続続・よいこの1日  -

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No.0

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03

30

23:25
Tue
2010

No.0502

物申す

高い所、速い乗り物、水。
ぱっと頭にひらめく私の怖いものと言えばこの3つだろう。
高い所が苦手な私はロープウェイや飛行機があまり好きではない。
ロープウェイなんかに乗るくらいならばたとえ何時間かかったとしても歩いて登る方がマシだ。
速い乗り物が好きではない私はジェットコースターはもちろん、電車や新幹線も怖い。
乗った所で最終的にはスタート地点に戻って来るジェットコースターなんて、
私にとっては全く意味不明な乗り物である。
カナヅチである私はとにかく水がダメで、雨でも溺れるのに船なんか以ての外だ。
こんな私は、何度旅行を重ねても未だに乗り物嫌いを克服できず、
乗り物に乗る度に心臓を酷使しては寿命を縮めている。

そうは言っても、電車は通っておらず汽車のみが走り、
しかも右か左の単線で私の場合は自宅から最寄りの駅まで徒歩40分という
ここ、babar県では新幹線なんておいそれと乗れる代物ではなく、
川に囲まれたbabar市は当然、橋で川を渡ることができるので船に乗る機会も殆どなく、
私の日常生活においてこれらに乗らねばならないという脅威は皆無と言っていい。
が、こうやって書くとbabar県はとても不便な田舎という印象を与えてしまうかもしれないので、
バスと自分の車と自転車と足を使いこなせれば
取りあえずは不自由のない生活が送れる素晴らしい町であることは強調しておく。

そんなわけで、普段は遠出をすることなく自分のナワバリの中のみで生活をしている私には
ヤレ飛行機だ船だと騒ぎたてる場面は全くと言っていいほどない。
稀に県外へ出て行くにしても船や汽車電車を乗り継ぐよりもバスの方が遥かに便利であるし。
ナワバリ内で暮らす以上、私の生活は安穏であると思いたい所だが、ひとつだけ納得のいかない事がある。
それは、橋のたもとに設置されている信号。

前述の通り、babar県は非常に川が多いため、ちょっと車を走らせるとすぐに川を渡ることになる。
この川にかけられた橋のたもとには時々、信号が設置されており、私はこれがどうしても許せないのである。
橋のたもとの信号が赤になるという事は即ち、橋の上で停車するという事だ。
赤信号を待っている間に後続の車がどんどんやって来ては同じ橋の上で停車する。
こんな危険なことがまかり通っていいのかといつも腹立たしく思う。

もし、万が一の話だけれども、この橋が落ちたらどうするつもりだ。

と、こう思うのである。

渡り切る直前で、つまり信号の先頭で待っている時は、
もしこの橋が崩れ始めたとしたら、この位置だと急いで発進させたら映画のように
崩れて行く橋の上を走ってギリギリの所で向こう岸に辿り着くことができるだろうか。とか、
橋の真ん中や橋の渡り始めで待っている時は、
今橋が崩れたら間違いなく自分は川に落ちてしまうという覚悟をせねば。とか、
色々と考えてはドキドキして怖くなってしまう。

高い橋の上から水の中に高速で落ちるなんて私にとってこれ以上の恐怖があるだろうか。
こんなに善良な一市民を不安にさせるような信号機があっていいわけがない。
それとも私の命の保証を誰かがしてくれるとでもいうのか。

私の住むナワバリでは、怖い乗り物に乗らずとも不自由のない生活はできるが
身近な乗り物にこそ、一番の恐怖が潜んでいる。
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03

27

20:50
Sat
2010

No.0501

散歩

春の兆しも見え始め、マムシの出る夏までの数カ月は
山での滝探しにふんだんに時間とガソリンを使いたい所ではあるが
絶好の滝日和という、この晴れた日曜日に私は寝坊をしてしまった。
そこで午後から、散歩がてら文房具屋さんへ歩いて行くことにした。
自宅を出て川沿いをひたすら20分程歩いたところにその文房具屋さんはある。

広い店内を一通り物色して、めぼしいものがないので帰ろうと出入り口に向かったところ、
出入り口のすぐ傍に地球儀を見つけた。
実は私、以前から地球儀が欲しいと思っていながらも
意外に高価な地球儀を眺めてはため息をついていたのである。
こんな地球儀欲しいなぁ、自分が会社を辞める時とかに送別の品として誰かくれないかなぁ。
などと考えながら時間が経つのも忘れて必死に地球儀で遊んでいると、
その地球儀の横にぶら下がっている値段プレートが目に入り、私は愕然とした。

「限定10台 \26250→\9800」

…絶対欲しい。
ただ、問題がひとつあって、私は普段お財布にお金を入れない人間である。
なぜならば理由は単純で、全部使ってしまうから。
もちろんこの日も私のお財布には3000円くらいしか入っていなかった。

もう一つ問題があって、私のメインバンクである銀行は県内にたった1つ、
ここから5km程離れた駅前にしかない。
先にも言ったようにここへは散歩がてらやって来たわけで、交通手段はもちろん徒歩である。

地球儀は残り4つなので買うなら今日中でなければならないだろう。
そしてお金を調達するのには3通りの方法がある。
1.一旦自分の家に車を取りに帰り、銀行へ行ってお金を下ろして再度来店する。
2.一旦自分の家に車を取りに帰り、おかーしゃんにお金貸してと懇願する。
3.一旦自分の家に歩いて帰るのは面倒なのでこのまま歩いて銀行へ行き、お金を下ろして戻って来る。

私は迷わず3番目の選択肢を選んだ。
わざわざ歩いてここまでやって来たというのに車で出直すという事は、
自分がせっかく歩いてきた20分間の道のりはまったく無駄な事だった。
と、いうことになるのではないかと思ったからである。

ちきゅうぎ地球儀と唱えながら、私は片道5kmの道のりを歩いた。
無事にお金を下ろし、折り返し文房具屋さんへ向けて出発、文房具屋さんへと向かう。
折り返して2km程歩いた地点で、なぜこんなに辛い散歩をしなければならないのかと心が折れそうになる。
しかしここで諦めた所で、帰ろうにも自宅は文房具屋さんよりも遠い。

私は遂に地球儀を手に入れた。
自宅から文房具屋さんまでのたった20分間を無駄にすまいとがんばった
述べ12kmというこの長い長い散歩の行程で一番辛かったのは、
思いの外大きくて重い地球儀を抱えて歩いた、文房具屋さんから自宅までの20分間である。
03

25

18:57
Thu
2010

No.0500

母娘

「ここ最近、ずっと大好きなお買い物を控えているから買えば。」
久しぶりにデパートメントストアへ一緒にお買い物へ出かけ、
素敵な靴を見つけて買おうかどうしようか悩んでいる私へおかーしゃんはこう言った。
その通り、だって不況ですものおかーしゃん。

こう景気が悪いとぽいぽいお金ばかり使っていられない。
それでなくともここ1年は旅行費がかさんでいるのだから。
しかし目に留まった靴は意外にも安価であったため、買いたい衝動が抑えきれなくなってきた。
店員殿も、「お値段も大変お求め易くなっておりますし、<再入荷はしない商品>でございます。」
と、人の購買意欲をそそる言い方で以て私の財布のヒモを緩めんとしている。

信用できない見ず知らずの店員殿の話はさておき、
なるほどおかーしゃんの言うとおりここ最近、確かに買い物という買い物をしていない。
その結果、「お求めやすい」商品にさえ二の足を踏むほど
私の心は成り下がってしまったのかと、急に自分がかわいそうに思えてきた。
そこで、欲しいものを我慢してきたご褒美に靴を買ってあげることにした。
ご褒美に「お求めやすい」と形容されるものを選ぶのには若干の反発を感じるが。

ともかく私は靴を買った。
欲しかった色は自分のサイズが既に売り切れていたため
久しぶりに大好きな靴を、しかも建前上はご褒美に買うというのに妥協の二文字を噛みしめながら、
春以外は出番のなさそうな、そして履く機会は今のところなさそうな、
微妙なデザインの靴を購入した。

エスカレータを降りると、再びおかーしゃんが一言。
「babar、ジーパンがお好きでしょう。見て行ってはどう?」と。
おかーしゃんという人は、娘を連れ歩いては物を買え買えとけしかけて、
のせられた娘が買い物袋をガサガサいわせて歩いているのを見ては自分が買ったような気分を味わい、
己の懐は一切傷めないというしたたかな人間なのである。

一通り店内を見て回ると、特に目に留まるものはなかったがhavaianasのビーチサンダルが並んでいた。
夏の旅行には、かさばらず軽いビーチサンダルが大変役に立つ。
毎年買っては履き潰しているので、今年の夏用にと厳選して2足のビーチサンダルを購入した。

会計をしているところにおかーしゃんがやって来て、
足は2本しかないのにどうして2足も買うのかと不服そうな顔をして言った。
私は足が8本あるので本来ならばあと1足買わなければ足りないくらいだと答えると、
おかーしゃんは絶句していた。

帰りの車に乗り込むとおかーしゃんは俯いたままで、
足が8本もあるような娘を産んだ覚えはないとつぶやいた。
03

22

20:57
Mon
2010

No.0499

手紙

旅行へ行くと私は必ずポストカードを出す。
たいていは4~5通、時間がない時はおかーしゃんと親友のR殿だけ。
帰宅して何日か経つと、若干汚れて角が折れたりしたポストカードが
ふらりと我が家の郵便受けにやって来る。
たまに気付かれずに郵便受けの中で何日かを過ごす事もあるが、
届いたものはおかーしゃんによって冷蔵庫に貼られ、
次のポストカードが届くまでの1年間を貼られたままで暮らす。
1年後、お役御免となった古いポストカードは冷蔵庫の横にある引き出しに
やはりおかーしゃんの手によって納められ、何年もの歳月をかけて黄色くなっていくのである。

たまに、旅先の友人から「今、どこそこにいます」というポストカードを受け取ることもある。
たいていはR殿からのもので、立派なホテルや青いビーチの写真に目を奪われながら
お土産サイズのでっかいポストカードをひっくり返すと、
なんだか怒ったように殴り書かれたR殿のメッセージが並んでいる。

最近、とある友人から半年の間に3通のポストカードが色んな国からやってきた。
友人がフィンランドに行くというので、サンタとかオーロラ風味のポストカードを
ぜひ送ってほしいと半ば強引に住所を渡しておいたのである。
他の2通は確かにその土地の風景写真のものだったが、肝心のフィンランドは
真ん中にでっかく「おおさか」と書かれた、大阪城のポストカードだった。
「元旦で店が開いていなくてサンタ村は遠すぎて行けないのでたまたま持っていたこれで送る」
と、涙ぐましい努力の跡が見られるメッセージが添えられていた。
切手がオーロラだったので確かに風味は出ているなと思ったものである。

ポストカードの表面の写真は重要な要素ではあるが、切手と消印も大事である。
海外からの手紙は届くのが遅いため、いつ送ってくれたのかが消印でわかるし、各国の切手は大変面白い。
去年の秋に友人を訪ねてマレーシアへ行った時に、
華人である友人から、2月の旧正月に仲間とオーストラリアへ行くが一緒に行かないかと誘われた。
1月にビルマに行くため同行はできないがオーストラリアからポストカードを送ってほしいと頼んでみた。
お安い御用だと引き受けてくれた友人に住所と名前を書いて渡した。
友人は華人であるので問題ないと思い、住所と名前は漢字で書いた。
と、言うのも旅先の現地人に、稀に写真を送ってあげることがあり、親切な人はお礼の手紙を送ってくれる。
手紙はありがたいのだが多くの場合、ローマ字で書かれた宛所である私の住所や名前は
郵便屋さんが届けるに当たって大変な苦労をするであろうと思われるほど
読めないものに仕上がっているからである。

話が逸れたので元に戻す。
さて、この友人と思われる誰かから、年明けに1通のポストカードがやって来た。
ポストカードはプーケットの青々としたビーチだが、切手がマレーシアだったので恐らく間違いない。
プーケットはこんな所であるというメッセージが英語で添えられており、
宛名はちゃんと漢字で私の住所と名前が書かれていたのでさすがであると感心した。
しかし、

「mix県babar市babar町○丁目□-△
mix babar JAPAN」

と、呼び捨てにされていた。
確かに私は手紙の書き方を教えなかった。
が、知らないとは言え何となく嫌な心持がした。

日本では手紙を送る時に普通、名前の後ろに"様"を書くことを
教えてあげなければいけないなと思いつつ、そのままにしておいたら
翌月、この友人と思しき誰かからまたポストカードが届いた。
今度はオーストラリアのビーチが夕日に染まっているポストカードで、
オーストラリアは大変良い所であるという旨のメッセージが添えられているが
切手と消印はやはりマレーシアである。
どうしてこの友人は旅先でハガキを買い、自宅へ持ち帰ってから出すのか。
もちろん宛名は相変わらず呼び捨てで、
それに悪気がないのはわかっているが何となく嫌な心持がした。

旅先からのポストカードはとても嬉しいものである。
ポストカードの表面の写真は何でもいい。
旅先の切手と消印と宛名に"様"がついていれば。
03

15

22:50
Mon
2010

No.0498

妄想の結末

数年前、こんな記事を書いた。

 リザーブ <2007年03月21日>

1990年代のある日を思い出して書いた記事だ。
私は、当時高校3年生だった王子様が卒業して遠くに行ってしまうことを悲しむうら若き乙女だった。
あれから約10年、うらぶれし乙女となった私は物思う。

王子様はつい1~2カ月前に結婚した。
しかも29歳という若さで。
この29という数字が私には何とも引っかかる。
28歳でも30歳でもなく、29歳という微妙な年齢を選んだ王子様の心境には、2通りの考え方がある。

まずひとつ目。
10年前に私が言った、「王子様が30歳になっても独身であったなら私、babarを王子様のヨメにしてほしい」
という約束を王子様は律儀に覚えていて、或いは思い出して、
「いかん、うかうかしていたらbabarをヨメにもらわねばならぬハメになる。」
と、危機感を募らせていた。
つまり、私との約束を覚えてくれてはいるが、嫌がられているという線。

そしてふたつ目。
私との約束など忘却の彼方であり、29歳での結婚は単なる偶然。
もしくは王子様自身が30歳までに結婚したいと常々思っていた。
つまり、嫌がる以前に私の存在自体、既に忘れてしまっているという線。

さて、どちらがいいだろうか。
…どちらも嫌である。

そんな私の心境を知ってか知らでか、
おかーしゃんは連日のように見合い話をしては
アレコレと一人で吟味している。
03

12

22:15
Fri
2010

No.0497

レ・ミゼラブル

CRW_3907.jpg

これまでに何度も繰り返し書いてきたが、私は靴が好きである。
そしてチビである私にヒールは欠かせない。
私の休日は滝探しに山登りに象を探す旅にと、
おおよそヒールなんかとは縁のなさそうな生活ではあるが、
それでも私は自らをハイヒール派であると主張する。

しかし、この歳になると高いヒールで街を闊歩するという行為は非常に辛いものがある。
靴なんか痛くてナンボと高をくくっていた学生時代が懐かしい。

それはさておき実は先週の日曜日、大学時代のボランティア仲間が結婚するということで
はるばる大阪くんだりまで出かけて行き、日帰りで2次会に参加して来た。
久々におめかしをする機会を得た私は、ピンクの靴を履いて行くことにした。

こうなることは重々承知の上なのだが、とにかく足が痛い。
そもそもハイヒールというのは、パーティ会場で絨毯の上を歩くための履物なのだから
当然と言えば当然である。しかし痛い。
そんなに辛いなら歩かなければいいだけの話なのだが、こんなにも痛い思いをしながら、
どうして百貨店のホワイトデー特設会場に私がいるのかというと
会社のツボネに渡す賄賂、つまりおいしいスウィーツを購入するためである。
がんばれ私。ここでツボネに土産を買っておけば、
向こう半年は勤務時間中にお腹が空いても
「おかーさんお腹が空いた…」とツボネにねだればおやつを与えてくれるはずだ。
フレーフレーと自分にエールを送りながら私は買い物を続けた。

歩けば歩くほど痛いこの靴、足の裏はカカト部分とつま先から1/3部分くらいしか靴の底面に接触せず、
土踏まず周辺がどうも浮いているような感じがする。
要するに履いてるのに履けてない気がする。
また、甲を支える靴の上部分が浅いので大変歩きにくい。
何年か前に流行っていた"指見せ"の名残だろうか。
人の足の形を無視した形と歩くことを想定していないかのような作りをしている靴を履いて
固い床の上を歩くという行為はまさに苦行である。

買ったスウィーツは帰りのバスが着く発着場にあるコインロッカーに預けておいて、
再度、苦難の道を踏みしめて次はパーティに出席する他の友人達と落ち合う場所へと歩いた。
どこかでお茶でもしようという話になり、我々はエスカレータに乗る。
先頭に立つ私に友人の一人が、相変わらずヒールを履いていて偉いねと言った。
私の住む地方でエライとは、「偉い」という意味と「辛い」とか「しんどい」という意味でも使われる。
エライ思いをしてこんな靴を履いている私は自分でも確かに偉いと思った。

さて、2次会の会場は新郎新婦がお気に入りだという沖縄料理の居酒屋。
席は特に決まっておらず、我々が腰を落ち着けたのは靴を脱いで座る座敷の席である。
パーティの終盤、ビンゴゲームが始まったので何かいいものが当たればいいなと
淡い期待を抱きながら読みあげられる数字に耳を傾けていた。

景品も残り少なくなってきたところで私のカードにやっと1列の穴が並んだ。
司会の殿方に、靴を履いて前へ出てきてくれと言われたので、
ようやく私のイタイ靴が陽の目を見る時が来たのだなと自分の靴を探すと、
なんと靴箱の中、それもものすごく奥の方に揃えて入れられているではないか。
そして代わりに私の前にあったのは、トイレに立つ人のために備え置かれているおっさんスリッパである。

無論、私はこのおっさんスリッパで皆の前に立った。
座敷席に座っている他の出席者もおっさんスリッパで出てきていたが、
居酒屋と言えどもパーティなので、皆相応に華やいだ格好をしている。
靴のために服を地味に抑えていた私は、靴を脱ぐ事態なんて想像だにしていなかった。
私は自分がとても気の毒に思えてきた。

拷問のような痛みに耐えながらここまで歩いてきた私の思いは最後まで報われることはなく、
私は自分が有事の時にはきっと座敷のない店を選ぼうと固く自分に誓ったのである。
03

10

23:56
Wed
2010

No.0496

ビルマ記 -エピローグ&タイ記-

長々と書いてきたビルマ記であるが滞在はたったの3日間、
全行程では5日間の弾丸旅行である。
初めは白い象さえ見られればそれでいいと思っていた。
白い象を探すことこそこの旅の目的であり、
後はお付き合い程度と考えていたのだが
いざ行ってみると、あんなに素敵な国は他にないと思える国だった。

最終日は、朝7時から開くホテルのレストランへ7時きっかりに行って朝食を取り、
7時15分には空港へ向かうタクシーに乗っていた。
空港は賑やかさはないものの、新しくキレイな建物である。
搭乗口の待合には、タンクに入ったミネラルウォーターが備え付けられている。
一人の従業員がやって来てタンクの上に載せてある洗面器から銀色のコップを取り出し、
そこに水を注いで飲み、おかわりを注いでまた飲んだ。
彼は使用済みのコップをちゃっちゃっと振って水を切り、
もとあった洗面器に戻すと自分の持ち場へと戻って行った。
次に少女がやって来てまたタンクの上の洗面器から銀色のコップを取り出し、
水を注いで飲むとまたちゃっちゃっと水を切って洗面器に戻した。

これがビルマで私が見た最後の光景である。
私は飛行機に乗り、この愛すべき土地を後にした。

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03

06

21:15
Sat
2010

No.0495

ビルマ記 806

IMG_3312.jpg

日中はあんなに忙しそうだったパノラマホテルのカウンターも
さすがに夜は落ち着いているらしく、電話も全く鳴っていなかった。

フロントでキーを受け取ってエレベータに乗り込む。
部屋番号は・・・908、9階か。
マイケル氏と泊った1泊目は911だったので、ツインとシングルが同じ階にあると
ホテルの従業員は部屋を覚えるの大変だろうにと思った。

さて、9階に着いた私はまっすぐ908の部屋へ向かい、鍵を鍵穴に突っ込んで捻った。
何となく違和感があったのでそのまま左右にガチャガチャすると、
部屋の中からハイハイ今行くからちょっと待ってよと殿方の声。
掃除の人が来ているのかと思ったが、
すぐに夜の10時に部屋の掃除もなかろうと思い直す。
一体誰が出てくるのかと心臓が高鳴ったが、
既にガチャガチャしてしまったし
ドアの向こうの殿方も待ってよと言ってるし
逃げてもいいけどこの部屋私の部屋だし
逃げたら寝る所なくなるし…
などと頭の中で一人混乱していると、ドアが開いた。
もう逃げる時間はない。

中から出てきたのは欧米人のおっさんが2人。
一人は短髪、一人は長髪である。
後ろにいた長髪のおっさんはえええーと驚いた顔をし、
ドアを開けた短髪のおっさんは私をそういう職業の人と勘違いしたのか
「おお、かわいい女の子がやって来たぞ、さあ入って入って」
と、私をドアの内側へ誘うように手招きした。

自分の部屋に変なおっさんが既に2人もいて手招きをしているという状況が
最初はよく飲み込めなかったが、ハッと気がついてもう一度自分の鍵を見た。
908、ひっくり返すと806。
要するに私は部屋を間違えたのだ。
硬直している私に短髪のおっさんもこれは何か違うと思ったらしく、
ちょっと見せてと私の鍵を取りあげた。
908、ひっくり返すと806。
おっさんは、この部屋で泊まりなよと言いながら私の頬をチョイチョイと撫で、鍵を返してくれた。

私は、間違いましたすいません
それではこれにてと
きびすを返し、
エレベータへと全速力で走った。
03

03

23:18
Wed
2010

No.0494

ビルマ記 最終日

IMG_3633.jpg

昼食後もしっかりと観光し、何とかパヤーとか何々パゴダとか
もう何がなんだかわからないくらいにひたすら寺と仏塔を巡る旅は終盤を迎える。
本日、私だけ一足お先に失礼してヤンゴンへ帰り、翌日の朝にはバンコクへと出発するのである。
ガイドさんは15時過ぎまで大丈夫と本当にギリギリの時間まで私を連れて回ってくれた。
最後に行った仏塔では、ホテルで朝食を共にしてくれたO殿と再会、
強い日差しの下で眩しい涙を堪えながらさようならさようならと挨拶を交わして私はバガンを後にする。

やれやれと空港のベンチに腰掛けると、椅子の傍にある売店でポストカードが並んでいる。
飛行機の時間まであと20分くらいしかないが急いで書いたら2枚くらいは出せるかなと
あちこちで買ってきたポストカードの中から2枚を引っ張り出し、
友人とおかーしゃんに宛ててハガキを書いた。
文章を考えるのは苦手なのでいつもホテルでうんうん唸りながら書いているハガキだが、
今回は時間もないので友人にはいい所ですよとか無難な事を殴り書き、
おかーしゃんには一言、「白い象見たよ」と殴り書いて売店へ持って行った。

さて、問題はここからである。
離陸時間になっても搭乗口にさえ通してもらえないことが始まった。
うずうずして座っていると一人の係員らしき女性が現れて、
エアバガンのヤンゴン行きに乗るのかと聞いてきたのでそうだと力強く答えた。
女性は申し訳なさそうに眉間に皺を寄せ、飛行機が遅れているのだと言う。
特に驚きもしなかったが妙に大げさにええぇぇええと声を出し、
どうしてかと尋ねると機体のトラブルとのこと。
予定では1時間半ほどの遅れになる見込みだと言われ、私はガッカリした様子で了承したと伝えた。

突然、暇になった。
空港から出るにも遠くへは行けないし
空港の前にレストランがあるにはあるが、同じく飛行機の遅延でぶいぶい鳴いている欧米人達が
大量にそのレストラン方面へと大移動を始めたので、
どうせ一人で時間を潰すなら空いている所で待とうと私は空港に留まることにした。
本は持って来ているが行きの飛行機で半分以上読んでしまったため
ある程度は残しておかなければバンコク-関空間が苦痛になってしまう。
ぶ厚めの本を選んで持ってきたはずなのにどうしてこんなに読んでしまったのか。
「罪と罰」みたいな超大作を上下巻ともに持ち込む勢いでなければ旅の数時間は有意義に過ごせないのか。
そうは言っても暇なので、私は残り少ないページを大事にめくりながら本を読んだ。
が、1時間もしないうちに未読のページは本当に心許ない事になってしまい、
最後にはどうしてただの本をこんなにケチケチ読まねばならないのかと怒りが込み上げ、
どうもこの本が面白いのがいけないのだと乱暴にしおりを挟み、本をバッグの底へと仕舞いこんだ。

欧米人一向は相変わらず空港の外のレストランで寛ぎ、
オレンジ色の布を纏ったお坊さん一向は空港内にある大きな木の下で固まって休んでいる。
私は空港の玄関でただ座り込んでいた。
と、いうか最初は出たり入ったりしていたのだが、時間が経つに連れてだんだん気分が悪くなり、
頭痛やめまいが始まるともう動くのも嫌になったのである。
風邪か何かかと思っていたが何にしても体調が悪い。
座り込んで黙っていると空港の職員さんらしき人がコーヒーとお菓子を配りに来てくれた。

お腹も空いていたのでありがたく受け取ってコーヒーを飲み、また蹲る。
起き上がっては気持ちが悪くなり、しゃがみこむ。
警備員のおじさん達にここへ来て椅子にお座りなさいと誘われ、
これはどうもとおじさん達の輪の中へ移動し、やはり一人でくたびれる。
そんなことをしていると当初の離陸時間から早2時間が経過、ようやく飛行機は飛んだ。
欧米人達はイヤッホゥと口笛を吹き、お坊さん達は飛行機をバックにデジカメで写真を撮りまくる。
私は心の中で一人、万歳三唱をした。

ヤンゴンの空港に着いたのは夜の10時前、
一昨日泊ったパノラマホテルへと私を運んだタクシードライバーは
まけてくれと言っても頑として譲らず、交渉の最中に声をかけてきた友人らしき人に
舌うちと睨みで返答するような無愛想な殿方だったが、
体調の芳しくない私はもう誰でもいいしいくらでもいいからとにかくホテルへ運んでほしかった。
車に乗りこむと、このドライバーは勝手に自らの友人を誘って後ろに乗せ、発進した。
この友人はとても紳士的な殿方だったため、結果的には場が和むという良い方向に向かったものの、
ホテルを紹介したいというドライバーの申し出を既に手配済みだからと断ったのを最後に
このドライバーは二度と口を開かず、あり得ないスピードで車を走らせて私をホテルまで送り届けたのである。
電車や高速バスにさえ恐怖を感じる私なのでさすがに参ってしまい、
暴走ドライバーの紳士な友人が、飛行機の遅れで夕飯がまだだろうから、
まだ開いているレストランを教えてあげようと言ってくれたが、
機内で済ませたから大丈夫だと断り、転がるようにホテルへと駆け込んだ。
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