続続・よいこの1日  -

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No.0

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05

22

13:11
Sun
2011

No.0558

パークライへの道

CRW_5399.jpg

サイニャブリの象祭りは歩き方にも大きく載っている。
よってこの時期にラオスを訪れる日本人の中には
少なからず興味を持つ人もいるようだ。

私がラオスにやって来て1週間が経った。
今回の旅は常に周りには日本人がいた。
訪れた町や移動中のバスの中でも
そんな日本人仲間と騒ぎながら過ごしてきたわけだが、
その中でぞう祭りに行きたい若しくは行くつもりだと言った人が
3組6人、現地で誘って行こうかなと言ったのが1組2人いた。
行きたいが日程的に難しいと話した人はもっと多い。

大きく取り上げられているにも関わらず情報の少ないこの祭りに
私はたった一人で行かねばならないものなりと思っていたので
仲間が多い事に安心した。
しかも皆ルアンに来ており、ビエンチャンから直接向かう
近道ルートを選んだ人にも会わなかったので
自分の選んだルートは結果的に正解だったなと思ったのである。

が、この祭りにぜひとも行きたいと情熱を燃やし
事前にHPを調べて予定を立てている人間は実は私一人で、
他の人達は皆、「行けば何とかなるだろう」的な思いで来ていた。
ので、会場となる町へはルアンからバスとソンテウを乗り継いで
8時間かかる事実を知るや否や当初6人いた仲間は1人減り2人減り、
最終的には私と女の子1人の2人きりになってしまったのである。

出発の日の朝、バスステーションへ行くと
サイニャブリ行きのバスは満員なので次の11:00のバスに乗れと言われた。
冗談じゃない。
サイニャブリは象や自然豊かな場所として確かに観光地ではある。
ロンリープラネットであればいくばくかの情報も載っているが
歩き方には1/4ページ程しか記載がなく、
町の地図もなければ宿情報もない。
11時にルアンを出発するとサイニャブリには夕方に着くことになる。
つまり自分がどこにいるかもどんな町かもわからない場所で
1泊を余儀なくされてしまうということになるのだ。
もちろん私と仲間の女性はバスの運転手やチケット売り場のお姉さんに
どこでもいい、屋根でもいいから9:00のバスに乗せてくれと頼んだ。
結果、運転手のおじさんが若干のスペースを作ってくれ、
無事バスに乗る事ができたのである。

サイニャブリまではバスというかミニバンで移動したが
サイニャブリからパークライまでのソンテウは
小型のトラックに屋根と座席をつけたもので未舗装の凸凹道を4時間走る。
ここもかなりの満員で、座席に座ったものの
後からやって来たラオス人の男性がムリヤリお尻をねじ込んで来たので
結果的に押し出された私達は欧米人が椅子代わりにと貸してくれた
でっかいバックパックに腰を掛け、
「レディを押し出すなんてどういうことだ」と悪態をつきながら
ストールとサングラスで埃をガードしつつ4時間をやり過ごしたのである。

ラオス国境からビエンチャンまでは立ち乗りというか斜め乗りでやって来た。
ルアンからサイニャブリまでは大量の荷物の間に足を差し込み、
もはや荷物として乗って行く。
サイニャブリからパークライまでは立つことも席に座ることもできない。
ラオスのバス旅は楽ではない。
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05

22

12:17
Sun
2011

No.0557

お父さん

現在四国八十八カ所巡礼中により
更新が大幅に遅れております。
すいません。。。

CRW_5282.jpg

ルアン滞在中に泊まっていた宿のご主人は
たった3日でしかも寝るだけで殆ど宿にはいなかったにも関わらず
私の事を大変かわいがってくれた。
彼はラオ語とフランス語を話し、英語はできない。

2泊目の夜を過ごした翌朝早く、
托鉢を見ようと出かけようとした所
鍵が閉まっていて外に出られなかったので
パークライに出発する前に托鉢を見てから
バスターミナルへ向かいたいので
チェックアウトを早朝にすると宿のご主人に伝えた。
ご主人は鍵を開けておいてくれると言った。

まだ3日しかいないのに今度はどこへ行くのだと彼が聞いたので
象のお祭りに参加するためパークライへ行くと答えると
彼は突然、祭りは今日までだから明日行っても無駄だ、
もう3日間ここに泊まりなさいと言いだした。

これには大変驚いた。
だって私は象祭りのためだけにここまでやって来たのだから。
が、突然日程が変わったのかもしれない。
と言うかしばらく滞在している間に日にちを勘違いして
悠長に過ごした挙句祭りが終わってしまったのかもしれない。
などと一瞬頭が混乱した。
が、次の瞬間、そんなはずはない、
私はちゃんと調べてあるのだと思い直し、
反論するもご主人は、いいや絶対に一昨日から今日までの3日間だと譲らない。
傍に座っていたフランス人のおじさんはこのやり取りを見て
笑いながらもう一度ツーリストインフォメーションへ行って
ちゃんと調べてみたらと私に言った。

私は象祭りのチラシを出してご主人に見せると
彼はそれを電球の下へ持って行って大分長いこと眺めていた。
その後、しょんぼりした様子で帰って来てチラシを私に返した。
フランス人のおじさんは、「アイツは君にもっといて欲しかったんだよ。
ラオ・ラーオ(ラオスの焼酎)飲み過ぎてるんだね」と
私に耳打ちをした。

このフランス人のおじさんとはその後、象祭り会場で再会する。
自分も行くつもりだったなら教えてくれたらいいのに
何を面白がってか知らん顔してツーリストインフォメーションへ
行けだなどと言うなんて、いけずな人である。

私を引き止めるのを諦めたおじさんは、
お別れ前にちょっとしたセレモニーをしたいから
今日の夕方7時から丘の上の寺へ行こうと言いだした。
あいにく、ラオスで知り合った人達と夕飯の約束をしていたため
申し訳ないが行けないと断る。

その日の夜、友人達と夕飯を終えて宿へ戻ると
おじさんが待ち構えていたように出てきた。
そして2階にあるおじさんの部屋(?)というか
生活スペースに連れていかれたかと思うと
寺に行けなかったのでここでセレモニーをすると言った。

おじさんは何やら呪文を唱え、
私の手首にミサンガを結んでくれた。
その後、結び目に何度か息を吹きかけ、
セレモニーとやらは終了。
このミサンガは自然に切れるまで
外してはいけないと言われる。

3カ月たった今、おじさんのミサンガは
未だに私の手首についている。
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