど休憩が入った。
店の集まった道の駅みたいなところで停まり、
ドライバーとオーナーがコーヒーを飲もうと言った。
私は飲む飲むと賛同して車を降りたが、フランス人カップルは違った。
もう休憩なしでいいからとにかく早くホテルへ送り届けて欲しいのだそうだ。
ご飯を食べていない2人なので、10分だけ待ってと頼み、
カップルは10分以上は待たないと憮然とした表情で了承した。

コーヒーを飲まないかという誘いも彼らはいらないと断ったため、
私とドライバー、オーナーの3人で店に入った。
私はアイスコーヒーを、オーナーとドライバーはコーヒーと何か食べ物を頼んだ。
店の奥にトイレと蛇口を見つけ、私はいそいそと席を立つ。
そこには石鹸があった。
いつもならばその辺で干からびている石鹸なんて絶対使わないのだけれども
有難く石鹸も使わせていただくことにする。

席に戻り、コーヒーを飲んでいると半分くらい飲んだところで
フランス人カップルがイライラしながら車の傍で待っているのが気にかかったオーナーは
頼んだ食べ物を包めと店員に伝え、早く早くとカウンターで急かし出した。
ああ、もう行かなければいけないのだなと
私はグラス一杯に入っていたコーヒーを一気飲みし、
飲み終えたと同時くらいにビニール袋に詰められたご飯が出来上がった。

早くホテルに行ってシャワーを浴びたいフランス人カップルと
コーヒーの一気飲みでお腹がタプタプの私と
ビニール袋に入ったご飯の匂いだけ嗅いでいる空腹のオーナーを乗せて
車はサンダカンへ向けて再度出発した。
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07

27

22:53
Mon
2009

No.0464

5日目 卒業

IMG_1405.jpg


ロッジを去る日、最後の早朝リバークルーズ。
今回の目的は取りあえず果たした。
ボルネオ象に会い、テングザルもいっぱい見た。
しかもオランウータンにまで会ってしまった。
もう何も思い残す事はない。
お風呂に入れず、手を洗うことはおろか飲み水にまで苦労したけれども
このロッジに来て良かったとべったりした体で思うのであった。
ふと横を見やるとガイドさんのTシャツが表裏反対になっている。
これは指摘すべきかどうか迷うところではあるが、
1日目を表で来て2日目に裏返して着ているのかもしれないと思い
そっとしておく事にした。

相変わらずリバークルーズではガイドさんの声は聞こえず
「ボートが停まると何かがいる」を心に刻み、
必死で辺りを見回しながら動物を探すという行動は最後まで続いたが、
おフランス彼女の一人が
「トロトロ走ってないでもっと速くボートを走らせてよぅ」
と、ガイドさんにキレ気味に言い放ち、若干18歳の少年ガイドが
「は・・・ハイ。もっと速くね。速く。。。」とビビりまくっていたのを目の当たりにすると、
おフランスに便乗して「声が小せぇんだよっ」などと悪態をつくのも気が引け、
私は文句の一つも言えないでいるのだった。

しかしこの少年ガイドは若くても働き者で、
ボートに乗っていてもちゃんと動物を見つけてくれ、
ナイトトレッキングでも迷わず森を歩きまわっては眠った鳥や蝶を
それは見事に探し出す立派なガイドなのである。
サルと言えば「テングザル」と「サル」の2種類、
鳥と言えば「サイチョウ」か「鳥」か「眠ってる鳥」の3種類しか
彼の口からは出てこないのはガイドとしての難点かもしれないが。

まあ、私は動物の専門家ではないし英語もマレー語もできないし
名前を言われたところでこれっぽっちも覚えてはいないのだから
構わないと言えば全く構わない。
やたら生態とかに詳しくても探せなければお話にならないわけだし。

とにかく今回のロッジは良かった。
何が良かったって私の運が良かった。
動物との遭遇はロッジの清潔さや設備なんて関係なく、
ガイドの能力はある程度関係あるかもしれないが
それでもゾウやオランウータンが我々の通り道を偶然通らなければ
どんな有能ガイドを雇ったところで見られるものでもないのだから。

そんなことを考えていると、突然川の真ん中でボートが停止した。
はっ。また何かいるのか。
我に帰って慌てて辺りを見回すが何もいない。
と、いうかいつも停まるのは川べりでこんな真ん中に停まることはない。
一体今度はどんな珍しい動物に出会えるのかとワクワクしながら
必死で目を凝らしていると、何てことない、
単にガス欠でボートが動かなくなっただけだった。
07

26

16:54
Sun
2009

No.0463

日本語が話したくなる。

IMG_1246.jpg


宿泊客は1泊2日あるいは2泊3日の日程でこのロッジにやってくる。
私がここに滞在中、出会ったのは
1泊2日で先に帰ったイギリス人カップル1組、
行きも帰りも部屋も一緒のポーランド人のおばさん2人組、
そして各々別個に来てはいるが同郷ゆえに仲良くなっているフランス人カップルが3組、
2日目の夜からやってきた、国は不明だがポーランド語を話すカップルが1組である。

フランス人達は私のようにコミュニケーションに問題がある程ではないが
英語を得意とするわけではないようで、
イギリス人カップルがいなくなるともはやフランス語以外話そうとはしなくなり、
もわんもわんとした言語が辺りを飛び交う彼らの会話は、
私には何の話題なのかさえまったくわからなかった。
そんな彼らの中には、たとえ私が英語を堪能に話せたとしても入ってはいけないだろうと思う。

ポーランド人は私のおかーしゃんよりも年上な感じでかつ彼女達の言語はポーランド語、
もちろん私に彼女達の会話を理解する術はなく、彼女達もまた
英語を得意とするわけではないため必要な事以外に話す事もないものの
少数民族であるがゆえに同じ一つのテーブルで食事を取り、休憩をした。

常時いるガイドさんはボートの準備から食事の用意まで全てを2人でやっているため
宿泊客と遊んでいるヒマなどなく常に忙しく動いている。
動物を見ているときはそうでもないが、アクティビティの間の数時間は
眠くもなくロッジの周りを散策しようにも歩き回れるだけの広さもなく、
私はとても寂しくてつまらない時間を過ごさねばならなかったのである。

ナイトトレッキングから戻ると、足の負傷のため不参加だったポーランド人は
既にロッジに引き上げており食堂にはいなかった。
かわりに、私のテーブルにはいつの間にかやって来ていたガイドさんたちがいて
お金をかけて必死にトランプゲームをしていた。
他のテーブルは全てフランス仕様になっているので私は仕方なく
ガイドさんが屯するテーブルにパイナップルジュースを持って乗り込むことにした。

ドライバーにジュースを半分あげるとドライバーが私にもトランプを配ってくれた。
ルールがよくわからない私は隣にいた小さいおっさんを味方につけてゲームに加わると、
小さいおっさんはどうも強かったらしくわけのわからない間に勝ってしまった。
ひとしきりトランプで遊んだ後、ガイドの一人がギターを出してきて
"ボクには日本人の友達がいる。そして日本の歌がとても好きなのだ"と言った。
ギターを弾きながら、日本語の歌詞はよくわからないけどと言いつつ歌いだした曲はkiroroである。
"ホォラー アシモミモミモ・・・"
足、もみもみ・・・?kiroroはマレーシアで足マッサージの歌でも歌っているのか。
私はカラオケもあまり行かないし、殆ど人前で歌うことはないのだが
とりあえずギターに合わせて"未来へ"と思われるその歌を歌ってみる。

今まで固く沈黙していた日本人が突然意味のわからない言語で歌い出し、
その伴奏をマレー人のちっさい殿方がしているので
おフランスたちは非常に驚き、6人は一斉にミーアキャットのようにすばっと振り返った。
そんな彼らと目が合った瞬間、もうやめたいと思った。
けれどもギターの殿方は自分のギターに浸りきっていてとても楽しそうであるし、
ここで恥をかいたところでこの場にいる十数名の中の記憶に私がいかほど残るかというと、
きっと明日の昼には消えてなくなっているくらいであろう。
私は開き直ることにした。
そして今まで一言たりとも話すことのできなかった日本語を
思う存分、歌によって声に出したのである。
07

25

15:38
Sat
2009

No.0462

命の水

IMG_1292.jpg


上の写真はトイレ&シャワー室である。
ケニア、タイ、ブラジルとエコツアーには何度か参加してきたが
今回の宿は今までになく難易度の高い場所だった。

寝泊りするのはドミトリーなので、2段ベッドが2つあるのみの部屋で、
私はポーランド人2人と同室になった。
高い所があまり得意ではないので私はできたら下のベッドを使いと思っており、
部屋に案内されるとすぐにいい場所を確保しようと務めた。
ドライバーのジャパーンだかショパールだかおっさんは、
私のそんな思いを知ってか知らでか協力してくれ、
私の荷物を持って部屋に一番乗りし、下の段のベッドの上に置いた後こう言った。
"babarには一番いいベッドを取ってあげたよ。"

大きな欧米人達の中に一人でぽつんと参加する私を
現地のガイドさんたちは大概、ヒイキしてくれるため
ご飯が大盛りになったり、アクティビティの時間外に特別な場所に連れて行ってくれたり
結構おいしい存在となることができるので、今回もいいベッドを取れてシメシメと思っていた。
が、後からポーランド人二人が部屋へ入って来るのを見るや否やドライバーは
「・・・babar、キミは小さいから上でいいかい。いいよね、ね!」
と、私のバックパックをベッドから下に降ろしてしまった。
あまり良くはないけれども私はシブシブ上のベッドで寝ることを承諾した。

荷物を降ろし、落ち着いたところでトイレにでも行ってみようと思い、
数m先にある小屋へと行ってみると、ドアが3つあった。
向かって一番右の扉には"故障中"と書かれていたため未確認。
真ん中のドアを開けるとトイレがあった。
しかもこんな外にあるトイレが洋式。
あまり快適なトイレライフは望めそうにない。

夜、シャワー浴びたければどうぞと言われ、
ポーランド人の後に使わせてもらうことにした。
ポーランド人にシャワーはどうだったかと聞くと、
"シャワーではない"と言う。どうも桶に水が張ってあって
それを体にかけるだけになるらしい。
行ってみると、真っ暗な個室の中に桶というか小さなバケツに水が張ってあり、
こ汚いペットボトルの空が3~4本転がっている。
恐らく旅人達がペットボトルをここへ持ち込み、それに水を入れて
自分の体に水をかけたのだろう。
私は、このペットボトルを使うのはどうも気が引けるものの
食堂にもらいにいくのも面倒なので、今晩のところはバケツの水を手でかけた。
イスラム圏のトイレにはたいがい手桶とバケツがあるが、
このシャワー室は便器のない公衆トイレ以外の何物でもない。
ただこのバケツの水はロッジと食堂の間にあるタンクから必要に応じて持ってくるので
とってもキレイな水とは言いがたいが汚いわけでもないようだ。

さて、水と言えばここには蛇口がない。
水道がきていないので、料理とかに使う水は恐らく全てあのタンクの水だ。
飲み水はペットボトルの水が冷蔵庫に入っており、それを飲む。
最初、私に1本、ポーランド人に1本、他の客にも各1本ずつ与えられたのだが
2日目の昼前にはその他の水は全てなくなってしまった。
私は持参した500mの水もあるし一人なので1本あれば十分間に合うだろうと
持ってきた缶のパイナップルジュースと一緒に大事に並べて冷蔵庫にしまっていたところ、
ドライバーがそんな私の様子を見て駆け寄ってきて、
冷蔵庫の一番奥に私の水とジュースを隠してくれた。
しかし、努力の甲斐もなく、日中のアクティビティ後に水を取り出して飲んでいたところ、
同じテーブルに座っていたポーランド人が"あなた冷蔵庫に冷やしておいたのね"と言いながら
2/3ほど入っていた私の水をコップに注ぎ、ゴブゴブと飲み干してしまったため
水は一気に1/6ほどまで減ってしまったのである。
その後、2日目の晩に水がないことにやっと気づいたガイドさんが買出しに行くまで
私はポーランド人のペットボトルからこっそり自分の500mペットボトルに水を移し変えたり
コーヒー用に常備されている熱湯を冷まして飲んだりと涙ぐましい努力をすることになる。

ジュース類はロッジで買うと高いのでいるなら持って行くようにと言われていた。
私はいらないかなとは思ったが、ポーランド人がでっかいコーラのぺトボトルを
ガソリンスタンドの売店で買っていたので
つられてパイナップルジュースの缶を一つだけ買って持って行った。
私のジュースはビニール袋に入れてあったのと冷蔵庫の奥に隠してあったのとで
他人に飲まれるなどということはなかったが、彼女達のコーラは違った。
アクティビティのない昼間、食堂のベンチで座っていると
昼寝から目覚めたフランス人カップルがやってきて冷蔵庫を覗き、
"コーラがある"みたいなことを言って2人で飲み始めた。
フランス人カップルは3組計6人なのでポーランド人達にとっては大変な脅威である。
哀しそうな顔をしてその様子を眺めていたがさすがに
"私達のジュースなのよ"とは言えないらしく黙って見守っていた。
幸い、コーラを飲みたい人は2人だけだったらしく被害は少なかったが
その後、彼女達は大事に飲んでいたコーラを夜までに全て飲み終えた。
フランス人グループはそんな彼女達の雰囲気を察したのかその後、
他人様のソフトドリンクに手をつけることはなかった。

飲み水は一番大事であるが、蛇口がないということはつまり、
手も洗えず顔も洗えず顔も洗えないということである。
飲み水に加え、手を洗ったり歯磨きをしたい私はポーランド人Gやフランス人Gよりも
キレイな水がより多く必要であった。
手や顔、歯磨き用の水はなるべく湯冷ましを使うように心がけ、
湯冷ましが切れた時には熱湯にちょっとだけミネラルウォーターを足して温度を下げ、
アチアチ言いながら手を洗ったものである。
手の消毒用アルコールを持ってこようか悩みながらも置いてきたことを大変後悔した。
顔はたった3枚だけ残っていたシートのクレンジングと
2回分ほど残っていたふき取り化粧水を大事に使って拭く。

ケニアもタイも、食事は火起こしから始めて適当な石の上に座って食べ、
寝る場所もテントや屋根があるだけの外みたいなところで寝ていたけれども
水に困るなんてことは今までなかった。
ケニアではうどんくらいの太さの水が上から落ちてくるような水シャワーが一応は使えたし
タイではお風呂代わりに川に入って水浴びができた。
出発前は、滞在中にゾウが見えなければ延泊しようなどと考えていた私だが、
そんな訳で2日目の晩には、"ジャングルはもういい"と思うようになっていたのである。
07

24

21:32
Fri
2009

No.0461

4日目 更なる幸運

IMG_1263.jpg


2日目の朝はボートでしばらく動物探しをした後、岸に上陸して少し歩く。
前日の雨でボートの中が濡れていたため滑りやすくなっており、
この日、ポーランド人の片割れがボートに乗った瞬間滑ってこけた。
大柄な彼女があまりに勢い良く転んだので私は大変なショックを受けた。
どうも足を痛めたらしい彼女に大丈夫かと声をかけようにも
恥ずかしさからか不機嫌になってしまって怖いし相棒もビビっている。
こういう時はあまりざわめかない方がいい。

足を痛めた彼女とビビる相棒にフランス人カップル1組、そして私を乗せたボートは
気まずい雰囲気のまま、とある岸についた。
朝・晩のクルージングやナイトトレッキングにはこの5人に加え、
別のフランス人カップルが2組ほどいるのだが日中のアクティビティには不参加のようだ。
今頃は昨晩の続きで痴話ゲンカなどをしているのだろうと思われる。
とにかく、これから降りるという時になって、あまり遠くまで歩くのなら行かずにボートで待つと
フランス人彼女がダダをこね出した。
朝とは言え、この炎天下に日陰のないボートで一人待つなんてどういうつもりだ。
ただでさえポーランド人が1名負傷して機嫌が悪いのにそんなまとまりのない事をと
ハラハラしながら動向を見守っていると、
ガイドさんがいやまあ10分くらいですと言って同行を促し、
それならばと彼女は承諾してボートから降りた。

ぬかるんで歩き難い踏み後をしばらく歩いていると、遠くの高い高い高い木の上を指差して
オランウータンがいるとガイドさんが言った。
よく見えないけれども確かにタワシみたいな鳥の巣みたいなものが木に引っかかっている。
鳥の巣は、ガイドさんが発する鳴き声のマネに反応して枝から枝へと渡り歩き、
その巨体でそんな枝にとドキドキするくらい細い枝にぶら下がり、森の奥へと帰っていった。

野生のオランウータンが見られてよかった。
野生のオランウータンのお陰でポーランド人の機嫌が少しだけ直ってよかった。
野生のオランウータンのお陰でお疲れフランス人彼女が文句を言わずに歩いてくれてよかった。

去って行くオランウータンの後姿に向かって発したガイドさんの
"サンキューオランウーターン・・・"という呼びかけには
そんな思いが込められていたように思う。
07

23

20:42
Thu
2009

No.0460

ご対面

IMG_1205.jpg


2泊3日のスケジュールとしては、早朝&夕方の1日2回リバークルーズをし、
夜はロッジの裏手にあるジャングルに入ってナイトトレッキングが基本である。
ロッジ到着後、早速夕方のリバークルーズに向かった。

タビンの時はガイドさんが動物の説明や種類を簡単ながらも一応は説明してくれ、
見た動物や鳥の種類を書き留めてロッジに帰ったら図鑑でおさらいをするという風に
割と勉強色が強かったのだが、こちらのリバークルーズでは
「あ、あそこに鳥が。」
「サルがいる・・・」
と、ガイドさんは独り言のように呟くだけで鳥って何の鳥なのだか
サルって何のサルなんだかまったくさっぱりわからない。
ただ、英語のできない私は固有名詞を言われてもすぐに忘れてしまうので、
百歩譲ってトリだのサルだのしか言ってくれないのは許すとしよう。
しかし、終始ボートの先端に座らされていた私には、ボートの最後尾でガイドさんが
サルだトリだと呟きながらボートを停めても何も聞こえず、何で停まったのかもわからず
みんながほーとかへーとか感動している間、一人だけ"え?どこどこ"と焦っていると
明後日な方向の木の先端からワシやサイチョウが飛び立っていくのはいかがなものか。
もうこうなったら「ボートが停まれば何かがいる」と思って常に探していなければならず
双眼鏡を持ってこなかったことを非常に後悔した。
ただ、動物を探す目は確からしく、大分手前から動物を見つけてはボートを停めるので
私のイメージ的には、タビンのガイドさんは修行して知識と目を養い、
このロッジのガイドさんは野生のカンである程度補っている印象を受けた。

リバークルーズが始まって間もなく、にわかに騒がしくなったかと思うと
ボートは草むらの方向へ接近していった。
どうもゾウがいるらしいとのことで、私もカメラを握り締める手に力が入る。
どうみても17~18歳くらいの若い少年ガイドが
カメラを貸してくれたら撮ってきてあげるとのことでカメラを預けると
勇敢にも裸足でボートから岸に飛び移り、森の中に入っていった。
が、ほどなくしてダメだったと戻って来た。
しかしすぐにボートを発進させ、何mか先の草むらへと移動、
しばらく待っていると総勢14~15頭くらいだろうか、
先ほどのゾウの群れが森の中から順番に顔を出しては草を食み、通り過ぎて行った。

ああもうこの先、何一つ動物が見れなくてももういいやと思いながら
私は無心に写真を撮った。
07

22

20:42
Wed
2009

No.0459

ビリッ村へ

IMG_1158.jpg


キナバタンガン河流域にはいくつかの村があり、
そこにあるロッジ等に宿泊してリバークルーズに参加したりトレッキングしたりできる。
代表的?なのが下流の方にあるスカウ村のリゾート系お高いロッジである。
が、ゾウや多くの動物に会えるのは上流の方であると聞いたことと、
昨年、私はタビンという動物保護区にあるリゾート施設に宿泊し、
お一人様料金で1600RM(当時の為替で5万ちょい)を支払い、サルと鳥だけ見て帰って来たという
辛い経験から、比較的上流に位置するビリッ村という所で安いロッジを探していた。
結局、出発までにツアーの手配はできなかったのだが、
サンダカンのこの宿で見つけたロッジはビリッ村にあり、ドミトリーで
送迎費を入れても360RMとかなり安い。

郵便局から戻り、しばらく休憩しているとお迎えの車がやって来た。
ドライバーは、ジャパーンだかショパールだか、とにかくそんな名前のフィリピン人おっさん。
荷物を持って外に出ると、軽トラか何かで行くと思いきや普通の乗用車が停まっていた。
後部座席には先客がいるので助手席にお乗りなさいと言われ、車のドアを開けると
後ろの席には50~60歳代と思しきおばさんが2人、ぎゅうぎゅうに詰まっていた。
彼女達はポーランド人、1ヶ月かけて友達同士の二人でアジアを回っているのだそうだ。
2人の会話の言語は終始難解、英語もできるのだろうが苦手な様子で、
聞かれた事に対して答える以外はずっと自国語を喋り続けている。

車が発進するとすぐにドライバーがシートベルトを締めるようにと言った。
どうもマレーシアではシートベルトの着用をかなり厳しく義務付けられているようだ。
シートベルトを締め、しばらく外の景色を眺めていたがふと気になって
運転席のスピードメーターに目をやった。
表示は"0"だった。
ガソリン表示の針もemptyの"E"マークを指している。
なんだ壊れているじゃないか。交通ルールは厳しいようで結構アバウトであるなと思った。
途中、給油のため車はガソリンスタンドに立ち寄ったが
このドライバーは何を目安に給油の必要性を察知しているのかよくわからない。

走ること2時間あまり、車はようやくプランテーションの中の凸凹道に入った。
普通の乗用車はここからが正念場で、もはや自転車か
ちょっと足の速い人が走ってるくらいの速度でしか進めない。
オフロード上等!みたいに気合の入った車が何台か追い抜いて行き、
我々は土ぼこりの中に取り残された。
それでもおサルさんファミリーを見たりしつつマイペースにのろのろと進んで行き、
ようやくロッジに到着したのは凸凹道に入って1時間あまり経った頃である。
07

21

19:20
Tue
2009

No.0458

3日目 サンダカンへ

IMG_1422.jpg


空港からバスで移動、サンダカンは暑い町だった。
どうもKKより暑い気がする。
サンダカンを訪れた友人G殿が確か
「泊まるならKFCの隣の宿だ」
と言っていたのを思い出したのでKFCを地図で探すと2箇所あった。
どちらも近くに宿はあるが隣というより向かい?で一つはホテル、一つはドミトリーの安宿だ。
迷わず安宿へ行くとフロントにはつるんとした顔の中国人系の殿方がいて、
泊まりたい旨を伝えたところ、オカマのフィリピン人がくねくねとやって来て私を部屋まで案内した。

部屋には2人ほど先客がおり、一人は白人、一人は黒人の殿方である。
"殿方ばかりだけど大丈夫?"と気を遣うフィリピン人に、構わないと笑って答えると
ほっとした様子でプリプリとお尻を振りながら歩き去った。
さて、構わないと言ったけど2段ベッドの上に上がるはしごがない。
しかし特に今すぐベッドの上に上がる用事はないので後で考えようと階下へ降りた。

キナバタンガン河のツアーに関するポスターが貼ってある。
このポスター、どこかで見たことがある・・・
そうだ、KKで泊まった宿にも貼ってあって参加したいと頼んだところ
ここで手配するとKKからの移動が料金に含まれているため
サンダカンに行ってから申し込んでくれと言われたのだった。
で、私はポスターをよく見ずにこれは私がメールを無視された
"Nature Lodge Kinabatangan"であると早合点して、
明日からこのツアーに参加したい事をフロントの殿方に伝えた。

すると殿方は"どうして今日の出発にしないんだ"と言う。
ピックアップまでまだ何時間もあるため今日からでも行けるらしい。
それならばと今日から出発することにした。
帰ってきてからのベッドは同じ部屋で予約しておくよとの申し出をありがたく受け、
帰国してまだなお届かない、そして今後も届かないかもしれない
家族や友人へのポストカードを投函するため、
わざわざバスに乗って郵便局へと向かったのである。
07

20

23:24
Mon
2009

No.0457

2日目 KK日記

IMG_1033.jpg
マレー彼氏曰く、
中国人の友人も旅行に来ており
サンデーマーケットで会う予定とのこと。
携帯電話で連絡を取りながらやって来た
その中国人というのは
おっさんとおばさんとその息子が2人に
おばあさんというファミリーだった。
マレーカップルはどうみても20代なので
おっさん&おばさんを"友達"というには
自分の感覚では少し不思議、
かと言って息子2人は若すぎる、
おばあさんは・・もっと違うんじゃないかと思う。
まあ、おっさん&おばさんが友達という線が
一番固い気がするのでそういうことにしておこう。


このファミリーが加わり、歩き出すや否やおばさんが非常に早口に話しかけてきた。
単語の一つも拾えないので多分中国語だろうと思われる。
困ってえとえと言っていると、お土産を物色していたマレー彼女が慌ててやって来て
"彼女は中国人ではない"らしきことをおばさんに説明してくれた。
中国人ファミリーはその後、通りを一通り歩いた辺りでいつの間にか消えていた。

私があまりにも暑そうに汗をかいているのでマレー彼女が
ペットボトルに入った茶色い飲み物を買ってくれた。
これは何だと聞いてみるとお茶だと言う。
中に丸い実が入っていてこれは何だと聞いてみると説明できないとのこと。
飲んでみると確かにお茶だけれども私には砂糖水のように思えた。

昼前に一旦宿に戻り、休憩しているとマレー彼女は昼寝を始めたので
自分は再度町を歩こうと廊下に出る。
と、彼氏の方がやって来て"島には行かないか"と。
島・・・には行かないと答え、じゃあまた後でと手を振った。
ベランダに出るとさっきの中国人ファミリーが宿の裏の丘から降りてくるのが見えた。

IMG_1058.jpg


去年、行き損ねた州立モスクをどうしても見たかったので
一人で再び外に出たもののあまりに暑いのでイヤになり、タクシーを拾う。
州立モスクを訪れたところ、ここでも中国人ファミリーに遭遇した。
また会ったねと手を振ってすれ違い、一番いい角度から写真を撮ろうと
カメラを構えると、どうも彼らも記念撮影をしているらしく
私のモスクの写真に彼らが入ってしまった。
しばらく待っていたけれどどうにも終わりそうにないので
中国人ファミリー入りの写真を撮ってモスクを後にする。

宿に戻った私にフロント殿が紙を持って走ってきた。
紙を開いてみると、マレー人彼氏からの手紙である。
彼らは行ってしまったのかと聞くと、行ってしまったのだとフロント殿は言った。

暑い暑いと私が文句を言っている間に彼らは行ってしまった。
とても親切にしてくれたのに何のお礼も言っていない。
手紙にはメールアドレスが書かれてあったので
帰ったらたどたどしい英語でメールを送ろうとなくさぬように手紙を手帳に挟んだ。

昨日は凍死するかと思ったが今夜はクーラーが切ったままなので暑くて寝られない。
今夜は私がガニ股でフロントへ行き、リモコンを借りてきた。
そんな私の様子を、一人旅をしているという欧米人の女性がベッドから眺めていた。
07

19

23:24
Sun
2009

No.0456

1日目 KK到着

IMG_1032.jpg


2009.07.11土曜日、1日かけてKKに着いたのは夜の10時半。
24時間フロントが開いている安宿に入り、
部屋へ行くとクーラーがガンガンに効いていて
欧米人が一人、凍死寸前になって寝ていた。
毛糸の帽子をかぶり、レインコートのようなものを布団代わりにして。
電気はついていたものの、寝ている彼女を起こさないように
できるだけそっと荷物を解いてシャワーへ向かう。

去年泊まった時はトイレの個室についていたので
足を洗うために屈もうものなら便器と顔が近すぎて非常に不快だった記憶があるのに
今年はなんとベランダができていて洗面所と
男女別の立派なシャワールームが出現していた。

部屋に戻ると凍死寸前の欧米人がイライラしながら目を覚まし、
ガニ股で出て行ったかと思うとクーラーのリモコンを手に帰ってきて、
憎らしそうにクーラーを切り、再びゴソゴソとレインコートの下へと戻っていった。
彼女のお陰で私も凍死を免れたが翌朝目覚めると彼女の姿は既になく、
代わりに別のベッドに黒髪短髪の女性が横たわっていた。
彼女の名前は・・・忘れた。
とにかく、本島から殿方と一緒にやって来たマレー人である。

今までの経験からすると、スイートハートと旅をする人々は
一人旅の私になんて目もくれないことが多いのだが、
マレー彼女は朝食で一緒になった私にパンを焼いてくれ、
バターを塗ってご丁寧に砂糖をまぶすとおいしいのだと教えてくれた。
マレー彼氏は、パンが焼けるのを待つ間に
我々はこれからサンデーマーケットへ行くのだが
何も予定がないのであれば一緒に行かないかと誘ってくれた。
サンデーマーケットへはもちろん私も行くつもりだったので
私はこの誘いを遠慮なく受けることにする。
07

07

23:29
Tue
2009

No.0455

アリラン

孤高の象babarは今、とても悲しんでいる。
会社で慕っていたK次長が7月からいなくなってしまったのである。
いわゆる左遷なのだが、東京へ行ってしまった。
実は私、この次長のススメにより自転車を購入し、4月からチャリ通を始めた。
自転車は思ったよりも自分の好みに合ったらしく
週末も色んな場所に行っては休憩時間にK次長と情報交換をしていた。
5月には別の次長を誘惑してやっと3人になったチャリ部は
若干3ヶ月で部長がいなくなったため廃部となり、
自称、書記の私は記録するべきものもなく鉛筆を構えるばかりである。

次長の名前がなくなった新しい社内電話帳を見ながら
私の好きな人はみんな東へ行ってしまうのだなと思う。
そう言えば仲良しだった前支店長は4月の異動で東京へ行ってしまった。
その前の異動では私の心のオアシスだった先輩がこれまた東京へ。
唯一の親友である大学時代の友達はある日突然、横浜へ。
横浜にいる殿方と暮らすのだそうだ。
九州で働いていた友人とは毎年、お盆と正月の帰省時に会うのが楽しみだったのに
この友人もまた、仕事をやめて東京の会社へ転職。
挙句の果てに今年のお盆は帰って来ないとのことである。
姉のように慕っていた年上の友人も今は東京にいて殆ど会えなくなってしまった。
マレーシアで出会い、意気投合したG殿は元々関東の人であるし
もっと古い記憶を辿ってみると、
あれはそう、まだ人々が石器を持って走っていたくらいの頃か、
お付き合いしていた殿方と友好的にお別れをし、彼は東京へと旅立った。
それよりももっと昔の恐竜が走っていたあたりの時代に
ケンカして別れた殿方は未だに私の会社の近辺で働いているというのに。

じゃあ私はと言えば、
東京には数えるほどしか行ったことがない。
小学校の頃に行った家族旅行と
去年、会社の研修で本社に行った時に休暇をもらって親友を訪ねた時、
あとは空港の中だけとか研修所までの移動で通っただけとかそんなもの。
実はあまり東京辺りが好きではないというか都会が怖い。
東京で暮らしたいと思ったこともなければ遊びに行こうとさえ思ったことがない。
なのに私が東京周辺を避けようとすればするほど
私の好きな人はみんな東へ東へと行ってしまう。

そんなわけで頑なに東を拒んできた私だが、
最近になって、東には一体何があるのかと思うようになってきた。
相変わらず私の周りから数少ない友人を奪って行く東が憎いのではあるけれども
多くの人が東へ東へと進んで行くのだからあそこには何かがあるに違いない。
千葉県の"市原ぞうの国"か。
それとも意味もなく東を嫌う私に、
「東にはbabarの好きな人たちがたくさんいるいい所だからキミもおいで」
と神様が呼んでいるのか。

どちらにせよ私は近いうちに一度、
東に何があるのか確かめに行ってみようと思う。
07

06

21:35
Mon
2009

No.0454

旅の準備

私は毎回、行きたい場所や交通機関、近辺の安宿を
割と綿密に下調べしてから旅に臨んでいる。
こんな私はそれでもB型だ。
しかし今回は豚フルエンザの流行と通信教育の課題と去年も行ったというオゴリから
実は殆ど何の準備もできていないことに先週辺りようやく気づいた。

豚フルエンザが騒がれていた頃、私の会社では海外渡航が制限されていたため
このままではせっかく航空券とったのに行けない事が始まるなと思っていた。
渡航制限が解けた頃には通信教育の課題の提出〆切まで
残り1週間になっていることに気づき、旅行準備どころではなかった。
そしてすべてが収束した今、私は非常に焦っている。

ラオスで象使い免許を取りたい。とか、
ミャンマーに白い象を見に行きたい。とか、
行きたい場所ややりたい事はたくさんあるにも関わらず、ボルネオを再訪するのは、
去年、ボルネオピグミーエレファントに会うことができなかったからだ。
もうこうなったらボルネオ象を見るまでは意地でもボルネオ通いを続ける所存である。

タビンで会った西洋人のおばさんが、
スカウで象の群れにあった。"amazing!!"だったと話してくれたので
それでは私も・・・・と、いうことで今回は川沿いのジャングルに行きたいと思う。

さて、とりあえずツアーの手配をと思い、何件かのロッジやツアー会社に問い合わせてみた。
"Uncle Tan"というロッジはメールを送った翌日に満室だと返信が来た。
"jungle sanctuary"というロッジを見つけたのでメールを送ってみると
待てど暮らせど返事は来なかった。
ちょっと料金が高そうだなと思いつつ"misowalai homestay"に問い合わせると
これまた返事が来なかった。一体どうなっているんだ。
現地のツアー会社だが日本語での問い合わせが可能な"Kinabatangan Jungle Camp"は、
2日後にやはり満室であるとの返事を得た。
しかもこのツアー会社に至っては、丁重な言い回しながらも
「他所を当たれ」と書いてきたのでちょっとムッとした。
"Nature Lodge Kinabatangan"はとても立派なサイトだったので
ここならきっとマメにメールをチェックしてくれるだろうと
送迎含めた予約の問い合わせを入れたが、期待に反してここも全くなしのつぶてである。
ホームページのeメールアドレスは一体何のために記載してあるんだと
聞きたくなるほど今回は返答率が悪い。

現地に着いてからツアーを探してもいいけれども
もしうまい具合に見つからなければ
何のためにボルネオに8日間も滞在するのかわからない。

どうしようかと頭を抱えながらも
出発の日はもうすぐそこまで来ている。
07

05

15:48
Sun
2009

No.0453

最終宿

最後の宿は宮之浦、素泊まり1泊3500円である。
ネットで見つけて予約をしようと思ったら電話番号が書いてあった。
そうかネット予約できないのかとかけてみたところ、
ゴツイ口調のおっさんが出てきて何を言っているのかわからない。
訛りが激しいのかと思いつつ、面倒になったので
よくわからなかったけど泊まれることだけ確認した後は
ハイハイと受け流し、解かったフリをして電話を切ったのである。
まあ、国内旅行なので予約さえできれば後は重要なことはなかろうと思ったのだ。

さてこの宿、宿泊日の朝から滝見の合間に
用事があって何度も電話をかけているのに一向に出てこない。
固定電話も携帯電話もずっと出ないのである。
小雨降る宮之浦のバス停で降りて、この電話で出なければ
怒って暴れてやると思いながら力強く携帯のボタンを押してかけると
「ハイハイ」とあのおっさんが出てきた。
宮之浦のバス停に着いたと伝えると、すぐに迎えに行くからそこで待ってなさいとのこと。

傘を差して待っていると、傘に穴が空いているらしく頭に水が落ちてきた。
よく見るとハリも悪く、歩くとばっふぁばっふぁと音がする。
早く来ないかなとジリジリ待つこと8分、おっさん到着。

相変わらず何を言ってるのかよくわからないけど、
どうも宿は山道を上がって行った所にあって
徒歩ではどこにも行けず、例え食事の外出であってもおっさんが送迎するのだそうだ。
先ほどコーヒー店で聞いたお店で食事をとりたかった私は、
食事をしてからおっさんに電話すればよかったとちょっと後悔した。
おっさんは近くのスーパーで惣菜を買って食べたらいいと言ってくれたが
そのスーパーさえもおっさんに連れて行ってもらわねばならないほどに宿は山の上である。

しかしこの宿、開店してまだ2年目とかで部屋や設備は新しくとても清潔だった。
5~6部屋あるけれど宿泊客は私一人。と、おっさん。
山深い静かなこの家で私とおっさん。
が、このおっさんは私が唯一出会った生粋の屋久島人だった。

おっさんは宿に着くと、スーパーさえも出て行くのが億劫になったらしく、
この時間では惣菜もあまり売ってなさそうだから
おっさんのご飯を半分あげると言って煮込みうどんのようなものと
流しの下から「これは息子が買ってきたやつだけどあげる」と言いながら
レトルトのかしわ飯を出してくれた。
宿はおっさんと息子さんの2人でやっていて、息子さんは職業訓練に本島へ行っているのだそう。
そしてこのおっさん、歳はなんと83歳だった。じいさんである。

延々とじいさんの身の上話を聞いた後、お風呂に入り自室に落ち着いたのは12時を過ぎた頃。
布団に入り、目を閉じると向かいの部屋でじいさんがTVを見ながら
「ほっ」とか「はっ」とか、咳か相槌かわからない声を発しているのが聞こえた。
田舎のじーさんの家に泊まりに来たみたいな心持である。

翌朝、早くに目覚めて洗面台と自室と台所をウロウロしていたのに
じいさんは私が起きていることに気づかなかったらしく
ドアの向こうにしてはやたら遠くから「babarさーん」と呼びかけてきた。
「起きてますよ」とドアを開けると、じいさんは私の隣の部屋のドアをノックしながら
「babarさーん」とまだ呼びかけていた。

朝ご飯にトーストを焼いてくれたので有難く頂き、
出発前に連れて行きたい場所があるから3分早く出ると言われ、いそいそと靴を履く。
「あの、お勘定はいつ?」と尋ねると、じいさんはデコをぴしっと叩き、忘れてたと言った。
5000円を出すと、2000円のおつりが返えってきた。
「いやいや1500円です」と言いながら1000円を返すと、じーさんは慌てて500円を出した。
息子さんが早く帰ってきますようにと祈るばかりである。
07

04

23:53
Sat
2009

No.0452

一湊珈琲

P1000008.jpg


水溶性の足を持つ私は本来、雨の日の外出は極力しない。
なのにどうしてこんな事をしているのかというと旅の途中だからという事以外に理由はない。
とにかく私は疲れた。

布引の滝公園から離れて歩き出すもすぐに何もないことに気づき、足を止めた。
やみくもに歩いても結局はバスに乗るため戻ってこなければならないわけだし。
滝に背を向けて真っ直ぐか左か(私は右方向からやって来たので)、どちらに進もうか
道端に立って考えていると公園のすぐ前にある民家のような家の扉に
「issou coffee」と書いてあるのが目に留まった。
ガイドブックから切り取ってきた地図を見ると「一湊珈琲焙煎所」とある。
もうここしかないと思った。

P1000009.jpg
店の主は若い殿方。
どこか面白い所ないですかと尋ねた所、
「そうですねこの天気ですし。
晴れてたらその辺歩き回っても
いいと思いますが・・・
うーん。ここで読書するのが
ベストじゃないですかね」
と、困った顔をした。

はーそうですかと答え、
これもくださいとチョコビスケットを
ビシッとレジの前に置いた。

喫茶店ではあるが名の通り、本業は焙煎所なのだろう。
コーヒーが並ぶカウンターの前にソファが一つ、
窓際の隅にも小さなソファがあったがフライヤーや雑誌が並べられており
他に座席と言えるものは外のテラスに滝の方を向いた椅子だけである。

雨宿りで入った喫茶店で雨に打たれながらコーヒーを飲むのは私の本意ではないため、
カウンターの前にあるソファの傍に立ち、ここに座ってもよいかと店主に尋ねてみた。
店主は、勿論である、自分は手紙を書いていただけなので話し相手にもなると言った。

コーヒーを受け取り、たくさんの本が並ぶ本棚からインド旅行記を手にソファに座る。
ここの本棚にはインドの本が多い。
インド(ゾウ)が好きかと尋ねると、行ったことはないが
屋久島を訪れる観光客は、皆揃ってインドは素晴らしいと言うもんで
何か屋久島と共通点でもあるのかと興味を持ったのだそうだ。
この店には旅行客も多く訪れるから、仲間を見つけて遊ぶといいとも言った。

屋久島旅行について店主と話しながらインド記を読み、
インドと縄文杉を行ったり来たりしているところへお客さんが入ってきた。
入ってきた客は確かに観光客だったが夫婦と幼い男の子のファミリーである。
ファミリーは私の隣にカタマリになって座り、30分ほどを過ごした後に出て行った。
彼らが去ってしばらくすると店主は「さすがにファミリーに話は振れませんでした」と侘びたが、
私としては「この一人旅のお人をあなた方のお仲間に」なんて振ってもらっても
それはそれで困るので、彼の常識的な行動に感謝する。

再びインド記に目を落としたが、ふと思い立ち、
どこか夕飯を食べるのにいい店はないかと聞いてみると
ガイドブックを出してきて手頃な値段でおいしいものが食べられる店を紹介してくれた。
そのガイドブックを眺めていると、布引の滝国立公園が載っており、
説明書きにはこう書かれていた。
「普段は水量の少ない滝だが、大雨の後は布を引いたように美しい滝が現れる幻の滝である。」
そして
「この滝は遠方からの眺めが大変美しい。」
あんなに苦労したのに、私は鑑賞方法を間違っていたようである。

ガイドブックに鞍替えしたお陰でインド記は半分くらいしか読めなかった。
この続きを読むためにもまた屋久島に来ようと決意を胸に私は店を出た。

P1000006_20090610004658.jpg
 バスを待つ間に
 布引の滝を眺める。
 布を引いたように・・・は見えない。
 どちらかというと
 ティッシュがはざかっている。
 と、言った方が正しかろう。

 どうもこの程度の雨では
 本気の布引の滝は
 拝めないのかもしれない。

帰りのバスは、行きのバスが折り返してやって来たので
運転手はもちろんあの運転の荒いおっさんである。
無言のまま、宮之浦まで二人きりのバスドライブを楽しんだ。

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