続続・よいこの1日  -

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No.0

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07

25

21:31
Sun
2010

No.0521

売り子たち

CRW_4348.jpg

当然の事ながら、タージマハルの周辺にはお土産物屋さんがたくさんあり、
そこで売り子として活躍しているのは小さな子供達である。
店舗のあるお土産屋さんはおっさんか、時々14~15歳くらいの少年が店番をしている。
そして道端で風呂敷の上に広げているお土産屋さんでは、
おばさんが店番をして10歳にも満たない子供達が歩いている観光客について回る。

元気な少年達は「タカクナーイ。ヤスーイ」と連呼し、
小さな子供達は目をうるませてお願い攻撃なので振りきるのも大変だ。
売っているのはタージが中に入ったスノードームのキーホルダー。
一人あたり大体10個くらいを指に引っかけてやってくる。
要らないと言って相手にしないでいると子供達は半ばヤケクソ気味に、
5つで3ドルとか持ってるスノードーム全部で5ドルとかまとめ売りになってくる。
何でもいいから売ってしまえと思っているのかと思いきや、
物に対する愛情は我々よりも深く、誤って地面に落そうものなら
即座に拾い上げ、“ごめんなさい“の意味なのか落としたキーホルダーに何度もキスをする。

土産物の出張営業サービスに子供を使うというのは非常に憎い手である。
とある少年があまりにも可愛かったので、
彼のお母様が広げている土産物を何か買ってあげようと思った。

風呂敷の露店でも、木彫りの置き物や布など何かしら買ってもいいなと思うものが
たいていはあるはずなのにインドの露店にある土産物は、お金を出して買うような代物ではなかった。
粘土を固めたような象の置き物は足の太さが4本とも違うし、左右で目の位置が全然違う。
小学生が図工の時間にこれを作っても、もう少しマシなものになるだろう。
後はお祭りの夜店で売っているような指輪とか、
ガラスの破片やキーホルダーのチェーンを貼り合わせて宝石のように見立てているボールペンとか、
またそのボールペンの蓋を取るとインクが漏れているとか割れているとか、
要するに、とにかく拾ってきたもので作っているとしか思えないようなものばかりだったのである。

象だかマンモスだか怪獣だかよくわからない置き物を買っても良かったが、
悩みぬいた末に一番まともだったブレスレットを買うことにした。
ブレスレットは細いものが5つセットになっており、色もピンクとか緑とかゴールドとか色々ある。
必死に頭を悩ましていると、一人のおっさんがやって来て一緒に選んでくれた。
が、私が悩んでいるのは色ではなく、どれが一番壊れていないかという所だったので
あまり有難い協力者とは言えなかった。

悩んでいる客(=私)をほったらかしにして、お母様は一体何をしていたかと言うと、
別の露店の息子であろう少年が「これは壊れている。それも壊れてる」と
私の見ている土産物にケチをつけて自分の店に連れて行こうとするので、
しばらくは耐えていたもののとうとう堪忍袋の緒が切れたらしく、
傘を振り回して少年を追い掛け、叩きまくるという作業に追われて忙しかったのである。

これには他の露店の皆さまも驚いたらしく人だかりができる大騒動になっていたが、
暑いし土産物壊れているし、早く切り上げて立ち去りたくなっていた私は、
そんな彼らを尻目におっさんと一緒に黙々とブレスレットを選び続けた。
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07

23

23:15
Fri
2010

No.0520

インドの食べ物

CRW_4186.jpg

インドに行くと必ずお腹を壊す。
とか
最悪の場合、入院するハメになる。
とか
ミネラルウォーターも気をつけなければ、
うまい具合にキャップを開けてインド水を入れて売っていることがある。
とか色々と怖い情報を仕入れていたため、
体調管理には非常に神経質になっていた。
と、いうのは初日だけである。

インドは朝・昼・晩とカレーでおやつもカレーの国である。
スリランカでもずっとカレーを食べ続けた記憶があるが、
スリランカでもインドでもカレーに飽きたという事はなかった。
お腹が空いたね。カレーでも食べますか。
そんな会話を1日に幾度となくG殿と交わし、カレーを食べに行く。

ところで、私が一番気にいったのはサモサである。
三角形の衣の中にジャガイモやグリーンピースなどの具が入っていて、
カレーソースにつけて食べる軽食である。
アグラの町で、駅で、バラナシの町で事あるごとにサモサを食べた。
その内の一回くらいは当たりを引いてお腹を壊したが。

ラッシーにも挑戦した。
ラッシーは飲むヨーグルトのような飲み物で美味しいことは美味しいのだが、
何せどこで買っても生ぬるいので私はたいてい水かチャイを頼み、
G殿が頼んだ時に少しもらうくらいであまり好んで飲んではいない。
一度、コーヒーを頼んでみたところ、びっくりするほどマズイものだった。
紅茶もブラックティはとても飲めるような代物ではない。

タージマハルからの帰り道、道端でタコ焼きみたいな丸いものが
ケースにいっぱい入っているのを発見した。
インド人のおばさんが必死にそれを食べているので
試しに一つ買ってみようと思いそれくださいとお店の少年に言ってみた。
すると、タレのようなものが入った葉っぱでできたお皿を渡され、
それを受け取ると少年はそこにタコ焼きを1つだけ入れてくれた。
このタコ焼きは、揚げた薄い皮の中に
ジャガイモのカケラが1個だけ入っており、後は空洞になっている。
一口で食べると少年がすかさず次の1個を皿に投入した。
G殿にそれを食べさせると少年はまた更に1個入れた。
どうもわんこそば方式で、ストップをかけるまで1個ずつ皿に入れるというルールらしい。
そして食べた分だけ、後からお金を請求されるのである。
先ほどのおばさんは私が去る時も絶え間なくこのタコ焼き(風のもの)を食べていた。

暑さに負け、アイスクリームを買ってみることにする。
マンゴーとラズベリーとKatcha Pakka Aamなるフレーバーがあり、
色はそれぞれオレンジ、蛍光ピンク、蛍光緑である。
私は蛍光緑のアイスを選び、食べてみたところ、何だか果物の皮のような味がした。
後日、仲良くなったインド人に聞いてみると緑のマンゴーだと言っていた。
帰国後、ネットで検索してみたが出てこなかったので真実は未だ謎である。

インドの町を歩けばおいしいものがたくさん見つかる。
例に漏れずもちろんお腹も壊したが、“晴れ時々雨“くらいのもので、
ビルマのそれに比べると断然マイルドである。
1週間のインド滞在中、一番強烈だった当たりは
帰りの飛行機で食べた機内食だったことをここに記しておこう。
07

20

00:56
Tue
2010

No.0519

灼熱のタージ・マハル

CRW_4333.jpg

今回の旅の目玉は当初、「タージ・マハルを見る」だった。
なぜこの目的にしたのかと言うと、
時期が悪くて象のいる国立公園が閉鎖されていたため、
毎回の旅行で3日は充てているエコツアー的なものができないため、
そして「インドと言えばタージ・マハル」的な考えが頭にあったためである。

目的のものを見て感動するためには、初めて目にする一瞬がとても大事である。
だから、ブラジルのイグアスの滝を例に挙げると、
滝を見ながら遊歩道を歩いて行って最後に一番でっかい滝に行きつくとか、
日陰のない炎天下を延々歩いてやっと辿り着いたそこには悪魔ののど笛があるとか、
ちょっとした苦労の末に到達するという過程は感動を倍にすると思うのである。

さて、インドのタージはどうかと言うと、
実は駅からホテルへ向かうリキシャーの中で見てしまった。
そしてホテルの窓からもあの玉ねぎが見えていた。
もちろん、屋上からも見えた。
その後、夕方からはリキシャーで川の対岸から後ろ側を見た。
こんなにも色んな所から見て見て見て見てしまった後で、
750ルピーなんてべらぼうな入場料を払って中に入ってもその感想は、
「暑い」の一言に尽きる。

タージに入るには、カメラや水・食べ物や貴重品以外はロッカーで預かってもらわねばならない。
このロッカーはタージの入り口から少し離れた場所、
と言ってもこの暑さなので少しと言っても歩くのが嫌になるくらいの場所にある。
我々は歩いて預けに行ったが、帰りに荷物を取りに行く時は
どれだけボられてもいいからサイクルリキシャーに乗りたいと心から思った。

チケットを買い、水をもらってゲートに並ぶと、
周りに外国人観光客は非常に少なく、長蛇の列の正体はオールインド人であった。
しかも彼らはパーソナルスペースなんてものは無いに等しいくらいに密着してくるので、
接近戦を非常に苦手とする私は本当に参ってしまった。そして暑い。

ゲートを通ると今度はボディチェックを受け、やっと中に入る。
ゲンナリしながらペットボトルを見ると、この時点ですでに半分を飲み干していた。
右を見ても左を見てもインド人だらけ、インドに来ているんだから当然だが
オフシーズンとは言え、こんな観光地に外国人観光客が殆どいないなんて
皆、どこに行っているんだろうか。
後で聞いた所、この時期はインド人の休暇であるためタージはインド人が多いらしい。
そう考えると、ネットで列車の切符が取りにくかったのも納得がいった。

日陰を見つけては休憩しながら、やっとタージの入り口に到着。
タージ内部は撮影禁止である。
中に入ってみると、棺のある広間はそんなに広くなく、
そこに相変わらずインド人達がひしめきあっていて、
携帯カメラで棺の写真を取ったり、隅っこの方でインド人カップルが
IDカードを首からぶら下げたガイドに記念写真を撮ってもらったりしていた。
念のためもう一度書いておくが、タージ内部は撮影禁止である。
どこの国にもダメと言われてもやってしまう人はいるが
観光ガイドが撮影禁止の張り紙の前でシャッターを押しているなんて
さすがはインド、何でもアリなのかと感心してしまう。

ところで、このタージ観光は夕方4時頃から出発した。
日中のあまりの暑さにG殿は日中はホテルにいて夕方から動き出そうと提案したからである。
ホテルのマネージャー達も、こんなに暑いのに外に出ない方がいいと言って引きとめた。
確かに殺人的な暑さではある。が、私にはたった1週間しかない。しかし暑い。
色々考えたが結局、暑さに屈してホテルの中で半日を過ごす。
そして、大勢の人がデリーから日帰りで観光するこのアグラに1日半滞在しながら
我々が見たのは感動の薄いタージマハルだけだったのである。
07

19

19:30
Mon
2010

No.0518

ホテルにて

CRW_4272.jpg

駅を出るとたくさんのオートリキシャーが我々の到着を待ち構えていた。
ドライバー達に値段を訊ねてみると彼らは勝手に値段競争を始め、
特に何をするわけでもなくあっという間に当初の言い値の1/4まで下がっていった。
その中で我々が選んだのは凛々しい眉毛のおっさん(後で年齢を聞くと若干27歳だったが…)で、
この旅で使ったリキシャーを後から思い出してみると非常に腕のいいドライバーである。

同行のG殿は、比較的値段の安くてキレイな宿の目星をつけてくれていた。
部屋を見せてもらうとファンの部屋は窓からタージマハルが見える上に清潔だった。
続いてエアコンの部屋を見せてもらう。
こちらはレセプションと同じ階に2部屋あり、
ファンの部屋の2倍ほどの広さとゴージャスな内装になっており、
机や椅子に大きな鏡、清潔で広々としたシャワーとトイレがついていた。
日中、ずっと外で遊ぶことを想定していた私はファンの部屋で十分だと思っていたが
部屋でくつろぐ時間が長いことを想定していた長期旅行者のG殿はより快適な部屋を選んだ。

私は基本的にエアコン付きの部屋は選ばない。
なぜなら、私が旅をする国は停電が多いからである。
ファンは自前のバッテリーで動くがエアコンは停電になると真っ先に止まる。
エアコンのない部屋が暑いのは納得がいくが
ただ壁についているだけでエアコンの使えない部屋に割増し料金を払うのは嫌なのである。
そんなわけで、深刻な電力事情に悩むインドでもやはりエアコンは
「たまに涼しい」を与えてくれるだけで、停電になると窓のないエアコン部屋は
昼間でも真っ暗かつ蒸し風呂のような状態になり、
停電になると部屋のドアを開け放して光と空気の流れを確保せねばならなかった。
私はこれを不服とし、G殿にバラナシではエアコン付きの部屋には絶対泊まらないと告げた。

さて、部屋も決まり落ち着いた所で先ほどのドライバーが観光の足に
自分を雇ってくれまいかと打診してきた。
この後、夕方からタージマハルの裏側を見に行き、明日は中に入って正面から見たり
アグラ城を見たりお土産ものを買うといいというのが彼の提案である。
値段交渉を得手としない私は、こういう打診は毎回お断りするのだが、
何せこの暑さと、大量のインド人に揉まれながら好き勝手に動き回る恐怖心を
未だ拭えていない私は、今この1回のめんどくさい値段交渉を我慢すれば
後はストレスなく観光ができると思い、話にのることにした。

ああでもないこうでもないと散々交渉した末、
翌日の丸一日観光はどうも高額になりそうなのでやめておき、
今からの半日だけお願いすることにした。
そして2人で150ルピーと主張する我々に対し、
1人150ルピーだと一歩も引かないドライバーは結局、
「じゃあ君はタダだ。でもあいつは150ルピーだ。」
というわけのわからない値段設定を提示することで、
実質2人で150ルピーを承諾したのである。
07

14

22:30
Wed
2010

No.0517

列車模様

CRW_4396.jpg

デリーからアグラへのチケットは駅の2階にあるツーリストオフィスではなく、
1階の現地の人と同じチケット売り場で購入する。
と、事前に聞いていたがG殿に信用してもらえず、まずはツーリストオフィスを訪ねた。
ガイドブックには、駅はウソツキインド人がたくさんいる上に
ツーリストオフィスは分かりにくいので辿り着くのに苦労すると書いてあったが
誰に阻まれることもなく、迷う事もなくツーリストオフィスのドアを開ける。
クーラーの効いた涼しい部屋で順番を待ち、カウンターに行くと
アグラ行きの切符は下で買えと一蹴されてすごすご部屋を出る。

下の切符売り場は人の頭でいっぱいになっており、複数ある窓口に
それぞれ一列になって並んでいるのにカウンターが近づくにつれて密度が増してきて、
さて次は自分の番だという時になると後ろや横から
お金を握った腕が色んな方向から飛び出て来た。
気の弱そうな小さな外国人だと思ってナメて遊ばすのねと思い、
お腹にまきつけた貴重品を気にしながら負けじとお金を突き出す。
“アグラまでーぇー…オトナ2マイ!“とカウンターにしがみつきながらやっとの思いで告げると、
10本くらいあるお金を握った腕の中から窓口の人は
黄ばんだ小さな腕、つまり私の出した手からお金を取り、チケットをくれた。
よかった。インド人は図々しいけど公平な、あるいは
人ごみでつぶれそうな私を気の毒に思ってくれる優しい人種であるらしい。

チケットを握りしめて次なる難関はどのホーム、どの列車、どの車両に乗るかである。
お巡りさん風の制服を着ている人とその辺を歩いている人と売店の人に訊ね、
全員が9番だと言うのでそれを信じて9番ホームへ向かう事にした。
ホームに向かう我々の頭の上からアグラ行きは9番ホームですよとアナウンスが流れていた。

降り立ったホームにあったのは長い長い電車である。
電車ではなく汽車のみ走っているbabar県の列車は最大でも2両なので、
こんな先頭が見えないほど長い電車は私に大きなショックを与えた。
どの車両に乗るべきか迷いつつ、ホームを歩く。
車体にACと書いていて窓が閉まっていて中が見えないのは恐らくエアコン車両だろう。
車体に3Tierと書いていて鉄格子見たいな窓が空いていて
ギラギラした目がいっぱい覗いているのがきっと3等、つまり我々の乗る車両だろう。
3等の比較的空いていそうな車両…
なんてあるわけがなく、どの窓からもたくさんの視線や腕がはみ出ている。

仕方がないので一番近くにある入口から乗り込もうと歩を進めると、
一人の若い殿方が同時に乗り込んできた。
自分の持っているチケットを見せて、この車両のクラスで合っているかと尋ねると
この車両で間違いないと言って電車の中へと誘導してくれた。
電車の入り口脇にはひどい悪臭を放つ薄暗いトイレがあり、その前には
やせ細った若い婦人と老女、そして婦人の子供らしき裸の赤ちゃんが転がって
何か訴えるような目で私達を見ていた。

車両の中は既に満員で、こんな混雑した車両に大きな荷物を持ち込んで申し訳な…
…いや、インド人達の方が大荷物である。
何が入っているのか皆目見当のつかないボストンバッグや
紐で縛った1m四方くらいの包みなどが荷物棚に押し込まれ、或いは足元に置かれていた。
2年も世界を旅しているバックパッカーG殿が、自分のバックパックはでっかいから
椅子の代わりにこの上に座ってもいいと言ってくれたので
遠慮なく腰かけさせてもらい、人の熱気に耐えながら扇子を使っていると、
向こうの方からさっきの殿方が、“席を一つだけ作ったから君だけおいで“と手招きした。
G殿には申し訳ないがここはレディファーストということで、
私は2段になっている座席の上の段に座っている殿方の隣に座り、インド人との密着を免れる。
夜行になると寝台として使うのであろうこの席はすのこのように隙間の空いた板張りなので
列車が走りだすとお尻の下を風が通り、非常に快適だ。

さて、下の通路に座っているG殿は無事だろうかと覗きこむと、
いつの間にか席を確保しており、夢中になって何かの文庫本を読んでいた。
安心した私は、体育座りをしたり乙女座りをしたり胡坐をかいてみたりしながら
席をくれた殿方との会話で4時間を過ごすことにする。

パリッとした黒いシャツを着た殿方A殿は何と若干19歳の学生であった。
姉の結婚式のため、アグラよりもう少し先にある故郷まで帰省する途中なのだそうだ。
どこから来たのかという問いに対し、日本であると答えると彼は、
日本は素晴らしいテクノロジーを持った国だと目を輝かせていた。

お昼の11時ぐらいを過ぎた辺りだろうか。
私のお尻の下を爽やかに吹き抜けていた風が突如、熱風に変わった。
持っていたペットボトルの水はもはや水ではなく、
世間一般論としてこれは湯というものではないかと思う。

絶対人なんか通れそうにないほど人の頭でびっしりと埋まった通路を
フルーツ屋さんとかお菓子屋さんとか本屋さん達が
人と人の間のちょっとした隙間に自分の体をねじ込みながら通り過ぎる。
そしてラクナウという駅に停車した途端、一気に大量の人々が下車していった。
乗車率も100%くらいまでは下がったかもしれない。
モノ売りの人達もさぞ仕事がやりやすくなったことだろう。

人が少なくなったら今度は60歳くらいだろうか、
サリーを着た女性が太鼓を叩き、歌を歌いながら歩いて来て、
「アンタ、歌聞いたんだからお金払いな」とでも言わんばかりに
乗客の目の前に手のひらを突き出した。
いくらかの小銭をもらって去って行った彼女は、とても心地よい声の持ち主だった。

もう少しでアグラに着くだろうという頃、突然通路に立った中年の殿方が
大きな声で朗々と何事かを語り始めた。
最初は怒っているのかもしくは経典か何かを朗読しているのかと思ったがそうではなく、
彼もまた、売り子であった。
インド版・実演販売をする殿方はにこりともせずに
くしやバスタオルなどの雑貨を次々に出しては乗客に触らせ、
しまいには織物のようなでっかい布まで取りだしてセールスをしている。
一生懸命に仕事をする彼の努力もむなしく、結局誰も何も買わなかったが。

そうこうしているうちに電車はアグラへ到着。
ホームには何も書いてないがとにかくここがアグラらしい。
親切な殿方A殿にたくさんお礼を言って別れ、ホームを後にした。
07

11

22:02
Sun
2010

No.0516

廃墟の町 デリー

CRW_4179.jpg


デリーの悪評は散々聞いており、
今までの経験からして首都などの都市部の滞在でいい思いをしたことがないため
今回もデリーは通過のみとする。
夜の10時過ぎにデリーに到着し、あらかじめ迎えを要請していた
この日の早朝にエジプトからデリー入りしているG殿と落ち合う。
翌日はすぐにアグラへ向かうため、駅近くのメインバザール沿いにある宿へ向かった。
初めて歩いたデリーの町はまさしく廃墟であった。

デリー駅周辺を少し離れると、結構な都会になってはいるのだが、
この通りは「メインバザール」だなんていっちょまえの名前がついているものの
道は舗装されておらず両脇に立ち並ぶ建物は悉く荒廃し、
道の両脇はロープを張って大きな穴をあけていた。
昼間に道をあるこうものなら上からレンガやコンクリートが降って来て
危険極まりない上に電線は絡まり合ってスチールウールのようにぐじゃぐじゃのままぶら下がっている。
こんなボロボロの通りなのに人通りはやたら多く、
土が盛り上がっていようが穴が空いていようがサイクルリキシャーも通っているのだ。
そして壊している建物の1階部分ではところどころお店が営業していて
ちょっと路地を入ればゲストハウスやネットカフェや雑貨店や散髪屋が事も無げに並んでいる。
インド舞踊をやっている友人に後から聞いた話では、
このメインバザールも少し前までは普通の通りだったが
最近、政府がこの地域一体を買い取って整備を始めたのだそうだ。

メインバザールを駅と反対方向へ少し歩くと、相変わらず道は舗装されていないが
色んなお店が軒を連ね、2階部分が家になっていたり
屋上らしき所にブロック塀を積み上げて四角い箱(?)を作り、そこにもまた人が住んでいたりする。
宿の屋上などから見渡すと、建物の屋上にマットを敷いてたくさんの人が寝ているし
建物以外の場所では、道路脇で段ボールだなんて可愛らしいものではなく、
大きな道路の中央分離帯の上にびっしりと人が横たわって眠っているのである。
さすが人口11億人の国、インド。
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