続続・よいこの1日  -

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No.0

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06

30

23:18
Thu
2011

No.0565

欧米人

CRW_5601.jpg

日本人旅行者なら誰でも持っているあの黄色い本曰く、
ノーンキャウは欧米人に人気とのこと。
なるほど、確かにアジア系旅行者は1人しか見なかった。
そして宿もあまり多くなく町の入り口周辺はどこも満室、
大きな橋で川を渡って町の奥へと入って行くが
ゲストハウスがなかなか見つからずに少し焦り始めていた。

通りがかりの欧米人女性に訊ねるも、
自分は橋を渡った所にあるホテルに泊まっているから
ゲストハウスはよくわからないとの返答。
仕方なくショボショボと再び歩き始めた。

ようやく宿も決まり、シャワーを浴びて散策しようと宿を出ると
欧米人とアジア系の女性2人組に出会った。
この欧米人女性の方が私を見るなり、「ちょっとアナタ!!」と話しかけてきた。
パークライでトイレの場所を聞き、ルアンでも会ったあの女性だった。
彼女は町の入り口にある宿に泊まっているらしい。
今後のルートなどの話をしばらくしていると
彼女は私の役に立ちそうな情報が載っているガイドブックを持っているが
宿に置いて来たので次に会ったらゆっくりお茶でもしながら話そうと言った。
こんな小さな町なのでまた必ず会うだろうからとそのまま別れたものの
結局、これを最後に彼女とはもう2度と会うことはなかった。

この女性に教えてもらった眺めのいいレストランで
しばらくジュースを飲みながら読書をし、
散歩がてら夕飯を食べるレストランを探して歩いた。
メインロード沿いにはレストランがたくさんある。
それぞれの店が表に出しているメニューを眺めつつ何を食べようか考えていた。

宿の近くのレストランでメニューを眺めていると、
中に座っていた欧米人のおじさんが
「心配しなくてもここはおいしいからお入りなさい」
と迎えに来た。
取りあえず座ったものの相変わらずメニューを見ながら悩んでいると
またまたおじさんがやって来て、
自分はいつもここに食べに来ているからお勧めを教えてあげると言った。
それを聞いた隣の席の男性が、「えー。それ僕にも教えて。」と言った。

おじさんは、スプリングロール(春巻)とチキンが大変美味しいと薦め、
丁度自分の席にやって来たスプリングロールを味見させてくれた。
フライドライスみたいなものを食べたかったのだが、
絶品だと言われ味見までした挙句に
おじさんリコメンドをかすりもしないようなものを注文するのもどうかと思い、
今晩の夕飯はスプリングロールとサラダにした。
もちろん、とてもおいしく頂いた。

実を言うと私は欧米人が怖い。
背が高く堂々としていて
仲間内で話す時以外ニコリともしない彼らを
何となく怖い人と認識していた。
そんな私がここからの数日間を
欧米人と共に行動し、過ごす旅をするのである。
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06

29

22:57
Wed
2011

No.0564

ノーンキャウへ

CRW_5590.jpg

ノーンキャウはルアンパバンからボートかバスで行ける。
行きはボート、帰りはバスで帰ろうと思っていたら
寝坊してボートに乗れなかったのでバスで行くことにした。
バスの方が1時間も速いしボートは帰りでも乗れるから問題はない。

さて、早速チケットを買ってバスに乗ると、
観光客はゼロだった。
ボートで行く人の方が多いのかもしれない。
地元の人々の中に落ち着かない様子で座り、3時間の旅が始まった。

バスは街を抜け、どんどん山道に入って行く。
時折、乗客を乗り降りさせながら
ゲリラ豪雨のような雨に打たれながら
バスはラオスな道を走った。
ものすごい山の中でもちゃんと村があり、
ものすごい山の中の村でもない所にぽつんと1軒だけ
家があったりするのがラオスな道である。
その途中、荷物を下ろすため売店に立ち寄ったため
私はそこでビスケットとジュースを買った。

隣に座っていた若いお母さんと小さな子供も
売店で物色し、ボールチェーンで首からぶら下げられるようになっている
キャンディを手にしていたが、何やら店員と話をして
買わずにバスへと乗り込んだ。
当然のことながら子供は大泣きに泣いて抗議する。
お母さんが叱ってもなだめてもまったく泣きやまない。
すると、バスの運転手が店員に話しかけ、
さっきのキャンディを持ってくると子供の首にかけてあげた。
お母さんは恥ずかしそうに5000kipを店員に渡した。
恐らく、キャンディがあまりに高くて買えなかったのを
バスの運転手がまけてもらえるよう交渉したのだろう。
大喜びの子供は、キャンディを食べるでもなくいつまでも外袋を握りしめて見つめていた。
06

28

06:06
Tue
2011

No.0563

決意

CRW_5578.jpg

ルアンに赤十字のサウナがありとても良いと聞いたので
知り合った日本人バックパッカーに連れて行ってもらった。

お金を払って筒型の布を借り、それを体に巻いてサウナに入る。
サウナは男女別になっているが休憩所は一緒である。
真っ暗な箱のような部屋で薬草の匂いがたちこめるスチームサウナは
確かに気持ちがいい。
暑くなったら外に出ると熱いお茶が飲み放題になっている。
存分に汗を流し、連日の水シャワーや長距離移動の疲れが一気に飛んで行った。
ルアンを翌日には出ようと思っていた私だが
このサウナに入りたいがために留まろうかと本気で考えてしまった。

道を歩いているとパークライの東屋で会った欧米人女性にまた会ったわねと言われ、
サイニャブリへの乗り合いバスで怒りまくっていたヨーロッパ人女性とも再会した。
夜、知り合った日本人と集団でご飯を食べていると
いつの間にかドイツ人とイタリア人のおじさんが交じっており、
このドイツ人のおじさんも象祭りに行っていたと話していた。
なんだ、結構みんな行ってるんじゃん象祭り。

ラオスの夜は早い。
店が閉まり始める9時頃に解散する。
ここにいると日本人の仲間が入れ替わり立ち替わり現れるので
心強い場所ではあるが、残り少ないラオスの日々を
有意義に過ごそうと明日はやはりノーンキャウへ出発することにする。
06

27

23:04
Mon
2011

No.0562

ルアン再び

CRW_5557.jpg

臨時バスの存在を知らなかった私は、パークライからルアンまで
来た時と同じ方法で帰ることになった。
が、早朝に出なければならないのでソンテウ乗り場までの
トゥクトゥクを手配しておかねばならない。
やって来た初日にトゥクトゥクのおじさんが、
6:30に迎えに来ると言ったので安心していたのだが、
案の定、彼は来なかった。
人っ子一人いない大通りでどうしようかと考えていると
乗り合いタクシーが通りかかって私の前で停まった。
どうやら乗せて行ってくれるらしい。
と、向こうからもう一人ヨーロッパ人の女性がやって来た。
彼女も同じくこのタクシーに乗った。
さあ出発と言いたい所だが、一向に走り出す気配はない。
どうも人数が集まらないらしく、ドライバーは他の乗客を待っているのである。
ヨーロッパ人女性はどうやら友達とソンテウ乗り場で会う約束をしているらしく、
今すぐ出発しろと怒りだし、出発しないなら降りると言った。
ドライバーは慌てて車を走らせたが、今度はいつまでたってもソンテウ乗り場に着かない。
来た時はこんなに遠かったっけと2人で話しながら様子を見ていると
やっぱりどうもおかしい。
どこに行くんだと騒ぎ始めると、サイニャブリだとドライバーは答えた。
サイニャブリ行きのソンテウ乗り場に行くと言ったじゃないかとヨーロッパ人女性が声を荒げた。
確かに私も彼女も何度もソンテウ乗り場だと確認し、値段交渉も済んだ。
なのに彼はサイニャブリへ行こうとしている。
しかも変な村で停車した。
村の売店のおじさんに仲裁してもらうが解決せず、
乗り合いバスは村で人を何人か拾ってまた走り出した。
ヨーロッパ人女性は怒り心頭に発した様子だったが、
その辺にポイと捨てられると困るのでここはサイニャブリまで
このまま行きましょうと言って静かになった。

結局、我々はサイニャブリのバスターミナルに
当初乗る予定だったソンテウよりも1時間早く到着した。
もちろん、運賃も当初のソンテウ乗り場までの運賃ではなく
それ相応の金額を下車時に告げられたが、
トゥクトゥク+ソンテウの金額と同じだったので文句はない。
ヨーロッパ人女性は無事に着いた事を喜んで
もっと持ってきなさいと言い値より数万kip余分に払った。
06

23

22:37
Thu
2011

No.0560

ぞう祭りの実態

CRW_5422.jpg

私が初めて象祭りの存在を知ったのは数年前。
高橋克典がこの象祭りに参加する番組を見たからである。
番組はその後再放送され、偶然2回とも見た私は
象がひしめきあうこのお祭りに
いつか必ず行きたいと思っていたのである。

で、実際どうだったのかというと、
普通のお祭りというか学校の文化祭的なノリであり、
黄色いガイドブックなんかにでかでかと載っているのを見ると、
ラオスの伝統的なお祭りなのだろうと誰しも思うだろうが
4~5年前から始まった新しいお祭りで
そもそも主催者はフランス人の若者である。

私にとってみればフランス人がやろうがラオス人がやろうが
とにかくたくさんの象が闊歩する様を見られれば構わないのだが、
TVでは何百頭もの象が広場いっぱいに集結していたのに
会場の象はわずか50頭そこそこと思われた。
そして朝のパレード以外は子供のお絵かき大会や
ファッションショー(?)、舞踊ショーなどが続き、
日中は殆ど象の出番はない。
なんだかがっかりである。

この象の少なさについて後から聞いた話では、
象の頭数は開催場所によるらしい。
今年はこのパークライという田舎町だが
開催場所はサイニャブリ県の中で毎年変わる。
サイニャブリは象で有名な地域なのだが、
象が多いのはもっと北の方であり
サイニャブリの南方に位置するここではないらしいのだ。
よって、北の方のもっと大きな町で開催される年は
象もたくさん集まるが今年はパークライなので少ないのである。
つまり私の運が悪いだけということか。

とは言え、象を追い掛けながら会場から2~3km先の学校まで歩き、
傍の川で水浴びする象を眺めたり
校庭に集まっている象に近寄ってフランス人スタッフに
あんた近過ぎだと何度も怒られたり
象がパレードの時に落として行った巨大な糞が
灼熱の太陽によってただの草に戻って行く様を観察したりしながら
なんだかんだと文句を言ってもそれなりに楽しんでいる自分がいたのも事実である。

そしてパークライを去った後に出会った人達に
象が少なくって失望したという話を何人かにしてみると、
皆、異口同音に
「え。50頭ってめちゃくちゃ多いじゃん。十分でしょ。」
と言われた。
祭りを訪れていたというドイツ人のおじさんに聞いても
「象が一度に50頭いたら多いでしょ。私は満足したさ。」
と言いながらビアラオを飲んでいた。

なるほど、世間一般では象が50頭いると多いというのか。
06

22

23:26
Wed
2011

No.0561

祭りの後

CRW_5443.jpg

観光客は確かにたくさんいた。
ラオス人も遠方からやって来ており、祭り当日はすごい人だかりである。
外国人観光客は欧米人が殆どで日本人はあまり見かけなかった。
出会った日本人は3組。
リタイアしてヴィエンチャンに住んでいる老夫妻、
ルアンパバンで旅行会社をしている3人組、
ヴィエンチャンのNGOで働いているグループ。
皆、ラオスに住んでいる人達でただの旅行者は我々のみである。
老夫妻は、やはりヴィエンチャンからの直通バスを利用したらしいが
とんでもない悪路で時速10kmくらいでしか車が走れず、
4時間と聞いていたが実際は8時間かかったそうだ。

祭りは3日間なので私は3泊することにしていたのだが、
彼ら日本人達も一緒に来た女子大生も
ローカル旅行者も欧米人達も多くは2日目に帰ってしまった。
実際、祭りの3日目はコレといったものはなく、象もおらず、
あんなに賑わっていた露天も半分以上が閉まり、
静かな田舎町に戻っていたのである。

が、お陰で昨日は氷がないと言われ買えなかったフルーツシェイクを買うことができ、
メコン川沿いの東屋で昼寝をしたり日記を書いたりしながら半日ゆっくりと過ごした。
東屋の傍にはカフェがあり、アイスコーヒーを頼むと
インスタントコーヒーの空きビンらしき入れ物に氷とコーヒーが満タンに入って出てきたので
東屋で同じく憩っていた欧米人達が一斉に歓声を上げた。
その大量のコーヒーを飲み終わる頃には、辺りは薄暗くなっており、星が出ていた。
そうしてパークライ最後の夜は静かに更けていったのである。
06

21

21:03
Tue
2011

No.0559

ホームステイ

CRW_5518.jpg

象祭りの開催される村は田舎の小さな村で、ゲストハウスの数は少なく
既にどこも満員であると象祭りのHPに書いてあったので
これはいけないと私は鼻息荒くホームステイの申し込みをした。
一方、同行者の女子大生はまさかこんな僻地での開催とは
思っておらず、宿も行って探すつもりだったようだ。

が、私のようにガッツリ準備をする必要はなかったようで
ツーリストオフィスというか即席テントに行くと、
突然行ってもちゃんと紹介はしてもらえる。
後から聞いた話では、ゲストハウスも多少の空きはあったらしい。

事前に予約していた私はつつがなくステイ先を教えてもらい、
女子大生も、空いているステイ先を探してもらうため
若干の待ち時間を要したものの無事に紹介してもらうことができた。
ステイ先に荷物を置いてから食事を一緒に取ろうと約束して一旦別れる。

私のステイ先は大きくて立派な家だった。
と、いうかステイ先はある程度立派な家のみ選ばれているようだった。
私のステイ先もまた立派な家で、訪ねて行くと一人の婦人が迎えてくれた。
いい人のようで良かったと安心したのも束の間で、
この婦人は英語が全くできず、「lao?」と聞かれた。
ぶんぶんと首を降るとそこで二人とも沈黙。
二人でぎこちなく見合っていると、救世主のように一人の青年が現れた。
彼は婦人の息子らしく婦人の通訳をしてくれ、
私が無事お金を払うと自転車にまたがってまた出て行った。

ホームステイなんてどうなることかと思いきや、
部屋は一人部屋で鍵もあり、シャワーはなんと2つもあった。
そして、どうも私が想像していたホームステイとは違うようで、
ホストファミリーは部屋の貸出以外には何も関与せず
いつ出て行ってもいつ帰って来てもよく、
1泊30000kipという超破格なゲストハウスと言った感じである。
しかしラオス人は皆、非常にきれい好きなので
一般家庭の家と言えども掃除は行き届いており、
布団もふかふかで居心地は申し分なかった。
ただ、電気だけは具合が悪く停電でもないのに
私の部屋だけがついたりつかなかったりした。
恐る恐る婦人にその旨を伝えると、
彼女は微笑みながらロウソクとマッチを手渡してくれた。

こうして私がステイ先でくつろいでいる頃、
かの女子大生はというと、何だか大変な事になっていた。
ステイ先へ行く途中に迷っていると食堂のおばさんに話しかけられ、
連れて行ってもらったのはいいがそのステイ先の人に
定員オーバーだと言って断られたのだそうだ。
仕方なく再度ツーリストオフィスに行こうと思っていたところ、
その食堂のおばさんが「あたしんとこに泊まりな」と
泊めてくれることになったらしい。
が、そこは祭りの主催者が受け入れ先として斡旋している裕福な家ではなく、
非常に庶民的なまさしくラオスの普通の家でおばさんと雑魚寝。
彼女は「田舎に泊まろう」をガチで実践してしまったのである。
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