続続・よいこの1日  -

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02

27

20:33
Sat
2010

No.0493

ビルマ記 昼食

IMG_3586.jpg

昼食は中華とビルマ料理どっちがいいかと聞かれ、私は迷わずビルマ料理と答えた。
氏も異論はないらしく、うんうんと頷いている。
そこで連れて行かれたのはやはり屋根付きのテラスみたいな屋外のレストランで、
予約者のために用意されているのであろう料理の上でウエイトレスさんが
忙しそうにうちわを動かしてハエと戦っている。

特にコレという注文はしていないが、飲み物だけ聞かれたので
氏はコーラを、私はお茶を頼んだ。
しばらくすると小皿がどんどん運ばれてきてあっという間にテーブルが埋まった。
頭上でウエイトレスとハエとの攻防が未だ続いているあの料理と同じメニューである。
隣の席を見ると、年配欧米人の殿方と現地ガイドらしき2人連れもこの料理を食べている。
この料理はそう、カレーだ。

小皿に入った色々な種類のカレーを自分のご飯と一緒に食べるというスタイル。
肉類は鶏、ヤギ、豚などがあり、野菜類は茄子、玉ねぎなど、
あとは佃煮のような正体不明のペースト状のものなど色も味も様々だ。
それに小魚のフライと鶏のから揚げにタマリンド(と言う豆のなる木の葉っぱ)のサラダ(?)、
そして生野菜が盛られた大きなお皿がついてくる。
どう考えても食べきれる量ではないがおかわりのご飯がちゃんとおひつに入っており、
少なくなるとガイドさんが気を利かして継ぎ足しに来るもんだから大変だ。
そして一つのお皿がおいしいからと言って平らげてしまうと、
どこからともなくウエイターがやって来てさっさと皿を下げてしまったかと思うと
そのお皿に再び山盛りのカレーを入れて持ってくるので
食べても食べても皿の上から料理が減る事はない。
挙句の果てに黒砂糖のカタマリ、ピーナッツを揚げてギトギトになったものにゴマをまぶしたやつ、
そしてなぜかショウガがデザートとして一つの器に入ってやって来た。

氏は豚肉や鶏肉のカレーばかりに手を伸ばし、私は一通り全部一口ずつ味見をした。
その中でもタマリンドのサラダが最も私の口に合ったので氏にお勧めした所、
うんうんと言ってその後、まったく手を伸ばしていないようだったので私が一人で平らげた。
茄子のカレーもおいしかったがこれは非常にオイリーで、お腹一杯になるまで
食べ続けることはできなかった。
肉類も同じで確かにおいしいがよく煮込まれていてとても味が濃く、脂っこい。
生野菜は用心して極力食べないようにしようと思ったが、
きゅうりは真ん中までしっかり固く、ヤバそうな感じはなかったので2~3本頂いた。
と、言うかきゅうりと茄子以外の野菜は何者なのかよくわからず、食べる勇気がなかったのである。
茄子も生で食べる習慣がないため、とりあえず遠慮しておいた。

この生野菜の摂取を最小限にとどめたのは正解だったと思う。
が、私はこの日の夕方のフライトでヤンゴンへ帰るのだが
このフライトを待っていた辺りから大変な体調不良に襲われ、
この体調不良に帰国後も数日間に渡って苦しめられることになるのである。

今、思えばあれはきっとタマリンドが原因であろう。
写真で言うと上部の真ん中あたりにぼんやり写っている緑の皿。
そうか。あれだけ用心して生野菜に手をつけなかったのに
タマリンドが生だったら何の意味もないではないか。
と、気付いたところで時すでに遅しである。
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02

23

23:20
Tue
2010

No.0492

ビルマ記 寺院巡り

IMG_3531.jpg

たった半日だけのバガン観光で一体いくつの寺院やパゴダを巡ったことか。
バガンの町には、名もないものから有名なものまで、
無数とも思われるくらいにたくさんの寺院やパゴダが惜しげもなく建っている。
そしてその中には100年も200年も、いやもっと前の仏像や壁画が残っていたりする。
同じように見えても建物の様式や素材が時代によって違っていたり、
仏像も古いものはインド人に似ているが比較的新しいものになるとビルマ人の顔になったりと
これだけ次々に寺院ばかり巡っても飽きることはないのである。

たまに登ってもよいパゴダなんかもある。
狭く急で、かといって足元ばかりに気を取られていると
天井に頭をぶつける恐れのある非常に不親切な石の階段や、
もはや階段などという代物ではなく
ただの凸凹した外壁かと思えるような石段を必死の形相で登ってゆくと、
そこには、荒れ地が霞んで見える遥か彼方までぽこぽことパゴダが角を出している
桃源郷のような光景が広がっているのである。

こんな素晴らしい景観が臨めるバガンだが、残念なことに世界遺産の認定を受けることはできなかった。
ガイド氏の話では、昔のビルマ人達には歴史的な建築物や壁画なんかの修復をする知識がなく、
昔の様式や素材を無視して勝手に直してしまったり、汚れた壁を掃除しようと石灰をかけて磨き、
貴重な壁画をきれいさっぱり消してしまった、
消してしまった壁画の一部は復元作業を行ったものもあるが、
全ての壁画を復元するには多大な時間と費用がかかるため、なかなか作業は進んでいないのだそうだ。
また、政府によって道路が作られたり近代的な建物が建てられたりしたこともあって
世界遺産への登録は叶わなかったらしい。
が、これ以上貴重な歴史の遺産を損なわぬよう現在では専門家達の指導のもと、
現状維持に尽力しているのだと言っていた。
02

22

23:12
Mon
2010

No.0491

ビルマ記 ビルマ人の生活風景

IMG_3424.jpg
ヤンゴンのたばこ屋さん

朝8時半にホテルを出発した我々一向がまず最初に向かったのはマーケット。
現地の人々の食物や雑貨、洋服を作るお店、土産物店が軒を連ねる。
イチゴやなすびやじゃがいも、玉ねぎなどは私が普段食べているものの1/4くらいの大きさでまんまる、
かと思いきや魚屋さんに行くと、サメかと思うほど大きな魚を天秤で量っている。
ヤンゴンでも見かけたが、時々竹か何かの棒の両端に籠をぶら下げたものをかついで歩くおじさんもいる。
籠の中を覗くと、よくわからないが多分ゴミが入っていた。
雑貨屋さんでは食器や植木鉢、貯金箱なんかが山積みになって売られている。
硬貨は一応使えることとなってはいるが現在はインフレが進み、
硬貨で買えるものは何一つないため全く流通していないのだそうだ。
とすると、この貯金箱の需要が果たしてどれほどあるのか疑問に思うところである。
まさかお札を折りたたんで入れるとかではないだろうし。
ガイド氏の話では、彼が子供の頃は硬貨は普通に使われており、飴などを買ったりしていたのだそうだ。

お菓子屋さんや乾物屋さんが入っている屋根付き迷路のような建物の一角にたばこ屋さんを見つけた。
葉っぱで巻いてある色々な太さのたばこがあり、一番太くて長いものが一番安いが
都会のビルマ人は、たばこを青い葉っぱで包んで火をつけずに噛むタイプのものや紙巻きのたばこを吸い、
こういう葉っぱで巻いてあるたばこは、今では田舎のおばあさんくらいしか吸わないのだとガイド氏は説明した。
そう言えばヤンゴンの道端にいるタバコ屋さんは皆、葉っぱでせっせと何か作っていた。
このタバコは葉っぱに石灰を塗ってたばこの葉や何やらを散らし、それを包んで口に入れて噛む
とても安価なたばこであり、目が覚めたり頭が冴え冴えとするので
タクシードライバーなんかが好んで使うのだとガイド氏は言った。
夏目漱石とかの小説に出てくる、炭鉱で働く人が使う噛みタバコとかいうやつだろうか。

「ただ…」と、ガイド氏は続ける。
「このタバコは噛んでいると赤い水分が出てくるのでこれを噛んでいる人はすぐに赤い水を吐き出すんですね。
口が赤い人なんかは皆、このたばこを噛んでいる人なのです。」
ここで、私がビルマへ来て初めて出会ったタクシードライバーの口が赤かった理由がわかった。
別に唇が切れて流血していたわけではなく、この噛みたばこのせいで口が赤かっただけだったらしい。

確かに町を歩いているとおっさんがよく赤いものをビュッビュッと口から発射し、
たまに攻撃しているのかと思うほど私の足下近くでも気にせず吐いてくる輩がいる。
そして道路のあちこちに茶色いシミがあったり空港のゴミ箱にかけられているビニール袋にも
この赤い液体がもれなくこびりついていて非常に気持ちが悪い。
何より赤い液体を発射するおっさんと紙巻きたばこをぷかぷかしているおっさんとでは
前者の人口の方が圧倒的に多いのである。
この噛みたばこはタクシードライバーのみならず、広く一般的に浸透しているものらしい。

ちなみに、この噛みたばこの値段がいくらかは知らないが
紙巻きたばこは基本的に1本ずつ売られている。
1本50チャットで20本入りの1箱ならヤンゴンで800チャット(0.8$)、バガンでは600チャット(0.6$)になる。
まとめ買いがお得なのは万国共通らしい。
紙巻きたばこは比較的高級な嗜好品であるため、箱買いする現地人は殆どいない。
ので、おっさんと交渉する時に紙巻きたばこをあげると非常に喜ばれる。
アフリカなんかでもたばこを交渉道具に使うととても喜ばれたが、
1本ずつ渡さなければ箱から2~3本抜き取られて1本にはすぐに火をつけ、
残りは両耳に引っかけてお土産にされてしまうことが多かった。
勧めると1本だけ抜き取ってどうもと言うビルマの人々はアフリカの人々よりも少し謙虚である。
02

21

20:31
Sun
2010

No.0490

ビルマ記 日本人達

IMG_3474.jpg

我々が泊ったホテルの朝食は3階の屋上で食べるようになっている。
たった3階だけれど高い建物は全くと言っていい程ないので非常にいい景色である。

さて、テーブルに着くと隣のテーブルで一人の殿方が座っていた。
目が合うと言うか、私が向こうの方から騒ぎながらやって来たので
恐らくこの殿方は我々が日本人である事に気づいていたのではないだろうか。
「日本の方ですか」という言葉は旅先で言われるととても嬉しい。
あまりにも嬉しかったので、ご一緒してもよろしいかと言いながら
有無を言わさず彼の隣の椅子を引き、座り込んだ。

バガンで出会ったこの殿方は30代くらいの好青年で、名をO殿という。
会社をやめたのを機に1カ月くらいかけてアジアを回るのだそうだ。
実はヤンゴンのホテルでも日本人を見かけたことは見かけたのだが、
60代くらいの殿方2人組で、朝っぱらから聞こえてきた食事中の会話の内容が
どこそこで貴婦人を買ったとかそういった話だったので非常に気分を害したため
特に話しかけることもなく、「聞かれてるとも知らずにあんな大声でバカだね」と
氏と2人で笑いあっただけだったのである。

O殿によると、宿泊客の中に日本人がもう一人いるらしい。
話はしていないけどねとO殿は言っていたが。
この日本人は朝食の場には現れなかったのだが
我々が観光に出発する朝8時半頃、スーツにネクタイというちょっとわけのわからない格好で
妙に大慌てな様子で走ってホテルを飛び出して行った。

お互いの出身地や旅の話をしながら朝食を取り、
私はコーヒーが飲みたくなったので台の上に乗っているポットを取って来てカップに注いだのだが、
一口飲んで「いやこれはコーヒーじゃなくてお茶だ」と言い、
飲みかけのカップを氏に渡してからポットを元あった場所へ置きに行った。
親切な氏はお茶を引き受けてくれ、親切なO殿はウエイトレスを呼んでコーヒーを頼んでくれた。
ウエイトレスはすぐさまコーヒーを取りに台へ向かい、
私がお茶だと言って置いてきたポットを持って来て私のカップになみなみと注いでくれた。
私はお茶とコーヒーの区別もつかない、頭のイタイ人間であると
初対面のO殿に思われてやしないか、未だに心配している。
というか私はお茶とコーヒーの区別もつかない、頭のイタイ人間であったことに気付き、未だに困惑している。

ところでこの殿方はビルマに入って既に何日も経っているらしく
ここへ来るまでに色々回って来たようだが
どうも食事が合わずに調子が悪いとおっしゃっていた。
そうなのねとこの時笑っていた私は
後に同じ苦しみを味わうことになろうとは思いもしていなかった。
02

20

21:24
Sat
2010

No.0489

ビルマ記 24.JAN.2010

IMG_3455.jpg

宿についたのはいわゆる夜と言われる頃に限りなく近いような時間帯の夕方だった。
バガンでガイドをしてくれる中年の殿方がホテルのチェックインをしている間に
ウェルカムドリンクをマイケル氏と二人で一気飲み。

荷物を置いて、近所の散策がてら夕食を取るため外へ出た。
氏は元気にTシャツ一枚だったがバガンはヤンゴンよりも涼しく、
歩いている時はいいがじっとしていると夜は半そででは寒いくらいである。
ホテルの前を通るメインロード沿いには観光客向けのレストランがずっと並んでいて、
我々は玄関に置かれているメニューを見ながらとりあえず一通り見て回ることにした。

ここ、バガンは空港に着いたら町への入場料として10$を支払わねばならない。
しかし観光客向けの店や食堂が充実しており、おまけにヤンゴンよりも少しだけモノが安いのが魅力だ。
そして何より空気が軽い。
ヤンゴンは車がたくさん通っていて、ビルや背の高いアパートが立ち並ぶ都会である。
タイのバンコクやマレーシアのKLなどは近代化が進んで本当に大都会という感じだが、
ヤンゴンはどちらかというとスリランカのコロンボとかに近い雰囲気がある。
立派なビルや舗装された道路は一部あるものの、穴のあいたアスファルトに石をはめ込んで補修していたり
車道はアスファルトだが歩道は土だったり草むらだったりするのである。
そして車の黒い排気ガスのお陰で数時間歩いただけでもお風呂に入ると水が真っ黒になったりする。
しかしバガンは、ヤンゴンのような喧騒も息苦しさもない。
久しぶりに深呼吸をしながら氏とレストラン街を歩いた。

本当の所どうなのかはわからないが、バガンで私が訪れた場所には
ファンとうちわ以外の空調設備は存在しなかった。
レストランはすべて外であっても屋根だけ、調理場とトイレだけがそれぞれ建物というか小屋になっている。
外国客向けの本屋さんでさえ、かろうじて屋根はあるものの基本、外なのである。
ちなみに上の写真は多分、ガソリンスタンド。
バガンでは車はあまり走っていないがバイクが多いので、恐らくバイクや原付向けだろう。

荷物運びの牛や観光客運びの馬やバイクや自転車に追い越されながら1時間半程は歩いただろうか。
もともと街灯などない道である。
屋外レストランのきらびやかな照明がなくなると途端に暗くなった道を、
現地の人が使う万屋(スーパーマーケットもないので)や
民家の明かりで歩いていた我々だったが、開いている店もだんだん少なくなり
暗闇度がますます増してきたので、
この辺りで引き返してさっきのレストラン街へ戻り、ご飯を食べようということになった。

来た道を引き返すことほど辛い事はない。
どうしてこんな遠くまで歩いてしまったのかと自分自身を責めながら、
またよくぞここまで普通に歩いてこられたなと自分自身に感心しながら、
来た道をひたすら戻った。
あのまま歩き続けたらホテルの前に戻れたことも知らずに。
しかもその方が引き返すよりももっとずっと近かったことも知らずに。

とあるレストランに入ったのは9時過ぎだった。
“いらっしゃいませ“と“ありがとう”くらいの日本語がわかるおじさんウエイターが
3分に1回くらいの頻度でテーブルに寄って来ては用事がないかと探している。
おじさんは呼べば3秒でやって来るが、料理が運ばれてきたのは注文してから40分の後であった。
02

13

23:23
Sat
2010

No.0488

ビルマ記 バガンへ

IMG_3475.jpg

バガンへはエアバガンという航空会社の飛行機で向かう。
ビルマでは、政治の話やアウン・サン・スー・チーさんの話などはご法度であると聞いていたが
ホテルから空港まで乗せて行ってもらったドライバーは、湖の傍を走っている時に突然小声で
ここがアウン・サン・スー・チーさんの家であると教えてくれた。
スー・チーさんの家は赤い屋根の立派な家だった。
我々は特にそこから会話を膨らませることなく、そのまま行き過ぎた。

さて、空港に着いた我々は荷物検査を受けてボディチェックのゲートをくぐる。
ゲートのチャイムは鳴る人と鳴らない人がいるが、鳴っても鳴らなくてもミカン箱みたいなものの上に乗り、
キュインキュインと音のする機械で必ず再度チェックを受けることになっている。
空港の中には待合のための椅子がたくさん並んでおり前にはTVが設置されている。
売店もちゃんとあって、階段を上ると2階には立派なレストランもある。
色々あるようだが、上記以外には何もない。

最初はおとなしく氏と並んで座っていたのだが私はだんだん飽きてきた。
トイレに行ってみたり何も食べないのに階段を上って誰も客のいないレストランに顔を出してみたり
何も買わないのに売店内をウロウロしてみたり
セキュリティチェックのおばさんに外に出たいと頼んでみたりして時間を潰す。

しかし、1時間以上待ったと思うのに一向にアナウンスがない。
と、航空会社の関係者っぽい人が何人かやって来て
椅子に座っている人たちに何やら頭を下げて話しはじめた。
一人ひとりに話してまわっているのでそのうち我々の所にもやって来るだろうと思っていたが、来なかった。
よくわからないがきっと飛行機が遅れるといっているのだろうと推測する。
どうもここにはアナウンスのための放送設備がないらしい。

説明にやって来た航空会社の人々は、いつの間にかいなくなった。
と思ったら、待合席の後ろの方で談笑している。
いつまで待てばいいのかもわからず、まだかまだかと氏を急かしてみたところ、
氏は席を立ってどこかへ行ってしまった。
一人にされて退屈していると、氏はジュースと水を買って戻って来た。
騒ぎすぎて喉も渇いていたのでありがたく水を頂戴する。
結局、飛行機は2時間程遅れて離陸した。

機内は非常にきれいだった。
氏と、ボロボロじゃなくてよかったねなどと話していると、
隣の列に座る欧米人の中年貴婦人がクーラーの直風が寒いからどうにかしてくれと乗務員に文句を言った。
対応していた乗務員は、この部分を調節すると風がこなくなりますよと少し離れた場所から口頭で説明していた。
欧米人の中年貴婦人は、できないから言ってんじゃないのさとさらに語気を強める。
乗務員はやれやれと言った感じで歩み寄り、貴婦人の真上にある送風口をいじりはじめたが、
調節する部品が壊れていたらしく、「…空いてる席のどこに座っても構いませんので」
と後ろめたそうに言ってから歩き去った。

さて、この飛行機は経由便で我々が降りるのは最終のニャン・ウーという空港である。
そこへ着くまでに2か所の空港に立ち寄るため、この調子で行けばホテルに着くのは夜になるだろう。
空港で飽きるほど待ったのにここからまだ3時間は座っていなければいけないのは退屈の極みであるが、
一つテンションの上がる事がある。
それは、この飛行機は国内線ながら軽食としてサンドウィッチとケーキが出てくるという事である。
しかもプレートが白と水色のティファニーカラーでとってもかわいい。

ケーキのお陰で、飛行機の遅れなんて仕方のないことさと一気に機嫌を良くした私だが、
この飛行機は帰りの便でも問題なくバッチリ2時間半、遅れてくれた。
02

12

23:55
Fri
2010

No.0487

ビルマ記 ヤンゴン街模様

IMG_3422.jpg

午後からバガンへ向けて出発するので午前中は氏と一緒に
街中にあるスーレー・パゴダを訪れたり足のむくまま歩いてみたり
ボーヂョー・アゥンサン・マーケットを訪れてお買いものをしたりと
ヤンゴンの街をひたすら歩くことにした。

パゴダの中では相変わらず金色に輝くパゴダのおかげで眩しくって目が開かない。
しかしながらヤンゴンの人々は一生懸命お祈りをしたり家族で日陰に座って休んだりしており、
非常にゆったりとした時間が流れていた。
が、ひとたび外に出ると、行き先が“ミッキー“のバスが走っていたり、
腕に経文の刺青を彫りまくったちょいワルというか超ワルな僧侶が歩きタバコをしていたり、
はたまた純粋そうな5歳くらいのちびっこお坊ちゃまが托鉢用の椀を抱えて
お布施を入れるまで甘えるようなかわいい目つきで私の横にぴったり寄り添ってきたり、
また、ご飯でも食べようと店に入ると、ウエイターが“中野“と刺繍された体操服を着ていたりと
非常にカオスなことになっているのである。

さて我々は、ロンヂーという布を腰に巻いて履く民族衣装を求めてボーヂョー・アゥンサン・マーケットへ向かった。
民芸品や宝石類、絵画にサンダルに衣服など色々なものがここでは売られている。
氏はまず、ビルマ語のアルファベットが書かれたTシャツを買うとTシャツ屋さんへ向かった。
一緒に見ていると私も欲しくなってきたので1枚購入することにする。
店員の少女は、本当は3000チャットだけど2000チャットでいいと突然言ってきた。
ということは、頼めば1000チャットくらいまではまけてもらえるのかなと思っていると、
氏は、メンズは布をたくさん使うからまけられないと別の少女に押され、3500チャットで早々に折れていた。

Tシャツ屋さんを出てサンダル屋さんやロンヂーのお店を見て回っていたが、
キッズ用のTシャツがとても可愛かったのを忘れられず
私はさっきのTシャツ屋さんへ一人で戻り、ちびっこ用のをくださいと言った。
すると値段が3750チャットに上がっていた。
使う布の多さで値段が決まると言ったくせにキッズがメンズより高いのは法外じゃないかと抗議して
プイと出て行こうとしたら、さっきの少女がまあまあと窘めにやって来て、
1500チャットにするから落ち着いてと言った。
私の抗議が思いの外、店員さんを慌てさせてしまったため、買わずに出るのも出にくく、
もっとまけてよとお願いするのもきまりが悪くなったので1500チャットで甥っ子の土産を購入。

氏の所へ戻り、私は喉が渇いたから今からカフェにゆく、依存はないでしょうねと自分の意向を伝えた。
彼は別に構わないと答え、我々はなるべく衛生的に安全そうな店を選んで入り、
私はアイスコーヒーを、氏は缶のコーラをそれぞれ注文。
思えば氏はいつも缶コーラを飲んでいるなと思ったのでそれについて尋ねてみると案の定、イタイタ対策だった。
質問ついでにお勘定は氏にお願いしてもよいのかしらとそれとなくつぶやくと
もちろんさと氏は快く引き受けてくれたのでお言葉に甘えて席を立ち、
カオスな町並みをしっかりと目に焼きつけながら次なる場所へ向けてヤンゴンを後にした。
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10

23:25
Wed
2010

No.0486

ビルマ記 パノラマホテル

IMG_3383.jpg

このホテルはツイン1泊28$、シングル1泊24$、中級ホテルである。
立派な佇まいの建物の玄関には常時2名のドアマンがいて、
出入りの際には必ずドアの開け閉めをしてくれる。
そしてフロントには可愛らしい少女が3人、ひっきりなしに鳴る電話をしきりに取りながら
くるくると動いては仕事をしている。

ホテルにチェックインをした際、まず驚いたのがフロントがあまりに忙しいことである。
電話を置いた傍から次のコールがなっており、
3人しかいないのに電話が5つも6つもあってどれも鳴りやまない。
こんなに忙しいのに少女達は、日本にあるその辺のホテルのフロントよりよっぽど感じが良い。
店員の感じが良いのはホテルだけではなく、私が訪れたビルマ中の人々で無愛想な人間は1人だけだった。
その1人とは、バガンという町からヤンゴンに戻って来た日に乗ったタクシードライバー。
後はイミグレーションや手荷物・身体検査の検査官に至るまで全ての人が丁寧で親切なのである。

話を戻して。
2番目に驚いたのは、フロントの少女の文字の書き方である。
縦書きをしているのに、それを90度回転させると見事に横書きのアルファベットになっている。
別のフロント少女を見ると、その少女は45度くらい傾けて書いていた。
が、書いているその少女の首から上も45度傾いているので結局は普通に横書きをしているように見えた。
また別のフロント少女は紙をやはり斜めに置き、ほぼ縦書きで書いていた。
得手不得手はあるみたいだがここの人達は習慣として、
書くのは下から上に縦書き、読むのは横らしい。
私の対応をしてくれた少女は3人の中で横読み縦書きの一番の名手である。

さて上の写真は、我々が宿泊したホテルの洗面所に貼られていたものである。
クリック頂くと大きな画像で見られるのでぜひゆっくり見て頂きたい。
1000チャット≒1$である。
一番高価なのはダブルのブランケット、そしてエアコンのリモコンとシングルのブランケットは同額、
TVのリモコンはエアコンのそれよりもお求め易くなっている。
そう、このホテルのアメニティは購入できるのだ。しかも安い。

リモコンだけなんて要らないなんて思う勿れ、
リモコン屋さんはヤンゴンの町では立派な商売として成り立っているのだ。
ご自宅のエアコンやTVと型が合えば大変お値打ちである。
ちなみに町にはリモコン屋さんだけでなく、体重計屋さんもある。
これは体重計に特化したお店、体重計専門店ではなく、
道端に体重計を置き、体重を量らせてあげる商売である。

体重計屋さんは生活が成り立つほど繁盛しているのかどうかはわからないし、
ホテルの備品が気に入って買っていく人がどれだけいるのかどうかもわからないが、
ヤンゴンの人々はとにかく何でも商売にしてしまうらしい。
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09

23:03
Tue
2010

No.0485

ビルマ記 ヤンゴンのタイ料理

IMG_3278.jpg

氏という人間は、体は大きいのにとても神経質で
歯磨きをするのに水の入ったペットボトルを持ち込むのを見た時は驚いたものである。
水道水で口をすすいでも腹壊したりはしないだろう…多分。
もしかしたら氏はとってもお腹が弱い人なのかもしれないので指摘はせずに見なかったことにする。
まあ、鋼鉄の胃腸を持つ私も、自分で言うのも何だけれど根は神経質な方なので
気持ちはわからなくはないのだが。

さて、ビルマはとんでもなくモノが安い。
ので私の論理からすると、あり得ないくらいリーズナブルな旅ができる。
しかし氏の論理からすると、日本の物価で考えると普通に旅行しても非常に格安だ。
こんな相違点が2人の根底にあるわけなので、食事をするにも氏の選択肢には
旅行者が躊躇なく入れる清潔なレストラン以外に選択肢はないのである。
というか、タイの屋台飯は安心だがビルマはちょっと…という恐怖心があると思う。
まあ、私もここの屋台飯は間違いなく危険だと踏んでいたので異論はない。

とにかく、夕飯はタイ料理の店に入った。
高い高いと言っても2人でお腹いっぱい食べてビールを飲んでも10$でおつりがくる。
私は鶏肉とご飯のセットメニューを、氏は丼物だったか別のセットメニューを頼んだ。
やって来たウエイターはこの上なく丁寧な殿方だったが、
私がコレと指さした先を見るなり、これはとっても辛いのだけれどそれでもいいかと聞いてきた。
酸っぱいのは苦手だけれど辛いのは平気な私は全く問題ナシと答えた。
ウエイターはそれでも食い下がって「いやいや本当に辛いのだ。本当に本当に本当に大丈夫か」と。
いいからいいからと自信を持って頷くと彼は引き下がった。

どんな辛いのが出てくるんだろうねと話しながらしばし待つ。
料理はすぐに運ばれてきた。
運んできたのはさっきの人とは別の殿方だった。
料理が盛られた皿をテーブルの上に置くなり私に向かって、
「この料理はとっっても辛いんだけど大丈夫か」と、聞いてきた。
さすがにちょっとビビり始めるも出来上がった料理を前に「いややっぱムリ」なんて言った所で
どうなるものでもないし、砂糖なんかをかけられても困るのでとりあえず大丈夫だと答えた。
そんなに店員がお勧めできない料理をなぜメニューに載せるんだ。しかも写真付きで。
この2度に渡る脅し(?)に氏もビビっているようだった。

で、とりあえず一口…そして感想はと言えば、
普通に辛い。以上。
ええーと言いながら氏も一口食べてみる。
うん。辛い。以上。
ずっと食べていると確かに辛いけれどそんな脅される程でもない。

これは恐らく、過去にこの料理を頼んだ辛いものが苦手な客が
「こんな辛い料理食えるかい」とクレームを言って店員達を震え上がらせたか
単にビルマの人達は辛いものが苦手かのどちらかだろう。
しかしビルマのローカルフードは何かと尋ねるとカレーだと答える人が
圧倒的に多かったことからして、きっと前者に違いない。

そして辛いものには口直しの生野菜が必須である。
が、キュウリを一つ食べたところ、中心部分(タネみたいなぶつぶつがある所)がゼリー状になっていて
口の中が途端に不快になったので、申し訳ないとは思ったが全く食べられなかった。
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08

23:12
Mon
2010

No.0484

ビルマ記 ヤンゴンの夕暮れ

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散々、いやもう飽きたというくらい寺ばかり見て周り、
夕方5時過ぎにホテルへ送ってもらった。
今回の同行人であるマイケル氏は7時に空港へ到着する予定のため、
ここへ着くのはきっと8時頃になるだろうと踏んだ私は
土地勘をつけるために2時間程、ヤンゴンの街を縦横無尽にひたすら歩きまわった。

建物はどれも非常に古くボロボロ、でもベランダや窓に施された細工は
ヨーロッパの様式みたいで凝った造りをしており、
どれもこれも新しかった頃はとても素敵な建物だったのだろうと思われた。
そんなアパートの多くの窓からは何本もの紐がぶら下がっており、先端にはクリップがついている。
何のためのものかと訝しがっていると、前を歩いていた中年の女性が
とあるアパートの前で立ち止まり、ふいにその紐を何度か引っ張った。
すると鈴のような音がジャリンジャリンと鳴り、アパートの窓の一つから女性が顔を覗かせた。
どうやらチャイムの代わりらしい。
が、どの紐を引っ張るのか間違えないよう、慎重な対応が必要である。

町並みに目を向けると、屋台はもちろんあるしご飯屋さんだけでなく、
カフェなのだと思うが座っている客が皆揃ってコーヒーを飲んでいる店もある。
が、どの店の机といすもKIDS用か風呂椅子かというくらいのミニサイズで
大の大人が膝を折り曲げてコンパクトに座っている様子は何となく笑いを誘った。

若者たちが集っているカフェで客の一人に、一緒にコーヒーを飲んでいけと誘われたが、
ここで腰を下ろしてしまったら最後、氏が到着するまで動けなくなるに違いないと思い、丁重(?)に断る。
氏が来たらこのネスカフェ(?)屋さんでコーヒーを飲もうと考えながら、私は探検を続けることにした。
歩きまわってお腹は空いたが、氏だって空腹を抱えてやって来るのだから待っているのが礼儀である、
また、着いた頃には真っ暗になっている街を歩かねばならぬ氏のために
ホテル近辺くらいは迷わぬように道を覚えておくことは自分の使命であると思ったからである。
と、いうのは建前であって、実際に脳を駆け巡っていたのは
街の空気と屋台周辺に立ち込める食べ物の匂いから、いくら鋼鉄の腸を持つ私と言えども
ここでモノを食べてはいけないという警戒信号である。
仮に屋台ものを口に入れるとするならばせめて氏と一緒に。
死なば諸共、当然イタイタの苦しみも共有するべきだ。だって同行者だもの。

空腹に耐えること2時間、7時に一旦ホテルへ戻る。
ホテルのロビーでは氏があらかじめ手配しておいてくれた旅行会社の女性が私を待っていた。
依頼者である氏が来るまでロビーで待つからどうぞ部屋でゆっくりしていてくださいと言われるが
自分は特にすることもないし、氏はまもなく来るはずなので
ここで一緒に話でもしてましょうとゆったりしたソファに腰掛けた。

さて、全行程5日弱の私に対して9日間の旅行になる氏はスーツケースを引き引き、8時前に現れた。
そこで航空券やガイド料、車代を清算し、スケジュールをこれでもかというくらい丁寧に確認。
そしてようやくご飯を求めて夜のヤンゴンへと繰り出したのである。
02

07

22:48
Sun
2010

No.0483

ビルマ記 ガイド氏のこと

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ガイド氏の案内で、我々は昼食をとるためにレストランへと向かった。
少し値段は高いがクーラーがかかっているのでお勧めなのだそうだ。
値段が高いと言われて多少しぶってはみたが、結局その店に入った。
店内は本当にクーラーがよく効いていて涼しく、何と言っても清潔感があった。
メニューを開きながらガイド氏は、一番安いのは焼きソバであると教えてくれた。
そうなのかじゃあそれ…なんて言うわけもなく、
この店に入ってしまえばその中で何を食べようとも劇的に値段に差があるとは思えない。
コメ料理が焼きソバの2倍の価格になるとかは到底考えにくいと思ったので
ソバは嫌だチャーハンがいい、それからお茶を持って来てくれとウエイターに伝えた。

焼きソバでもチャーハンでもラーメンでもとにかく料理が決まったら次は
鶏か豚か牛かエビを選ぶようになっている。
これはこの後、どのレストランのどの料理を頼んでも
そういうシステムになっていた。
私はいつも鶏を選択していたのだが、後から聞いた話では一番高級なのはエビだそうだ。

お茶はポットに入ってやって来たのでガイド氏にも振る舞い、
チャーハンも軽く3人前かと思うほど山盛りだったので半分をガイド氏に食べてもらうことにする。
そうして始まったランチタイムの間は、ガイド氏が如何にしてガイドになったのかを尋ねてみた。

ガイド氏は、お坊さんに日本語を習ったのだそうだ。
観光客のガイドになるために3年の月日を費やしてお坊さんの下で日本語を習得し、
ガイドの資格試験を受けて合格、晴れて観光ガイドとなった彼は
よーしこれから日本人を相手にいっぱい仕事をするぞと意気込んでいた。
が、その直後、不運なことにそれまで日本⇔ヤンゴンの直通便を飛ばしていたANAが撤退、
途端に日本人が全くと言っていいほど訪れなくなったのである。

「ダカラボク、セーカツハ トテモ コマッテマス。デデデデモ ボクハ アキラメマセン」
びびびと音を鳴らしながらお茶を啜り、彼はこう言った。

タクシードライバーが簡単な日本語の単語を知っていたり
その辺のレストランで片言の日本語を話す人がいたり
日本語でガイドをする現地の人がいたりするのは
ANAと「ビルマの竪琴」のおかげで
過去にわんさと押し掛けた日本人達の遺したものなのかもしれない。

ちなみに、ヤンゴン市街地の中にあるとあるビルの看板には
他の航空会社と並んでちゃんとANAのロゴも入っている。
02

06

23:22
Sat
2010

No.0482

ビルマ記 白い象

IMG_3351.jpg

当初の情報通り、白い象は空港から市街地への道を途中で逸れてしばらく走った所にあった。
箱のような小屋に人がいて受付をしている。
ガイド氏がノートに何やら文字(名前か?)を書き、私に200チャット出すように言った。
心付け?としてそれを受付に渡し、両脇で草がぼさぼさに茂っている小道を歩いて行く。

小道は屋根のついた休憩所のような広まった場所まで続いていた。
何枚かのパネルが並んでおり、売店では少女が売り子をしていた。
その向こうはとてもきれいに整備された公園のようになっていて、
そこにもう一つ大きな東屋があり、その下には3つの大きなお尻が並んでいる。

いたいたと駆け寄ると、なんとこの休憩所から向こうへは柵が張ってあって進めない。
白い象は動物園で見るよりも遠い東屋の下で、片足を鎖で繋がれていた。
もちろん、写真撮影も禁止である。

白い象は3頭いた。
そのうち2頭は、白というかベージュっぽい感じの色で
確かに普通の象に比べるとかなりの色白さんである。
が、もう1頭はどこからどうみても普通の象にしか見えない。
ガイド氏に、2頭は確かに白いけれどもあっちの象は普通の象に見えると訴えたところ、
ソデスカとあまり興味なさげに言った。

ガイド氏と一緒にパネルを見ながら象のプロフィールが書かれたパネルを見て回っていると
いつのまにか銃を肩にかけた警備員さんがどこからともなく現れた。
パネルから離れて再び象を見ている私を尻目にガイド氏は警備員さんと何やら話しこんでいる。
カタカナがあまり聞こえなくなったので、私はゆっくりと象を眺めることにした。

確かに距離が結構あって遠いとは思っていたが、
どれだけ眺めても立つ位置を変えても象の顔があまり見えないことに若干、不満を覚えた。
2頭の白い象は密着して並び、後ろ片足を鎖で繋がれている。
もう1頭の普通の象は少し離れた所でやはり後ろ片足を繋がれている。
そして彼らは向こうを向いた状態で繋がれている上に、象が自らの意志で立つ方向を変えることは
できないように上手に繋がれているため、見物客は象が横を向いた時に横顔が見えるくらいで
基本的には象のお尻しか見えないのである。
遠くからではあるが、こんなに真面目に象のお尻を見たことがかつてあっただろうか。

ガイド氏に、この象達は夜もここで眠るのかと尋ねると、ガイド氏は銃を持った警備員殿に聞いてくれた。
朝と夕方に1時間ずつこの敷地内を散歩し、後はずっとこの東屋にいるのだそうだ。
もちろん眠るのもここで、象が散歩をしている間に掃除をするとのこと。
象と象があんなに至近距離で繋がれているのにどうやって眠るのだろうと思った。
柵の向こうの整備された公園のような敷地は象のための道なのだと警備員殿に教えてもらった。

私たちが歩いてくる小道はあんなにぼさぼさなのに2/24時間しか使わない象の散歩道は
舗装されているしまるで公園、この象の位の高さを物語っているようではあるが、
22/24時間は3歩も進めないような状態で繋がれているなんてなんとも気の毒な話である。

帰りに、売店で彼らのブロマイド?とパンフレットを購入した。
パンフレットと言っても三つ折りの簡単なもので、私の感覚でいけば
これは入場時に無料で配られる類のものであって売り物ではない。
が、ここではそれも立派な商品であり、値段は1000チャット(≒1$)。
写真はそれぞれの象の写真がラミネートされているもので3枚セット、
これもやはり値段は1000チャット(≒1$)。
安いじゃんとお思いかもしれないが、タバコが1箱(20本入り)800チャットなので
ビッグマック指数風に考えると400円くらいか?

法外である。
02

04

23:50
Thu
2010

No.0481

ビルマ記 シュエダゴンパゴダ

IMG_3320.jpg

シュエダゴンパゴダは大変大きなパゴダである。
入場料を払い、財布をバッグに仕舞いながらごぞごぞしていると、
「ココデ クツヲヌグト イインデスネー」
と、私の背後に片仮名が降りかかってきた。
日本語が聞こえてきたことに何の疑問も持たず、ソウナノデスネーと振り返るとそこに日本人はいなかった。
そうだここは日本じゃなかった。
空耳かしらと首をかしげていると、一人のビルマ人殿方が手を前で組んで私に笑いかけている。

「ボボボボッボクボク、ニホンゴ デデデデキル guide デス。
コノォ pagoda ワァ トゥトゥトゥテモ ヒロイノデ guide、イタホガ イインデスネ。
ボボボボクガァ アンナイ デキマス。 ソノカワリ 5$ ダケ クククククダサイ。
1ジカンクライ カカリマスマスネ。」

この人はビルマ語しゃべる時もこんなに早口でどもるのだろうか。
ここのガイドはどうでもいいけれど、5$ならとりあえずこの人を雇ってみて、
ここが終わったら白い象の居場所を聞いてみよう。
ガイドなら何か知っているはずだ。
白い象の情報を5$で買うと思えばいいのだから。

タクシーを雇った時から、節約の2文字を頭から消し去っていた私は、
そんな軽い気持ちでこのガイドを雇うことにした。

サササドーゾとガイドは私をエレベータに乗せた。
外は昭和初期みたいな暮らしぶりなのにパゴダにはなんと立派なエレベータがついている。
しかも私の泊っているホテルより立派なものである。
私とガイドの他にこのエレベータには、オレンジ色の布を纏ったお坊さんが3人乗っていた。
“ビルマの竪琴“みたいであるなと思いつつ、こういうお坊さんというのは
私なんかとは住む世界の違うとってもエライ人、というイメージを持って一人で固まっていると、
3人のうちの1人が私に、どこから来たのかと聞いてきた。
日本から参りましたと引きつりながら答えるとお坊さんは、「そうか。私は韓国だよ。」と言った。
するともう一人が「お嬢さん、koreaはkoreaでもコイツは北朝鮮だよ。ひゃひゃひゃ」と冷やかした。
先ほどのお坊さんは、「何だと、私は韓国だ。北朝鮮はそっちじゃないか。カカカッ」と高笑いし、
茫然とする私を残して3人は騒ぎながらエレベータを降りるとどこかへ去って行った。
どうも勘違いしていたようだ。お坊さんは普通の人…?

さて、降り立ったこの場所は天国と見紛うほどに眩しい世界だった。
長い渡り廊下を歩いて行くと大きな菩提樹があり、金色に輝く仏塔がいくつも立っている。
金箔を貼った屋根に白い壁面、要するに反射して眩しすぎるため目が開けられないのである。
仏塔のてっぺんからぶら下がる傘の飾りにはダイヤやルビーなどの宝石で飾られているらしい。
が、仏塔が高すぎて肉眼では見えないのでガイド氏の商売道具である写真にて宝石を確認する。
写真はボケていて何が何だかよくわからなかったが、無数の宝石が埋め込まれていることだけはわかった。
また、裸足で歩くには床が熱いんじゃないかと心配したが、
タイルはすべて大理石でできており、どちらかと言うと心地よいくらいの温度だった。
「デモ ショキ(暑期)ニナルト サスガニ アルケナインデスネー」とガイド氏。
しかし、熱くないからと油断しているとたまにセメントで作られた段なんかが罠のようにあり、
うっかりそこを踏もうものならまるで苦行なので気をつけなければならない。

きらびやかなパゴダをガイド氏の案内で一通り見学し、外に出ようかという時になって
「コレカラノ ヨテイハ ナニカ アルンデスカ?」とガイド氏が尋ねてきた。
決めていないが夜に友人が来るのでそれまでは町を見て回ろうと思っていると伝えると、
「ワワワワワタシ ホカノ pagoda ヤ オオオオオテラテラテラァ、
アンナイ シマシマシマス。15$、 デス。」とガイド氏。
夕方までタクシーを雇ってるし、その15$はここのガイド料込みか否かと尋ねると
タクシーはそのまま使うから問題ないし料金はここのガイド込みで15$だと答えた。
例えばどんな所へ連れて行ってくれるのかと問うたところ、
「ボボボボボク オモシロロロイ トコロ、イロイロ シテマス。
●×パヤー ニハ オッキナ ブツゾー アリマス。 ネハンブツモ ミニイキマスシ アトアトアト…

シロイ ゾー トカ…」

白い…ゾー?像? 象!?
ゾーとは象のことかelephantのことかと興奮して聞き返すと、
ええー興味あるのそこなの?みたいな顔つきで、確かにwhite elephantだと言った。
無論、私は彼の申し出を受け入れることにした。
02

03

23:27
Wed
2010

No.0480

ビルマ記 チャイナタウン

IMG_3253.jpg

町のヤミ両替で現地通貨を調達し、ヒンドゥー寺院を外から眺めた後、
次にタクシーが停まったのは中国の寺の傍だった。
駐車場風の所に車を停めたドライバーは、
「ここはチャイナタウンである。自分はここで待っているから遊んでおいでなさい」
と言った。
ちょうど、何かフェスティバルをしているとかで寺の敷地内には空にも届きそうなほど大きな鬼が立っていた。
風船のようなこの鬼、たぬき祭りとかでよく見るアレのようだなと思う。
ほら、キャラクターとかの形のテントで入口がついていてクソガキ殿が中に入って跳びまくるアレのことだ。

塀の外側からその鬼を見上げているとミャンマー人の殿方2人組が腕を組んでやって来て、
私が持っているカメラで自分達の写真を撮ってほしいと言う。
そうそう、マレーシアでも街ゆく人々によくそうやって言われたなと思いながら
ああいいですよと軽く返事をして写真を撮ってあげた。
駆け寄って来た彼らは、今度はその写真を見せろと言いだしたので見せてあげると
ご機嫌に顔を見合わせて2人で頷き合っていた。
どうやらこの2人はカップルらしい。
長髪の殿方が彼氏で短髪の殿方が彼女といったところか。

じゃあそういう事で…と立ち去ろうとしたところ、
せっかくのフェスティバルだから寺の中を見て行こうと半ば強引に連れて行かれた。
遊んでくれるつもりなのかと思いきやそうではなく、
今度は勇ましい戦士?の像の前で写真を撮れ撮れと叫んでいる。
他人の写真、しかもこんないい年の殿方の写真なんてそんなに何枚もいらないのにと思ったが、
既に二人は肩を寄せ合ってポーズを取っているのでもう2枚、撮ってあげた。

じゃあそういう事で…と再び立ち去ろうとしたところ、彼氏の方がちょっと待てと言う。
今度は何なんだと振り返ると、「まだ写真をもらっていないぞ」と。
もしもしポラロイドじゃないので今すぐは無理ですよと言うが、
だってさっき見せてくれたのに…とスネてしまった。
誰かチェキか何か持ってこいと思いながら、
今すぐは無理だけど、メールアドレス教えてくれたら送って差し上げますよ
と、代替案を提示した。
2人はひそひそと相談している。
ああ、これはもしかして言葉の壁か…?と思ったが懇切丁寧に言うのも面倒なので
メールで送ってあげる、メールアドレスは持っているかいと尋ねたところ、
彼氏はしょんぼりと俯いてただ一言、「…ううん」と、言った。

ああそうか。ここではまだネットが普及していない。

電話BOXもない国である。電話をかける時は有人の電話屋さんでかけるのだ。
ネットカフェやケータイショップはあるけれど、
ここの人たちにとってそれらは手軽な通信手段ではない。
ネットなんかは検閲があるとか聞いたことあるし。

とにかく、メールの送受信など至極当然みたいな自分の奢った態度を深く反省し、
落ち込む彼に住所を教えてくれたら現像したものを送ってあげると言ってみた。
と、何だか2人でアドアド言ってるなと思っていると今度は本気で言葉の壁だった。
「アドレス...アドレス...? ……!! “a・d・d・r・e・s・s“の事だよハニー!!」
みたいな事を言っていたのだろうと思われる。
そう、アドレス。だからそれでいいでしょうと言うと、
相変わらずアドアド言いながら2人でこそこそ相談した後、彼氏は苦笑いしながらオッケーバイバイと言った。
彼女がそこまでしなくてもいいでしょ諦めましょうと諭したのかもしれない。
とにかく門を出て私は市場のある右方向へ、彼らは元来た左方向へと歩き出し、寺を後にした。

日本に戻り、PCで撮った写真を見ていると彼らの写った写真が3枚出てきた。
私は少し、心が痛んだ。
02

02

23:26
Tue
2010

No.0479

ビルマ記 23.JAN.2010

IMG_3290.jpg

白い象は空港からヤンゴンの市街地へ行く道中にいる。
との情報を得ていたので私は、
なるほど。ならば空港でタクシーチケットのカウンターを通さずに
直接ドライバーに掛け合って、白い象に会ってからホテルに送ってもらえばいいじゃないか。
と、安易に考えており、詳しい地名やなんかはまったく知らないままに
意気揚々とヤンゴンの地を踏んだ。

こじんまりとしてはいるが思いの外キレイな空港を出ると
「TAXI? TAAXII?!」
と、他国の空港前と同様にドライバー達が寄ってきた。
違うことと言えばドライバー達がスカート?を履いていることくらいか。

一番先に声をかけてきたのは、さっきまで出血していたのか痛々しい程に唇の赤い青年である。
人相は悪くない、むしろとても人の良さそうな青年だ。
が、その唇は大丈夫なのか。
リップクリームでもあげたいくらいである。

気にする素振りもなく彼は「ドコ、イクノー」とか言っているので
とりあえずホテルの名前を告げると、「よしわかったレッツゴー」と荒れた唇で笑った。
あまり笑うと裂けますよと心の中で忠告しながら、
ところで、白い象がいると聞いたがどこにいるか知っているかと尋ねてみた。

「…… white....elephant?」

ナニソレみたいな顔をした彼の動きが止まった。
うん、そう。と、当然のことのように頷いた私に彼はエーとかアーとか言いながら、

「…… white....elephant?」

と、もう一度聞いた。
彼はとっても困っているようだった。
いきなり空港から出てきて何言ってるのこの娘、頭イタイんじゃないのみたいな顔つきである。

私は急に恥ずかしくなった。
不確実な情報なのに、ビルマの人なら誰でも知っているものと思い込み、
胸を張って白い象はどこだなんて聞いたけれども
あの情報はもしかすると何年も前のものだったのかもしれない。
白い象はもうこのヤンゴンにはいないのかもしれない。
このドライバーは白い象の居場所を知らないのではなく、
“わざわざ日本くんだりからやって来たこの娘、いつの時代の話をしてんだよ。”
なんて思っているのかもしれない。

強い日差しの下で考え込んでしまった私に、荒れた唇の青年は
「ホテルに行くのではないのか」と慰めるように聞いてきた。
そうだ。ホテルにも行かなきゃ。ていうかこんな所で考え事してたら暑いし。
顔を上げて青年に、ホテルへ送ってと伝えた。

乗り込んだ青年のタクシーには、窓がなかった。
給油メーターもスピードのメーターももちろん壊れて機能していなかった。
が、一人前にタクシードライバーの身分証みたいなものは顔写真付きでちゃんと貼り付けてあった。

さて、私は白い象がもはやヤンゴンにはいないという事実に多大なるショックを受けている。
この旅の一番の目的が白い象だったのだから当然であろう。
じゃあヤンゴン市内を散策してみようみたいな気でも起こればまだマシだが、
ホテルも旅程もマイケル氏に任せており、かつ既に氏がすべて手配済みのため、
後は今晩、氏が来るまでの半日のみしか私に残された探検の時間はない。
しかも白い象さえ見られればそれでいいと思っていた私は
ヤンゴン市街地について何の下調べもしておらず、地図もない。
ああ、遥かなるビルマまで私は一体何のためにやって来たのか。
行けば象には必ず会えると信じて疑わなかった自分の奢りを心底後悔した。

そんな私の気も知らず、唇の荒れた青年は
自分の国はとても貧しい国であると事あるごとに連発し、
ぎゅうぎゅうに人の乗ったバスが通るたびに指さして「ほらね」と言った。
彼はまた、「日本語にとても興味を持っているんだよ」とも言った。
象の不在から立ち直れない私が、ただ「ふーん」とだけ答えると、
「僕はとっても日本語に興味があるんだよ」ともう一度言ったので
打ちひしがれながら私ももう一度「ふーん」と答えた。

彼は苦笑いしながら、今度は名前を尋ねてきた。
babarであると返答すると、「僕の名前はここに書いてあるぞ」と言いながら
タクシードライバーの身分証みたいなものを指さした。
うなだれながら身分証に目をやり、何て読むのかと尋ねると、
なんだか長い名前を言われたのでどこからどこまでが名字でどこからどこまでが名前なのかと聞くと
「僕達には名字はない。これは全部名前だ」と言った。

そうこうしているうちにホテルに到着。
お金を払おうとすると、青年はヤンゴン観光に自分を雇ってくれと打診してきた。
タクシーで観光だなんて滅相もない話であると首を横に振りかけたが、待てよと思い直す。
私には地図もなければ時間もない。
また、氏が手配してあるこの後の旅は、飛行機での長距離移動、ドライバー&日本語ガイド付き観光、
清潔なホテルと豪華な内容になっており、
そんな中で半日だけを$5や$10ケチった所で大したコストダウンにはなりそうにない。
しかも一番重要な事は、実質3日の弾丸旅行でケチるべきは時間であって費用ではないという事である。

と、言うわけで、ヤンゴン観光を夕方までこの青年にお付き合い頂くことに決めた。
02

01

22:19
Mon
2010

No.0478

ビルマ記 for gumi ―プロローグ―

ビルマへは以前から行きたいと思っていた。
ヤンゴンという都市に、白い象がいると聞いたからである。
そんなある時、あまり親しくないながらも10年来の友人マイケル氏が
ビルマへ一人旅をするのだと言ってきたもんで
これは好機とばかりに手を挙げた。
それがこの旅の始まり。

そうと決まれば下調べが必要だ。
何せ氏は、周りの人があまり行かないような僻地に行きたいのが本音だろうが
旅の趣旨はと尋ねたところ、ひたすら寺を巡る旅だとのたまった。
無論、象には興味なし。
私がいくら暑く…ええ、暑く語った所でまったく興味を示さない。
しかも私、2009年夏休みの10日間ボルネオだけでなく、
実は11月にも友人に会うためマレーシア(こちらはマレー半島)へ渡航しており
胸を張って会社を休めるのはリフレッシュ休暇の3日間だけなので
氏が1週間で予定を組んでいる所を5日間だけの飛び入り参加となったのだ。
同じ場所を出発し、同じ空港を使うにも関わらず現地集合という意味のわからないこの旅で、
白い象は氏がヤンゴンへ到着する夜までの半日の間に探さねばならない。
私は必死で情報を集めたが、「ここにいる。」という確固たる情報は遂に見つからず出発の日を迎えた。

会社の後、おかーしゃんと2人の甥っ子達に見送られながら関空行きのバスに乗る。
2歳になる上の甥っ子は無類のバス好きなので、私だけがバスに乗ることに最後まで異議を唱えていた。
会社の人が餞別だと言ってくれたSOYJOYを握らせてから私は車から降り、
「(袋を)開けてください!」と叫ぶ甥っ子を尻目にバスへと向かったのである。
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