続続・よいこの1日  -

03« 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 »05
--

--

--:--
--
--

No.0

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
04

28

23:00
Wed
2010

No.0510

スーパー林道~犬の尻淵

CRW_4130.jpg

上勝を起点とするスーパー林道は日本最長の林道である。
が、起点から終点まで走り抜けるのは
バイクさんとかジムニーさんにお任せすることにして、
私は滝探しに勤しむことにする。
さて、スーパー林道沿いには百間滝という滝がある。
この百間滝、落差は30m程でなかなか立派な滝なのだが、
実を言うと私はあまり好きではない。
今まで何度となく挑戦してみたが、妙に怖くてこの滝の前では5分といられないのだ。
滝に限らず私には時々、そんな場所がある。
とにかく、今日はそんな百間滝の遊歩道入口から数m離れた場所から山へ入り、
この沢の上流を目指すのである。

取りつきこそ急坂ではあるが、杉林に入ってみると
幅1mくらいのなだらかな山道が続いていた。
こんなに整備された山道だったなんてラッキーだと足取り軽く歩を進めた。
今日は家を出る時から嫌な予感がしていたので防水のデイパックを背負い、
中には水筒とタオルを入れ、いつもは全く使わない軍手を歩き始めからはめていたのだ。

しかし、杉林を抜けたあたりから足元の様子が変わり始めた。
嫌な予感は的中していたのである。
落ちた杉の葉に代わって石が目立ち始め、地盤は緩く道はどんどん細くなり、
肩幅くらいしかない道を進んでいたかと思うと、
大雨の時にはきっとここは滝になるであろうと思われる土砂が崩れた後が
乾いたような斜面に大木が横たわっており、
ガラガラと石を踏み落としながら大木にぶら下がるようにして
向こう岸へと渡る羽目になってしまった。
大木はもちろん道を塞いでいるのだけれども、これがなければきっと
私が踏み落としたあの石もろとも私もこの斜面を転がっているだろうと思った。

いつもならば「この木を掴めるものなら掴んでみろ」と言わんばかりに
嫌味な顔を並べながら生えている木の幹のキノコや苔さえも
「私を押し潰しても構わないからこの木にしっかりしがみついてお行きなさい」と
励ましてくれているような気がする。
と、言うかキノコが嫌だの苔が気持ち悪いだの言ってられないくらい私は必死なのである。

大木と潰されたキノコや苔のお陰で斜面を切り抜けた後は
またなだらかながらやはり細い細い山道を歩く。
高い所は苦手な私は右下を見ただけでめまいがしそうである。

乾いた道が何となく湿ってきたなと思ったら、左側の斜面に苔が見え始め、
もうすこし歩くと、斜面がちょっとえぐれている所を水が落ちていた。
ここまで1本道でどこにも分岐などなかったのに行き止まりかと思いきや、
その先にまだ山道が続いているところを見ると
この水は突破すべき試練であることがわかる。
大した水量じゃないから「水が落ちている」なんて軽く言うけれども
これで水が多ければ立派な滝だ。
ここまで来て文句を言っても仕方ないので左半身を濡らしながら行者のように渡る。
濡れるのは大の苦手な私ではあるが、左半身を犠牲にしてそろそろと渡りきるのと
濡れまいと急いで苔や水垢に滑って自らが滝になるのとを秤にかけた時、
私はもちろん、迷うことなく前者を選んだ。

冷たい難関を突破して再び歩き始めるとまもなく、
百間滝の沢に近づいたらしく水が激しく落ちる音が聞こえ始めた。
恐らくここの辺りが百間滝の真上くらいにあたるのだろう。
この百間滝を真上から見ることもできると聞いたけれど、
滝の落ち口に行くために一時とは言え、
順路を逸れるような危険を増幅させるマネはやめておく。
百間滝の落ち口に興味がないわけではないけれど、順路じゃない斜面を歩いて
斜面を転がり落ちたりするのは嫌だし、無事に滝口に到着できたとしても
万が一、滝口から足を滑らせてしまったら、
落差30mをヤッホーと笑顔で急流下りできる自信は残念ながら私にはない。

冷たい水に打たれた左半身が徐々に乾いてきてしっとりしてくると、
山道は徐々に沢へと近づき、遂に沢と並行に伸びる道に出た。
目指す犬の尻淵はもうすぐだろう。
と、ずんずん歩いて行くと右手に橋というか、棒が2本、沢にかかっていた。
橋のつもりであろうがこれを渡れというのは果てしなく無茶な話である。
その橋の下は緑色の淵になっており、ごうごうと大量の水が落ちる音がしていた。
そう、犬の尻淵に到着していたのである。

この山道からは滝が見えないので滝を見るには沢へ下りる必要がある。
見まわした所、色んな人がここを訪れては
めいめいが好き勝手に斜面を下りているらしく、
特に苦労なく沢へと下りることができた。

滝は落差のない小さなものではあったが大量の水が流れ込む迫力のある滝であった。
その滝が流れ込む淵も直径は4~5mくらいではあるが、
深さは相当なものらしく、底は全く見えない。
近づくと吸い込まれるのではないかと思うほどである。
緑色をしたその深い淵から溢れた水は下流へ向かい、やがて
百間滝となり勝浦川へと流れ込む。
沢の真ん中にある岩の上で、そんな水の一生に思いを馳せる…

なんて感傷的な気持ちになるわけもなく、
怖い百間滝の上流にある犬の尻淵の滝ももちろん怖かった。
しかし同時に、とても嫌な気分だけれどまだ上流に何かありそうだ。
二度とここへ来たくないからこの上流にまだ何かあるなら
今日、全部見ておいた方が良さそうだ。
とも思った。

そんなわけで私は再度山道へと戻り、
行きたくないけど行きたいというジレンマを抱えながら
この上流を目指して再び歩き始めたのである。
スポンサーサイト
04

25

21:18
Sun
2010

No.0509

事件

私は、1本のペットボトルを前に悩んでいた。
私の水分補給は水とコーヒーのみであり、
近所のドラッグストアで箱買いするミネラルウォーターが命の源なのである。
事の発端は、おかーしゃんが「安かったのよ」とウキウキしながら買って来た、
とある6本入りミネラルウォーターのうちの1本に手を伸ばしたある朝のこと。

会社へ持っていくミネラルウォーターをプラスチックの水筒に入れ替えようと
私は新しいペットボトルに手を伸ばした。
手にした水は炭酸水のようにペットボトルの側面に
びっしりと泡が立っており、何となく膨らんでも見えた。
注ぎ口いっぱいの所まで水が入っているのはいつものことだが
ちょっと注意して開けないと封が開いた瞬間に中の水が飛び出しそうだなと思い、
注意深くキャップに手をかけ、支えている手でペットボトルの側面を押しすぎないように
慎重に、本当に慎重にキャップを回した。

開かない。

これはとても強敵だと思った。
力いっぱい開けると間違いなく中の水は押し出されてこぼれる。
かと言って力を抜いて回してもキャップはびくともしない。
どうすべきか迷った末、コップ1杯分の水を犠牲にして
力いっぱい開けることを決心した。
ペットボトルを流しへ持っていき、思いっきりキャップを捻った。

開かない!

心臓の鼓動が激しくなってきた。
どうしてこんなに固いのか。
まるでキャップと注ぎ口が接着剤かなにかで
くっつけられているかのようである。
どうしようかと考えながら辺りを見回すと、
流しの横にオレンジ色の布巾が置かれているのを発見する。
よし、これだと布巾をキャップにかぶせて再度挑戦。

開かない!!

額にじんわりと汗をかいてきた。
離れるものかと抵抗を続ける強情なペットボトルとキャップにいら立ちを覚えたが
こんな所でキャップ相手に怒りまくっているような時間はない。
だって朝は戦争なのだから。
仕方なく箱から別のペットボトルを出して水筒に入れ、
いつもより3分遅く家を出た。

仕事が終わり、自宅に帰るとおかーしゃんは既に不在であった。
このペットボトルの事を相談したいと思っていたのに、
毎晩実家に帰ってしまうおかーしゃんとはきっと週末まで話す機会はないだろう。
ペットボトルの水は潤沢にあるので、もしすぐに解決できなくても
特に支障はないのだが、固く閉まったキャップに一人で立ち向かうのは
何となく心細い思いがしたのである。

電球は椅子に乗れば換えられるし重いものはおかーしゃんと二人で持てば運べるけど
ペットボトルのキャップだけは椅子に乗っても開けられないだろうし
おかーしゃんと二人で掴むにはあまりに小さすぎる。
こういう時に男手というのは必要であるなと机の上で
誇らしげに電気の光を反射させている、
泡立ったペットボトルを眺めながら考えていた。

我が家は♀2人、♂2匹、不明1匹の大家族なのだけれども、
私はどうやっても開けられないしおかーしゃんは不在。
かのんは頼めば挑戦してくれるだろうけど
何分、もう高齢なので歯が弱っているし、
折れたら最後、二度と生えてこないので危険な事はさせたくない。
うさぎは我が家で唯一のげっ歯類なので一生歯は伸び続けるけれども
齧り木コーンじゃなければ嫌だと言って全然応援してくれない。
ハリはネズミと名は付けどもネズミではなく、もちろんげっ歯類でもない。
それどころかアゴの弱さは人一倍で、ドライフードも水でふやかさなければならない
くらいなので全くお話にならない。
お話にならないだけではなく夜行性の彼は眠いから後にしてくれと
ハリを揺すっては寝袋に駆け込んでガンバレの一言さえくれない始末である。

今日は開くかもという期待の下、手を真っ赤にしながらキャップと戦う1週間を過ごし、
やっと迎えた週末、私はおかーしゃんに水の蓋がどうしても開かないのだと告げた。
おかーしゃんはキャップに手を触れることすらせずに
「あ、そう。」
と言った。そして、
「じゃあ週明けに相談センターに電話しとくから置いといて。そんな事より…」
と、先日見つけたフワフワの毛布を買いに行きたいというような内容の事を話しだした。

そんな事…?と疑問符をつけたが、おかーしゃんはずっと毛布の話をしている。
しかし、話の内容からどうもそのフワフワの毛布は
私のお昼寝用に買ってくれるようなので、
じゃあすぐに出かけましょうと答え、車に飛び乗った。

そうだ。そんな事より毛布の方が大事だもの。
04

19

21:20
Mon
2010

No.0508

順路、解明

CRW_4111.jpg

3つ目は、時間によっては後光が差して見えるという御来迎の滝。
五滝の中では最も美しい滝だと私は思っている。
相変わらず緩んだ蛇口のような水の出ではあるけれども。

再び沢を横切って石の階段を上り始めると、ここから急に傾斜がきつくなり、
周りの岩も一つ一つがとても大きくなってくる。
一応、階段の横には鉄の手すりなんかもついてはいるが、
下を見ると腐蝕して折れていたりするので注意が必要だ。
いや、私一人がこの手すりに体重をかけた所で
どうこうなる程の腐蝕ではないけれど、念のため。

CRW_4117.jpg

 岩の上を伝う水が
 布を垂らしたように見えるという
 4つ目の滝、布引の滝。
 
 いつ来ればその布とやらが見えるのか、
 3年前と同じく、今日も相変わらずの
 ボロ雑巾っぷりである。

さて、ここからが問題の道だ。
どこをどう歩けば最後の象の滝に辿り着き、私は一体どこで道を見失ったのか。
この謎を解くべく、鼻息も荒く沢沿いの岩を登り始めた。

あと10cm足が長ければと思いながら岩をよじ登り、
最後に一際大きな岩がせり出している隙間を上がると
何だか見た事のある景色に到着した。
ここはさっき、私が道を見失った場所である。

後ろを振り返ると、私がさっき登って来た岩の先は崖のように見える。

この先にあるのは大きな岩で、その先は崖のように見える。
と、いうのもその横を流れる沢の水がそこから急降下しているので
このままあの岩を降りると自分も急降下なのではないかと思ったのである。
2010.04.11「順路」より


そういうことだったのか…と、がっくり肩を落とした。
岩があまりに大きくせり出しているから崖だと思い込んでいたけれど、
あの岩の上に一瞬でも立ちさえしていれば次の遊歩道が見えていたはずだ。
それなのに私は崖っぷちはキケンキケンと早々に諦めて引き返していたのである。
なんて悔しい結末か。

と、謎が解明した所でどうも雲行きが怪しくなってきた。
そこで、あと50mもない、と言うか既に向こうの方に見えている象の滝までは行かずに
そのまま来た道をスタコラ引き返して車へと急ぎ、そのまま五滝を後にした。

雨は、自宅に戻ってすぐに降り始めた。
04

17

23:51
Sat
2010

No.0507

名前

CRW_4109.jpg

遊歩道入口から最後の象の滝まで500m程の短い距離にある5つの滝の総称、五滝。
さて、無事に峠を越えて山を下り、本来の登り口にやってきた。
下から順に雌鴨の滝→雄鴨の滝→御来迎の滝→布引の滝、そして象の滝となっている。
その間、小さな滝はいくつもあるが取りあえず名前をもらっているのはこの5つだ。

前回訪れたのは冬だったため水が少なく、まったく見ごたえのない滝だった。
その割りに道が悪くて大変だった気がするのだが、
今回、やっぱり道は悪く水量も多いとは言えないながらも
ちゃんとそれらしい形になっていた。
後の4つはどんなだろうと心躍らせながら雌鴨の滝を横切り、上を目指す。

CRW_4110.jpg

高さがない割に大きな滝壺を持つ雄鴨の滝。
滝壺に流れ込む水の流れが
広がっている辺りに鴨の尾羽に
見えなくもない。

滝は、不動様や観音様など祀られている
神様の名前がついていたり
その滝にまつわる伝説や昔話から
方言交じりの名前になっていたり
滝の景観から名づけられていたりする。
あまり感性の豊かではない私には
どれも素晴らしいネーミングだなと
感心するのだが。


神山町の雨乞いの滝にはうぐいす滝という滝がある。
この滝だけを見て「うむ、鳥っぽい滝であるな。」などとは思わないが
「これはうぐいす滝です。」と言われれば、「ナルホド確かに小鳥っぽいね。」と思う。
このうぐいす滝も雌鴨の滝と同じく分岐瀑である。
babar県内には鳥の名前がついた滝はこの2つしかない(と思う)ので
ほんとの所はどうだかわからないけれども、岩に当っては流れが幾条にも別れる分岐瀑を見て
大昔の人は小鳥を連想したのかもしれない。

雌鴨の滝や雄鴨の滝が鴨に似ているからその名前がついたかどうかは定かではないが、
そうだと言われれば確かにそれっぽく見えるのが不思議である。
04

16

23:24
Fri
2010

No.0506

3年

CRW_41011.jpg

この林道は如意輪寺へと繋がる林道である。
この如意輪寺の駐車場から、谷へ下りる細い遊歩道というか坂というか
斜面というか道っぽいものがあり、
その先に「弥勒滝」という枯れ滝と「観音滝」というヲーターフォールがある。
ここも実は3年前に一度来たきり、再訪していなかった場所である。

思い起こせば私が県内の滝行きを始めたのは2006年の秋。
ドライブがてら訪れた県南でふらりと立ち寄った
ヲーターフォールに感銘を受けたのが始まりだ。
そしてこの五滝と観音滝はこの初期の頃に訪れた場所なのである。

そうか私はもう3年も滝を探しているのか。
と、考えるとこの3年はあっという間だった気がする。
でも前回ここを訪れた時の記憶はかなり薄くなっているので
3年前なんていうのはものすごく昔のことのような気もする。

そして、会社の階段を3Fまで上るにもフーフーと鼻の穴を広げ、
寺の階段を300段上がると息切れと酸欠で失神寸前、
標高300mの山を登りきるだけで達成感を多いに感じていた
3年前の私を思うと、今の私はとても成長したとも思う。

3年の間に私の体力は劇的に変化した、
まして滝は同じ滝でも季節や気候によって大きくその容姿を変えるものであるから
3年も経っていればさぞ様変わりしていることだろう。
と、思ったらそれは大間違いである。
人為的な要素が絡むと話は別だが、基本的に滝は
水達の地道な作業によって何百年、何千年をかけて
岩を削りながら形作られるものなので、そう容易く変化するものではない。
弥勒滝は相変わらず枯れており、
観音滝は相変わらず大体決まった道筋を辿って落ちていた。
3年前と変わった点と言えば、倒れていた弥勒滝の看板が
誰かの手によって立て直されていたという事くらいである。
看板は立派に立てられても弥勒仏は相変わらず未だ不在のまま、水も枯れている。

弥勒仏が現れて人々を救済するのはウン億ウン千万年後であり、
3年前から数えてもやっぱりウン億ウン千万年後だった。
もちろん今から3年経ってもウン億ウン千万年後であることに変わりはない。

3年なんて、大した期間ではないなと思った。
04

11

22:15
Sun
2010

No.0505

順路

CRW_4096.jpg

今日こそは嘘じゃなく絶対に最後まで歩くからぜひとも連れて行けと
懇願するかのんを振り切り、私は一人で家を出た。
今日は何と言われようと連れて行くわけにはいかない。
なぜなら、今日は五滝に行くつもりだから。
前回、途中で歩かなくなったかのんを抱えて大変な思いをした上に
帰宅後、デコにダニがひっついているのに気が付き、大騒ぎをした記憶がある。
毎回のように言う「絶対歩く」の嘘っぱちは百歩譲って信じるにしても
デコダニはもうあれっきりにしてほしいのである。

さて、五滝と言えば私の家から最も近くにある5つのヲーターフォールが連なる場所だ。
最も近くにあるのに3年前に一度行ったきり、再訪する機会を得なかった。
今日はここを訪れる前にもう一か所、近所ながら
未踏の地であったヲーターフォールを見物し、
見事クモの巣にかかった後、五滝入口の反対側から林道に入った。
今日のスタートは頂上地点、5つ目の滝から順に下って行くのである。

山の尾根に沿ってしばらく歩き、下りの階段に入ると杉林が広がっていた。
杉の葉や枝で埋もれている木の階段を何十段と下って行くと、水の音が聞こえてきた。
CRW_40912.jpg

3年前の記憶なので定かではないが、
相変わらず高さはあるのに
水量の少ない滝の姿が現れた。
5つ目の滝、象(蔵王)の滝である。
かろうじて許せるのは名前だけかと
思いながら4つ目の滝を目指す。

ここからは滝のかかる沢に沿って下って行くため、
足元は力尽きた杉の葉や木の階段ではなく
大きな岩や人口的に積まれた石の階段となる。
この岩が非常に曲者なのだ。
豊かな水量を誇る大きな滝の水しぶきで濡れたのならば納得もする。
しかしあいにく滝の水は心細いものだし、
沢自体には大量の水が流れているものの、どこにもしぶかれる要素の見当たらない。
なのにその沢から離れた岩までがなぜかびっしゃびしゃに濡れており、
足を置く岩置く岩全てが非常に滑りやすくなっていて危ないことこの上ないのである。

この危険な岩場を必死の思いで下っていくと、
なだらかな石の階段を下りた所でなぜか順路を見失ってしまった。
この先にあるのは大きな岩で、その先は崖のように見える。
と、いうのもその横を流れる沢の水がそこから急降下しているので
このままあの岩を降りると自分も急降下なのではないかと思ったのである。
少し戻って別の踏み後を辿ってみると、見晴らしのいい本気の崖に繋がっていた。
沢を横切って反対側へ移るのかとも思ったが、
そこは斜面で人の歩けるような場所ではない。

こんな所で方向音痴を発揮している場合ではないのだが、
誰も迷わないであろう遊歩道(?)で私は迷ってしまった。
それも5つあるヲーターフォールのうち、まだ1つしか見ていないのに。
しかも初めて来たわけでもない場所で。
しかし、こんな所で無理をしても仕方がない。
山で迷った時にいつも頭をよぎる、「家の近所で遭難」とか
「遊歩道から落下か」というbabar新聞の見出しを想像して
やはり諦めは肝心であると開き直り、元来た道を戻ることにした。

誰もいない山で迷うなんて日常茶飯事となった今、
引き返す事に対する後ろめたさなんてものはない。
しかもまだ時間は早い、車で一旦山を降りて
順路通りに下から登ってくる時間も十二分にある。

意気揚々と来た道を…と言いたい所だが、
沢から離れて尾根沿いの道へと急激に高度を上げながら登る杉林の階段は
今日一日の山歩きの中で最も体に堪えるものであった。
やっと着いた車の傍のベンチに、奇妙な虫と肩を並べて腰を掛け、
ゆっくりとコーヒーを飲んでから気を取り直して
五滝の下の入り口に向かったのである。
04

06

22:25
Tue
2010

No.0504

生命力

暴風に耐えながら洗濯物を干す辛い季節も終わりを告げ、
毎朝すれ違う、茶色いダウンジャケットで犬の散歩をするおじさんの
固く上まで閉まっていたジャケットの前ファスナーが開いていたある土曜日、
風は最後の大仕事とばかりに轟音を轟かせていたが空はすっきりと晴れていた。

いつもは手洗いをして部屋の中に干すストッキングを、
無精してネットに突っ込み洗濯機で回した。
手洗いよりもキレイになったかしらと鼻歌交じりに
それを他の靴下と一緒にそのままぶら下げて外に干しておいたところ、
数時間後、ストッキングは大変な災難に見舞われたのである。

相変わらずバスタオルはひっくり返り、Tシャツはかろうじて物干しに引っかかっている状態で
苦境を耐え抜き、何とか立派に乾いていた。
もちろん、薄っぺらいストッキングもいち早く乾いてはいるのだが、
近くの木に巻きついて大変なことになっている。
どうやら件の暴風の中で夢中になってバタ足をしている間に力尽きて絡まってしまったらしい。
物干し竿に巻きついてくれていたら救いようもあっただろうのに、
よりによってササクレだった木の幹を選ぶとは何とも命知らずである。

昨日、袋から出したばかりだけれどこうも固く巻きついてしまっては仕方がない。
許しておくれと祈りながら、力任せにムリヤリ引き剥がした。

99%、私はストッキングの死を覚悟していた。
が、残り1%の望みが引き剥がした後のストッキングへ私の目を向けさせる。

何ということか、奇跡的にもストッキングは無傷であった。

爪や手入れ不足のカカトによって儚くもその命を落とすストッキングの、
場合によっては人の皮膚をも切り裂く木の幹のササクレにも耐え得る程の生命力に衝撃を受け、
両手でストッキングを持った私は暴風に髪を巻き上げられながらしばらくその場で立ちすくんでいた。
04

04

20:50
Sun
2010

No.0503

週末アジア

週末に時々私が訪れるのは“びっくり日曜市“である。
“びっくり日曜市“はその名の通り、毎週日曜日に催されており、
朝っぱらから血眼のおっさんおばさん達がひしめきあっている。

“びっくり日曜市“には何でもある。
軽トラの荷台に山盛りに積み上げられた白菜だけの八百屋さん、
パンパンに膨らんだビニール袋が並ぶメダカ屋さん、その隣は水草屋さん。
寿司屋さんもあるし花屋さんもうどん屋さんもパン屋さんもある。
もちろん、ガラクタ屋さんだってある。
疲れたらお団子屋さんで団子を買ってベンチに座り、
喉が乾けば広場の屋根付き休憩ベンチを利用した青空喫茶店もある。
ここへ来れば靴下から生きたスッポンまで何でも買えるのだ。

コーヒーミル以外に刃のついたものは手にせず、
ヤカンのお湯を沸かす以外に火を使う事のない私は一見すると、
びっくり日曜市には何の用もなさそうに見えるが、用は大アリだ。
私の目当ては骨董品屋さんである。

骨董品屋さんとガラクタ屋さんは、同じようであって同じではない。
びっくり日曜市の骨董品屋さんの店主は胡散臭いじーさんが多く、
ガラクタ屋さんは胡散臭いおばさんであることが多い。
びっくり日曜市の骨董品屋さんのお客さんは胡散臭いじーさんとおっさんが多く、
ガラクタ屋さんにはお客さんがいないことが多い。

胡散臭い店主と胡散臭い客と胡散臭い商品から見ると、
胡散臭いのは逆に私なのではないだろうかと思うこともある。
しかし、長い年月をかけてセピア色になった数々の骨董品と店主と客に
どれだけ冷たい視線を投げかけられても、私が気付かぬ素振りで眠そうな顔をしながらも物色するのは、
他でもない、象の置き物を探すためである。

雑貨屋さんのかわいい象さんも嫌いではない。
しかし私は木彫りのリアルな象の彫刻が欲しいのだ。
そこで私は度々、びっくり日曜市やリサイクルショップへ足を運ぶ。
そんな私の象収集にはなぜかおかーしゃんも協力的で、
質屋の集まりなどに招かれると象を探しては連れて帰って来てくれることもある。
そしておかーしゃんは、骨董屋さんで良い象を見つけるためには
こまめに通うことが大事なのだと常日頃から私に説いている。

彫刻の象はたいてい、牙が差し込み型になっているため紛失されていることが多い。
また、保存状態の悪さ故に色が褪せていることも多い。
ホコリなどは気にせずともよいが、牙と色褪せをクリアする象はなかなかいないのである。
仮にやっと良い象が見つかったとしても、次は老獪な店主相手に値段交渉という大仕事が待っている。
これがリサイクルショップなんかだと、ちょっとお願いしてみたら案外簡単に
びっくり価格で手に入ることもあるのだが、“びっくり日曜市“の店主ではそうはいかない。
色が褪せているだの牙がないだのとケチをつけても頑として首を縦には振らないのである。
もちろん、東南アジアのお土産屋さんでは有効な“店を出るフリ“作戦もあまり通用しない。

本日の“びっくり日曜市“は、象不在であった。
日曜日の早朝に早起きしてやって来ても、大概は肩を落として手ぶらで帰るのだが、
翌週になると「今日こそはいい象が来ているかもしれない」という気がしてきて
やっぱり眠い目をこすりながら“びっくり日曜市“へと足を向けるのである。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。