続続・よいこの1日  -

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No.0

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03

30

23:17
Wed
2011

No.0551

ラオスの第一歩

CRW_5251.jpg

15日以内の滞在であれば日本人はビザが不要である。
そんなことは知っているのだが、私はインドへのフライトの関係で
どうしても17日間、滞在をしたいと思っていた。
ラオスを15日に抑えて残りの2日をバンコクで過ごすくらいなら
多少のお金がかかってもラオスに留まるというのが私の考えである。

が、親切なのか手続きが面倒という怠慢なのか、
夜行バスの係員にビザの申請書をくれと言ったところ、
写真がいるんだぞとかお金がいるんだぞと言って阻もうとする。
写真もお金も持っていると伝えると、15日で帰ればタダなのに
たった2日のためにそんなにお金を出すつもりかと説得された。
無論私はニコリともせずに、だって17日間いるんだから
お金かかっても仕方がないでしょうと言い、書類を受け取った。

他の日本人達がスムーズに入国しているのに
私はヨーロッパ人の長蛇の列に並んでビザの手続きをし、
イミグレーションを抜けると、ミニバスが今まさに出発せんとしていた。
私と待ってくれていたOL殿は、もはや乗る余地もないようなミニバスに
ムリヤリ詰め込んでもらい、立ったままヴィエンチャンへと向かったのである。
そしてこの混乱を極めたバスの中に私は上着とストールを置き忘れる。

さて、ヴィエンチャンに降り立った日本人は5人。
私とOL殿の2人に加え、仕事の休暇で来ていた殿方(一番年長なので年長殿とする)、
仕事をやめ、初一人旅でアジアを2カ月程周る予定だが何も決めずにやってきたノープラン殿、
そして弁護士資格を取ったものの嫌気がさして弁護士にならずに旅に出た弁護士殿の3人である。
もう2人、女子大生がいたが彼女達はそのまま降りずにバンビエンへ行ったそうだ。
この女子大生とは後日、ルアンパバンで再会することになる。

何ともちぐはぐな5人で騒がしく宿を探し、一息ついたところで両替へ行ことにした。
タイバーツと米ドルが問題なく使えるらしいが、2週間あまりの滞在なので現地通貨は必要である。
両替屋では、電子ボードではなく紙に書いた手書きのレートが窓口に貼られていた。
窓口のおばさんに意気揚々と1万円札を出したところ、
おばさんは受け取ったお札を入念に確認し始めた。
偽札チェックだろうか、かなり徹底的に見ている割には
透かして見たりはしない辺りにツメの甘さが感じられる。
と、おばさんが私の方に向き直り、手書きのレート表を出してこう言った。

「これはどこの国のお金ですか。」

ここはヴィエンチャン、ラオスの首都。
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03

29

21:57
Tue
2011

No.0550

ロイヤルエレファントミュージアム

CRW_5124.jpg

前回やり残したもう一つのこと。
それは、ロイヤルエレファントミュージアムに行く事だ。
前回の教訓を活かし、今回はツアーからもどるとそそくさと一人で出かけた。

ウワサによるとあまり大きなミュージアムではなく、入場料も無料だそうだ。
が、公共交通機関を使っていくとかなり歩かねばならないようなので
アクセスはタクシーを利用するとのこと。
バンコクに長居をするつもりなどさらさらない私としては、
1泊を余儀なくされた今回はぜひとも行っておきたいところである。
だって象のミュージアムだもの。しかもロイヤルだもの。
だから抜かりなく地図や住所の掲載されているwebページのプリントアウトまで持ってきたのだ。

さて、停まっているタクシーに声をかけてみる。
ロイヤルエレファントミュージアムと言ってもドライバーはピンと来ないらしく
わからないからヤダと言われてしまった。
めげるもんか。だって私は地図と住所を持っているのだから。
と、持ってきた地図を広げて見せてみるがやはりわからないと言われる。
じゃあいいと言って別のタクシーに聞いてみることにした。
2台目のドライバーは、タイ語しかわからないようだったが
身振り手振りから、どうやら彼もロイヤルエレファントミュージアムは知らないようだった。
ロイヤルなエレファントがいっぱいいる(であろう)博物館を
地元ドライバーが悉く知らないなんてそんなことがあってもいいのかと
憤りを覚えつつ、再び持参した地図を見せる。
地図と住所を照らし合わせ、彼は大体の場所がわかったから行けると思うと言った。

早速、車に乗り込んで向かってもらう。
地図を見ながら窓の外を見ていると、確かに方向はあっているようだ。
いよいよ念願のミュージアムに行けるのねと一人で心を躍らせる。

さて、そろそろ近くかなと思っているとタクシーは困ったように減速し始め、
ついには道路脇に停まってしまった。
タイ語で何か必死に言っているがよくわからないので
地図で言うとこの辺りのどこかを左に曲がるんじゃないのかと左を指差すが
相変わらずドライバーは何か言っている。
後は左に曲がるだけなのにまさかここまで来て迷ったとか言わないだろうとは思うが、
ドライバーがあまりに困っているのでどうしたものかと考えていると、
ドライバーは車をUターンさせて来た方向へゆっくりと戻り出した。
そして、博物館の方向に伸びた道を指さすと…
そこは誰も歩いていなかった。と、いうか通りの入り口が封鎖されていた。

反政府デモ等の関係で、国会議事堂などの政府関係の建物があるこの通りは
きっと警察によって封鎖されているのだろうと推測された。
昨日、散策している時も赤シャツの集団を見かけたことだし。

仕方ないので諦めて宿に帰ろうとドライバーにその旨伝えると、
今度は宿まで乗せて行けないと言いだした。
道路の封鎖は仕方ないから諦めるが宿に行けないとはどういう了見だ。
なんだとじゃあ私にここで降りろと言うのかと詰め寄っていると、
私が降りると思ったらしい欧米人女性3人組がドアの前で待機を始めた。
私は断固として降りないとドライバーに行った所、
お互いの言い分は通じ合っていないものの彼は車を発車させた。

彼は、戦勝記念塔のロータリーに私を下ろしたが、
その間ずっとタイ語で侘びの言葉を述べていた。
そしてタクシー運賃をまけてくれた。

帰りに、タイ人に間違えられて募金箱を持った女子大生に掴まったので
まけてくれた運賃と同額を募金箱に入れた。
03

28

23:25
Mon
2011

No.0549

ツアーの正体

CRW_5138.jpg

ビルマ旅行の折に、トランジットの間にバンコクでやりたいと思いつつ
できなかったことを今回は全部やってみたいと思っていた。
その一つがフローティングマーケットである。
バンコクから大分離れた場所まで車で行かねばならず、
早朝に出発しなければならないということで前回は諦めた。
今回、この水上マーケットの存在は忘れていたのだが、
同行女性の提案によりそう言えば…と思いだしたのである。

集合は朝の7:30、ミニバンに乗っていざ出発…と言いたい所だが、
走って5分程で車は道の端に停車、トライバーは誰かと電話で話し出した。
同僚の女性が携帯電話を車の中に落としたと言っているので探してくれとのこと。
乗客が揃って携帯電話を探すが見つからず、諦めてくれたかと思いきや
携帯電話の主は納得せず、自分で探したいから今から来ると言いだす始末。

足止めを食らうことに腹を立てた欧米人女性が文句を言うため窓をノックし始め、
成り行きを一番後ろの座席から見守っていると
ドライバーは慌てて運転席に戻り、車は急発進した。
人騒がせな携帯電話は持ち主のバッグに入っていたとのことだった。

さて、車は2時間程走り、フローティングマーケットに到着。
着いた所は川の周りに土産物店が立ち並ぶ巨大なマーケットだった。
1時間半程の自由時間を与えられ、その後エンジン付きのボートに乗る予定だが
自由時間中に手漕ぎのボートに乗りたい場合は別料金だと説明を受ける。
我々は相談の上、後で乗れるから手漕ぎボートは乗らなくていいという結論に落ち着いた。

手漕ぎボート乗り場の周辺はみるみるうちに混雑をはじめ、
ボート同士がぶつかり合う隙間もなく密着していた。
揺れている事を除くと、傍から見れば世間一般にはあれを陸というのではないかと思う。

日本を出て2日目の朝にして土産物を買う気などさらさらない私であるが
野菜や食べ物などを売っているボートもあるにはあるが、ここは陸も川も殆ど全てが土産物屋であり、
写真を撮ろうにも被写体は目を輝かせて土産物を物色する欧米人くらいしかない。
とは言え、一通り巨大な土産物マーケットの中をうろつき、
ご飯を食べていると集合時間ギリギリになってしまった。

我々がエンジンボートに乗る頃には、川面に陸地を作っていたボートはいなくなっており、
野菜売りや土産物売りのボートさえどこかへ消えてしまっていた。
後ろに乗っていた日本人の高年夫婦は解散してすぐに手漕ぎのボートに乗ったところ、
あの渋滞に巻き込まれて全く進まず、集合時間に間に合わなくなるからと途中で自ら舟を降りたのだそうだ。
1時間半の自由時間を、お金を出して動かない舟に座っただけで終えるとは甚だ気の毒。
そしてエンジン付きのボートの方はと言えば、
生活感はあるものの誰も表に出ていないほぼ無人である川沿いの町並みを
ボートから眺めただけである。

要するに、このフローティングマーケットのツアーは
いくばくかのお金を出して土産物屋まで連れてきてもらい、
加えて買い物によりお金を落とすというツアーである。
03

27

21:20
Sun
2011

No.0548

準備体操

CRW_5108.jpg

ここ最近の旅を振り返ると、実は一人旅をまったくしていなかったことに気付いた。
12月のインドは現地の友人訪問、6月のインドはG殿と待ち合わせ、
その前の1月ビルマは友人まいける氏と現地集合、
その前の秋に行ったマレーシアは現地の友人に招かれて。
つまり、私ってば一人旅は2009年の夏ぶりなのである。


早朝、バンコクに着いた私はなかなか宿が決まらず心が折れそうになっていた。
もともと好きではないバンコクにどうしても宿を取らねばならぬ理由はない。
そう思い、早々にこの地を発ってラオスに近い所まで進んで行こうかと
考えながら歩いていた所、後ろから日本人ですかと声をかけられた。
声の主は休暇でふらりとタイまでノープランで遊びに来たと言う女性。
彼女とはこの先ビエンチャンまで3日間の行動を共にする。

明日は朝からフローティングマーケットへ行くツアーに参加し、
夜発のバスでビエンチャンへ向かうのである。
03

26

22:56
Sat
2011

No.0547

帰国しました。

デリーからバンコクまでエアアジア、その後タイ航空で関空へ。
というスケジュールの中で、私の懸念はエアアジアの遅延だった。
と言っても、私が今まで乗ったエアアジアで遅れた事は一度もなく、
むしろ自分が遅れて怒られながら乗せてもらった記憶しかないのだけれど。

当然の事ながら今回もエアアジアは定刻通り飛んでくれた。
問題はタイ航空のバンコクー関空便である。

なんと4時間半も遅れてくださった。

いや、遅れやがった。
いや、遅れた。

関空に着いたのは夜の11時、ここからバスに2時間半乗って我が家へ…
といきたい所だが当然バスは既になく、帰れないことが始まった。

「お帰りの足のないお客様は職員まで…」
というアナウンスが流れた。
よし、さっそく職員殿へ聞いてみよう。

職員殿へ近づくと、スーツ姿の30代半ばと見える殿方が
3人いる女性職員のうちの一人におキレ遊ばしていた。
たった3人で乗客全員の世話をせねばならないというのに
対応がどうのとか説明がどうのという、どちらかというと
我々の足を全部確保できてからゆっくりやってくれ的な用事を
一番乗りにやってきて延々と語り続ける彼は
きっとよっぽどお偉い方で、この飛行機の乗客の中で
最も重要な仕事を抱えるエコノミー客なのだろう。

気を取り直して別の職員殿に自分の行き先を伝えると、
「行ける所まで行って頂いて、タクシーか何かに乗って頂いたら8000円までなら…」
との返答だった。
いやそれは面倒だからイヤだし、行ける所まで行ったとしても8000円じゃ帰れませんよと言い、
8000円で泊れるホテルに泊まらせてもらえまいかと頼んでみた。
彼女は、おっしゃる通りですね調べますねとトランシーバでホテルの空きを聞いてくれた。
手配の途中、彼女が私から5歩程離れたので、
見られると緊張するのかしらとあっちを向いてあげる事にする。

何やら騒がしい上にトランシーバからしきりに私を呼ぶ声がするので
慌てて彼女の近くに行ってみると、
私が目を離した隙になぜか彼女は激怒サラリーマンに捕まっていた。
状況を解さないトランシーバの向こう側の人と状況を解さない激怒サラリーマンの狭間で
彼女は何ともかわいそうな境遇に立たされているので、名前を呼ばれましたがと声をかける。
「先にこっちが話しているんだからアンタはちょっと待ってろよ」
と怒りの矛先が私に向かっている隙に、女性職員は私の宿の手配を進めた。
私の宿の手配をしている途中で後からアナタがやって来たんですよと教えてあげると
ああじゃあお先にどうぞと彼は鼻をふくらませた。
が、どうも待ちきれないらしく話はまだ終わっていないのだと再び怒鳴り始めたので、
「あなたは最初、あっちの職員さんと話していたのだから
話の続きなら同じ職員さんにしてはどうですか」と提案してみた。

彼の表情がみるみる変わった。どうやら私は怒らせたらしい。
次の瞬間、彼が私に発した言葉は

"What a fuckin' MAAAAN!!!"

だった。

「いや私、男と違うし。それともマムって言ったの。いや私、ママ違うし。」
と言うと、ますます怒った激怒サラリーマンは尚も"fuckin'!fuckin'!!"と
「ファッキン(ファーストキッチンの略か?)」だか「百均」だかわからない言葉を繰り返す。
が、私が泊まるホテルの送迎バスがあと10分で出発するので出来る限り急いでと
職員殿が言ったので、彼の相手はそこまでにして私は荷物を取りに行った。

私が5歩走って荷物のターンテーブルまで急いだところで、
ターンテーブルが私に触発されて急いで動いてくれるわけでもなく、
ここで私が急げるとすればターンテーブルを走って荷物を探しに行く事くらいだろうか。

荷物を取り、外へ出る。バスなどどこにもいない。
またあの忙しい職員殿にバスに間に合わなかったなんて言って
仕事を増やすのもかわいそうだしホテルの名前も聞いているのだから
自分でタクシーを拾って行こうかなあなどと考えながら、
その辺に立っていた見覚えのあるおじさんと少し話をする。
バンコクの空港で少し話したおじさんだった。

おじさんと別れた後、近くに工事のおじさんがいたのでバス停の場所を聞いてみた。
親切に教えてくれたので取りあえず行ってみる事にする。
この状況だから多分待っててくれるハズ。

もちろん、バスは待っていた。
ボードを持ったおじさんに早く来てと急かされ、
重い荷物を持っているのに無理とつぶやきながら小走りでバスの傍へ行くと
運転手に満員でもう乗れないと言われる。
ボードのおじさんが何とか乗せてやってくれぇと運転手にお願いすると、
私を含め3人のあぶれた人達と荷物をまとめてムリヤリ乗せ、バスは発車した。
後ろの座席に座っていたおじさんが、「さっきの人、すごかったですなぁ」と
激怒サラリーマンの事と思われる人の噂話をしている。

バスの中から、バス停の方向へ歩く激怒サラリーマンを見かけた。
一番乗りで職員殿の所に行ったのに結局あんな遅くまで話していたのかと思いながら見ていると
速足で歩く彼がバスの方を見た瞬間、目が合ったような気がした。



長々書きましたが、本日帰って参りました。
上記理由により自宅へ戻るのが1日遅れましたが私は無事です。
明日からまた当分、旅日記になりますが
よろしくお付き合いくださいませ。
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