続続・よいこの1日  -

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No.0

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04

08

22:58
Fri
2011

No.0556

ルアンパバン

CRW_5294.jpg

ラオスを訪れた私の友人は、ルアンパバンはとってもいい所で
メコン川を眺めていつまででもボーっとできると言っていた。
その話を聞いて、私はいつか必ずラオスに行きたいと思っていた。
「だって街全体が世界遺産だぜ」だって。

さて、念願叶ってルアンパバンに辿り着いた私。
象祭りまで3日の猶予があり、それでも足りなければ
祭りの後また戻って来て滞在すればよいと思っていたのだが…

お寺…は実を言うとあまり興味がなくて行っていないが
この3日で滝や洞窟などの見どころは見て回り、
もはや祭りの後に帰って来て何日もここで過ごすという気はなくなっていた。
と言うのも、確かに寺周辺まで行くと静かだが、
とにかく観光客だらけで騒がしいのだ。
車やトゥクトゥクも多く、自分が想像していたのどかなイメージと
あまりにかけ離れており、ガッカリしてしまったのである。

相変わらず体調がすぐれずに腐っている弁護士殿を置いて
メコンの夕日や小さな丘の上にあるお寺などを散策し、
景色としてはとても美しい場所であることはわかった。
が、それにも増して人が多すぎる。

両替をしようと両替屋に行くと、
とある店ではレシートをくれなかったので
お札を全部数え始めると「まだあるのよ」と後からお金を出してきた。
インドでよくある手法で以て私を諮ろうとするなんて
1万円札がどこの国のお金かもわからないヴィエンチャンの方が
全然のんびりしているじゃないか。
私の友人がラオスに来たのは確か3~4年前だ。
この3~4年の間にルアンパバンの人はこんなにもすれてしまったとは。

この1件でルアンパバンへの落胆が決定的なものとなり、
祭りの後の滞在は別の場所にすることを決意する。
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04

06

23:43
Wed
2011

No.0555

夜行バスの旅

CRW_5219.jpg

さて、一気に2人となってしまった我々は、これから一晩かけてルアンパバンへ移動する。
相方の弁護士殿もノープラン殿と同じく一人旅初挑戦であり、
環境変化や食べ物に相当参っているらしく体調がすぐれない様子であった。
現地メシももはや受け付けずに相当弱っている彼なのに、
旅の衣食住においてあまりこだわりを持たず、安かろう良かろうの私と同行するのは
果てしなく気の毒な事態である。

バスの日本人は前に若い女性2人、後ろにカップル1組、
通路を挟んだ隣におじいさんが1人、我々である。
若い女性2人とは、特に関わりを持っていないものの
後日、偶然にもインドで再会することになる。

悪路のため、夜行は眠れないから外の景色を眺めながら昼間移動する方がよいと
聞いていたのだけれども、バス移動は予想していたよりもずっと快適で
話し相手がいなければすぐにでも眠れると思われた。
何せ、街灯もない山道を走って行くので
車内の電気は出発直後から問答無用に消されているのだ。
揺れも私は特に気にならない。
が、我々はしんみりと2人でヴィエンチャンの思い出等々を語り合い、
夜遅くなってもまだ話し続けていた。

突然弁護士殿が、ラオス風景を楽しみたいから
昼バスにすればよかったと後悔し始めた。
私は基本的に夜行バスが好きだ。
映像の記憶は早々に薄れてしまう事を経験的に知っているので
ラオス風景は窓ガラス越しではなくバッチリ写真に撮りたい。
ので窓ガラス越しに見るのはカメラで残すのが難しい風景の方がよい。

私は弁護士殿に窓の外を見るよう促した。
そこには月明かりに浮かび上がる、巨大な岩山のシルエットがあった。
これは確かにラオス風景だと彼は得心し、その景色と色に2人でしばらく魅入った。

バスは23:00過ぎに売店らしき所で停まった。
有料トイレを使い、屋台を覗くと妙に賑わっている。
客は全てラオス人で売店には魚の干物がたくさん並んでいた。

席に戻ると弁護士殿が、
「ラオスに入ってずっと一緒にいるからこんな質問は変だけど聞いてもいい?」
と言ったのでもちろんだと答えると、この3日間で見た一番ラオスらしい風景は何かと問うた。
私はしばらく考えた後、夜中の23:30に干物屋が儲かっている風景だと答えた。
彼はまた得心し、頷いた。
04

02

21:38
Sat
2011

No.0553

ヴィエンチャンの街並み

P1000079.jpg

ヴィエンチャンのレストランでこんなものを見かけた。
蚊取り線香のケースなのだが、素材はキャットフードの缶。
と言っても、自宅のネコにあげた後の空き缶を使っているのではなく
初めからこういう風に作って売られているものだそうだ。
恐らく、工場での生産過程で出た不良品もしくはパッケージ変更に伴い
不要になったものを利用したものと思われる。

世が世なら廃材となったであろうネコ缶も、
こうし生まれ変わりお金を生み出す商品になることができたのだから
入れるべき中身は食べ物ではなくとも本望であろう。

CRW_5199.jpg

インドの子供達は揃って凧上げをしていたが、ラオスの子供達の娯楽は。
夜になるとマーケットの周辺に爆音の音楽と共に子供達のための遊び場が開かれる。
昔、デパートの屋上やお祭りの時によく見かけた大きなバルーンの滑り台や風船割りの屋台である。
この風船割りはダーツで風船を割り、割った数によって景品をもらうのだと思うのだが
しばらく見ていても子供達はひたすらダーツを投げ続けて一向に終わらず、
ヴィエンチャンだけでなくパークライの祭り会場でも観察してみたが結局ルールはわからず終いだった。
後から聞いた所によると、1~2000キップ(9.5~19円)でダーツを3本与えられ、
3本連続して風船を割ると景品をもらえるのだそうだ。

CRW_5186.jpg

風船割りは大人もたまにやっているが、大人の娯楽と言えばビンゴ。
お祭りの夜店でやっているのはもちろんの事だが
ビエンチャンではデパートの裏の駐車場で近所の人(?)が集まって
テーブルを囲んでいるのを見つけ近寄ってみると、まさしくビンゴをやっていた。
公園の木陰でも自宅の縁側でもなく、デパートの裏口の前で屯するのは
デパートの従業員というよりむしろデパートの客に類する人達である。
熱心にやっているのでそんなに面白いのかと思うと、
彼女達はお金をかけて白熱した争いを繰り広げていた。
が、ビンゴなので誰がこの掛け金を手にするかは
各々の力量と言うよりは彼女らの運にかかっている。
04

01

23:37
Fri
2011

No.0552

旅のルート

CRW_5232.jpg

ラオスに来た目的はサイニャブリという地域である象祭りに参加するためだ。
が、この祭りに行けさえすればいいというものではなく
せっかく来たのだからもちろん色々周りたい。

が、当初の私は訪れた友人皆が口を揃えて薦めるルアンパバンと
象祭りだけ見れたらお腹いっぱいかなと漠然と考えており、
象祭りがどこで開催されるのか、どういうアクセス方法なのかなどを
まったく調べずに一番安く購入できる日を出発日とした。
それが2月10日だった。

象祭りはサイニャブリ県で開催されるが、具体的にどこでというのは毎年変わる。
今年はサイニャブリ県の南方にあるパークライという村、日程は2月18~20日の3日間である。
このパークライというのは、地図で見るとビエンチャンからあまり遠くないのだが、
一般的にはルアンパバンまで北上し、折り返してサイニャブリ県に入り、
バスを2本乗り継いでヴィエンチャン-ルアンパバンとほぼ同じ距離を
再び南へ下るというルートを取るらしい。
と言うのも、最近ビエンチャンから直接パークライへ行く道が開通したが、
旅行会社の人の話によるとこの新しい道はまだしっかりした道ではなく危険なのだそうだ。
陸路で行くならルアンパバン経由だと強く警告される。

ヴィエンチャンからパークライまで4時間なのに
わざわざ無意味に10時間かけて北へ上がり、また10時間かけて同じ距離を南へ下る?
ちょっとムリ…と言うかイヤだ。
と言うわけで県庁所在地のサイニャブリには空港があるのでそこまで飛行機で行き、
サイニャブリからバスでパークライへ行くという方法をとることにした。

そうすると、象祭りまで5~6日の余裕ができる。
さすがにヴィエンチャンに1週間もいられないと思い、
祭りの後はルアンパバンに行くのでこの空いた5~6日は南へ下ろうと考えた。
OL殿は本日飛行機でタイへ戻り、年長殿も明日の便で同じくタイへ帰る。
残った3人で南方のパークセーという町へ行き、
私はそこから飛行機でサイニャブリへ飛ぶことにした。

と、こんなに完璧にスケジュールを考えてみたものの
いざバスの予約となると生憎パークセー行きが満員で取れなかった。
ルアンパバン行きなら空いてますよと旅行会社の人が言ったので
私は迷わずじゃあそれくださいと言い、弁護士殿もルアンパバンを選択した。
難色を示したのはノープラン殿であり彼は突然、一大決心をしたかのように
「君らがルアンなら俺はバンビエンにする!」と言って目を見開いた。

ヴィエンチャン3日目の朝、各々の次なる目的地へのバスチケットを買い、
残った数時間でヴィエンチャンの代表的な観光地を周った後、
ノープラン殿は昼過ぎにバンビエンへ、私と弁護士殿は夜にルアンパバンへと旅立つ。

こうして私はルアンパバンを経由してパークライまで行く経路を取る事となり、
当初5人だった賑やかメンバーは、翌日1人減り、翌々日には見事にバラバラになったのである。
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