続続・よいこの1日  -

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No.0

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07

27

23:21
Wed
2011

No.0572

食事風景

CRW_5665.jpg

我々一行は毎回、ビュッフェレストランで待ち合わせた。
外国人と食事をする時はビュッフェへ行くと大変面白い。
お国柄なのかその人の性格なのか、盛り付け方や食べ方が皆全く違うからである。

以前、ブラジルで一緒になったイギリス人夫妻は
皿に7分目くらいの量をキレイに盛り付け、
皿に残ったソースはパンで拭いて食べるため
食べ終わった後のお皿は未使用のようにキレイだった。
そして口を拭ったナプキンは小さく丸めて皿の下へ隠すので
食前も食後もテーブルの上は様子が変わらなかった。
ドイツ人は自分なりにコースにして、
まず最初に野菜を食べ、終わったらメインディッシュを取りに行き、
最後にデザートを取ってくる。
イタリア人は食べてみて好きなものはおかわりをしていた。
フランス人は皿に少しだけ、美しく盛り付けて
満足するまでこまめにおかわりをする。
パンは皿の端に乗せて持ってくるが、食べる時にはテーブルの上に直に置いた。
そしてデザートはドイツ人同様、食後に皿を改めて持ってくるのである。
で、私の場合は…
皿の上に乗るだけ乗せて山盛りをつつきまわす。
ソースが混ざっても意に介さない。

ところで、ラオスの食事はとてもおいしい。
主食はもち米なのでパラパラのアジア米と違い、
粘り気のある日本米を食べているような気分になれるし
野菜が驚く程元気で、葉っぱは大きくピンピンしているし
モヤシなんかは1週間放置してもびくともしないくらい丈夫なのだそうだ。
元々フランス領だったためか、フランスパンも絶品だし
魚や肉も、不穏な気を発しているようなものを売っている店はなかった。
どうしても食べられなかったのは赤いバッタの佃煮と
何だかわからない真っ黒な木の枝くらいなものである。
フランス料理のフルコースも1000円で食べられるので、
アジア飯が性に合わないと思っている方はぜひラオス飯をお勧めする。

と、思っていたのだけれど、ある時道端でとある女性が、
まるできぬさやのスジを取るようにおたまじゃくしの内臓を取っていたのを見て
ラオスではおたまじゃくしを食べるのかしかも特大をと仰天してしまったことがある。
それを見ていたドイツ人は穏やかに笑っていたのだが、
その翌日、彼はビュッフェでタケノコと野菜の炒め物を見つけると、
“babar、これが何か知っているかい。なんとバンブーなんだよ。
まだ若いやつだけどね。いやぁ、バンブーを食べるなんてラオスくらいのものだから
ぜひ一度試してごらんよ“と言った。

恐らくオタマジャクシの仰天具合をもう一度見たかったのだろうが、
いやいや日本でもバンブーは食べますよ。春だけですけどね、と私は答えた。
がっかりさせてしまったかと心配したが、今度はドイツ人が仰天し、
なんだってそれはぜひともバンブーを食べに日本へ行かなくちゃ…と独り言を言っていた。
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07

26

22:54
Tue
2011

No.0571

延泊

CRW_5777.jpg

私を誘ったオーストリア人は、
1日に2~3時間しか電気の使えない不便さが嫌になったのか
やって来て2日目の晩、レストランでご飯を食べている私の席へやってきて
自分は明日、次の場所へ移動することにしたと言った。
ドイツ人、イタリア人に加えてその時にはフランス人の殿方が仲間入りしており
私はこのオーストリア人の事をすっかり忘れてしまっていた。
ちなみにこのフランス人はノーンキャウのインド料理店で隣の席にいた、
おじいさんと一緒にいた男性である。
彼らは親子ではなく、たまたまノーンキャウで出会っただけで
ムアンゴイへは老人は来ていなかった。

取りあえず、寂しくなるわねと私は返答し、
自分はここがとても気に入ったのでまだ滞在するつもりだと言った。

実は、陸路でバンコクまで帰るにはこの日の翌日、
ムアンゴイを発って休まずに夜行バスを乗り継げば
インドへのフライト当日にギリギリ着くぐらいだったのだが、
ドイツ人のおじさんがもう一日もう一日と引きとめ、
終いにルアンパバンから飛行機でバンコクへ行けばいいと提案したのである。
いつもゴキゲンなイタリアおじさんもそうだそうだと囃したて、
飛び入りフランス人男性に至っては、
自分は私のフライトと同じ日にパリへ帰るフライトがあるから
このままバンコクまで一緒に行こうと言う。
しかもドイツ人おじさんは飛行機のタイムスケジュールまで持っており、
英語が不得手なので電話予約は自信がないから嫌だと渋る私に
お安いご用だと言ってレストランの女将さんに携帯電話を借りて予約をしてくれた。

そんなわけで、彼らと遊ぶのが楽しいこともあり、
私はギリギリまでムアンゴイでの滞在を決めたのである。
07

25

00:59
Mon
2011

No.0570

ゲリラ豪雨

CRW_5745.jpg

おじさま達のお誘いで延泊を決めた私は
その翌朝、同じレストランでおじさま2人と一緒に朝食を取り、
3人で洞窟、そして徒歩2時間程の所にある村訪問へ出かける。
おじさんは若かりし頃から何度もラオスを訪れており、
とても頼もしい案内役となってくれた。

訪れた村で数時間過ごした後、
そろそろ帰ろうかということになり
重い腰を上げると空が何となく暗く、低くなっていた。
雨が降りそうですねと話しながら来た道を歩く。

雲はどんどん厚くなり、風も出てきた。
村を出て一時間も経っていないのにもう今にも降りそうである。
そして、大きな岩山のある開けた所に出た瞬間、
強風というか歩くこともままならない程の暴風が吹き荒れた。
そして空を見上げると、数千羽のこうもり・・・ではなくて
数千枚かとも思える大量の木の葉が宙を舞っていた。
私は何だか恐ろしくなって立ちすくんでいたのだが、
ドイツ人は激しく興奮し、こんな景色は見た事がない、
いいラオスの土産話ができたものだと大喜びの様子である。

この暴風は3~4分で治まったのだが、
風が止むや否や今度は大雨が降りだした。
慌てて我々は森の中へ入り、大きな木の陰で雨宿りをする。
並んで座っている3人の前をラオス人の女性が2~3人通り過ぎた。
そのうちの一人が大きな葉っぱを傘代わりにしていたので
イタリア人が真似をして葉っぱを探したが
思わしい葉っぱが見つからず、濡れただけで木の下に帰って来た。

20分程で雨がやんだので再び歩き出す。
川を渡ろうとすると、さっきの大雨で水量が増し、
橋の丸太が水底に沈んでしまっていた。
靴を脱いで川を渡り、田んぼの広がるあぜ道に出ると
ドイツ人が変だなと言いながら振り返った。
どうしたのかと尋ねると、道が濡れていないと言う。
確かに、稲の葉っぱは濡れているのに小道はカラカラに乾いていた。
雨がやんで5分も経っていないのに相当水はけがよいのか水を弾く素材の道なのか。
変ですねそうですねなんでだろうねと話しながら3人は裸足のまま歩き続けた。

そして15分後、再び雨が降り始めた。
今度は田んぼの真ん中なので身を隠す森もなく、
慌てて走って近くにある小屋へと避難した。
今度の雨は先ほどのような激しい雨ではなくさらさらと降っていた。
しかし今度の雨はなかなか止まず、
夕方も近いのにこのままここで夜を明かすハメになりはしないかと
私は内心ドキドキしていたのだが、落ち着かないのは私一人で、
イタリア人は小屋の中にある適当な木を枕にして寛いでいる。
ドイツ人も窓から外を眺めながら風景を楽しんでいるようだった。

1時間後、ようやく雨も小雨になったので
小屋を出て、今までの雨が嘘のような晴天の中を帰って行った。
雨にはほとんど濡れなかったけれども、帰りにドイツ人の提案で
洞窟の中で泳いだため、結局雨に濡れるよりもずぶ濡れになってしまったのだが。
07

24

22:39
Sun
2011

No.0569

決別

CRW_5657.jpg

さて、ムアンゴイに着いた我々は早速宿探しをはじめた。
オーストリア人はホットシャワーのロッジを希望したが
私はというと何でもいいという感じだった。

彼は、他の観光客から聞いたロッジに泊まりたいと
そこへ見に行ってみると、確かに立派で申し分のないような感じだった。
が、敷地内は静まり返っていて人っ子一人いない。
私はもう少し安い所を探すとその敷地を出た。
彼も後からついて来て、自分はbabarと同じ宿に泊まりたいから
取りあえず一緒に行くと言った。

が、何せ暑い中、荷物を背負って歩きまわる事が嫌いな私は
通り一つしかない小さな村でもやはりこの降り立った近辺から離れられず
取りあえず近くのゲストハウスへ行って部屋を見せてもらった。
水シャワーだが清潔で広い部屋、2階は50000kipで1階は40000kipとのこと。
自家発電でもしていなければ18:30~22:00の間しか電気のない村なので
私はこれで上等だと、貯水タンクをなぜ黒く塗らないのだと
宿の人に詰め寄るオーストリア人を尻目にさっさとここに決めてしまった。
オーストリア人はどうしてもホットシャワーが譲れないらしく
先ほどのロッジにもう一度いくからランチを一緒にしようと言いながら去って行った。

後ほど、近くのレストランで彼を見かけたので席に座り、
黄色い本を広げて何をしようか考えていると
オーストリア人はこの黄色い本がなぜかとっても気に入ったらしく
しきりにページをめくっては写真を撮り始めた。
あまりに感激していたので私は彼に、
自分はここが終わればあとは来た道を戻って帰るだけだから
ガイドブックはもう不要なので欲しいならあげますと言うと、
彼は日本語を全く解さないながらも
こんなに写真がたくさん載っていて地図も大きく
オールカラーのガイドブックは欧米にはないと大喜びした。

夕飯は彼の誘いでビュッフェのレストランへ。
長いテーブルにたくさんの観光客が並び、
私もそこの席の一つに座る。
前には韓国人の女性がいて、私をルアンで見かけたと言った。

夕飯を終えて宿に戻ろうと席を立つと誰かが私の名を呼んだ。
声の主は4人掛けテーブルに座っていたおじさん2人組である。
うーんと考えていると、何とルアンで日本人達とご飯を食べている時にいた
ドイツ人とイタリア人のおじさんだと思いだした。
殆ど話もしなかったのによく私の名前を覚えていたものである。
席を勧められたので座り、ビールをごちそうになった。

彼らは2日ほど前からここに来ているとのこと。
明日は洞窟に一緒に行こうと誘われた。
明日の昼にはボートで帰るつもりでいたのだが、せっかくのお誘いなので
陸路でバンコクへ帰るスケジュールを少しタイトにして
ムアンゴイでもう1泊し、洞窟に同行することを決めた。
07

03

19:43
Sun
2011

No.0567

お誘い

CRW_5594.jpg

「僕ぁ、ムアンゴイへ行くのだ」
と、オーストリア人は言った。
ムアンゴイはここ、ノーンキャウからボートで1時間の所にある村で
ボート以外でのアクセス法がない秘境なのだそうだ。
私は帰る日も近いのでノーンキャウであと2日くらい滞在した後、
また陸路でバンコクまで帰るつもりでいたのだが、
オーストリア人曰く、ノーンキャウは昨日行った洞窟以外に
見るべき所もないので一緒にムアンゴイへ行き、
1泊だけして帰ればいいと提案した。

せっかくこんなのんびりした村にいるのに忙しいのはちょっと…と
お茶を濁していたのだが彼はなかなか強引で
ムアンゴイからノーンキャウへのボートは朝発だから
スケジュール的には全然問題ない、ただ寝る所が変わるだけだと押し切った。
確かにその通りである。
黄色い本によるとムアンゴイもなかなか面白そうだし、
せっかくここまで来たのだからと時間に対する貧乏根性が湧いてきて
急きょ、彼と一緒にムアンゴイへ行くことにした。

昨日のドイツ人3人も行くらしく、
大きなバックパックを背負ってボート乗り場に現れた。
その中の一人の女性が背負っていたバックパックがあまりに大きかったので
試しに背負わせてもらったら、ひっくり返った亀のようになってどうしようもなかった。
何が入っているのか不明だが18kgもあるらしい。
背負えたとしても足が土にめり込むんじゃないかと思う。

ボートには相変わらず欧米人ばかりが押し合いへしあいで、
この小さな村のどこに潜んでいたのかと疑問に思うくらいの人数だった。
サウナで会った青年2人もいた。

長細いボートに2列になって乗り、出発する。
オーストリア人と18kgの荷物を持っていたドイツ人女性は道中、
写真を撮ろうと座席を立って反対側に行き、
傍に座っていた別の欧米人のおっさんに
舟が傾いて危ないからちゃんと席に座っててくれと幾度となく言われていた。
彼らは、指摘されたら一応は座るもののまったく反省する様子はなく、
しばらくするとまた立ちあがって写真を取り、舟を傾かせ、
おじさんに怒られるという一連の動作を1時間ずっと続けていた。
07

02

19:43
Sat
2011

No.0568

サウナ

CRW_5629.jpg

川のこちらと向こう側と通りが1本ずつしかなく
大きな橋が1本かかっているだけのこの村にもサウナがあった。
ルアンのサウナで甚く感動した私はここのサウナももちろん挑戦せねばなるまい。

店の前で夫婦らしき人の良さそうなおじさんとおばさんが
「サウナー。サウナー。マッサー。」
と客引きをしている。
マッサーとはマッサージのことらしい。
早速おじさんにサウナ入らせてと言ってみると、
ええーと驚いて慌て出し、腕を指しながら何やら言っている。
どうやら今から準備するからサウナが温まるまで時間がかかるらしい。
30~1時間後に来てくれと言いながら私の腕を掴んで時間を教えようとした。
が、私が腕に巻いていたのは時計ではなく
宿の少年がくれた、時計のフリをした布製のミサンガで、
文字盤も針も刺繍のため永遠に7時という代物だった。
おじさんはええーと驚いて頭をかかえ、自分の時計を見せて5時に来いと言った。

約束の5時に行くと、まだ十分温まっていないのでもう少し待ってと言う。
そしてその辺の草を引きちぎって、これを蒸して薬草サウナにするのであると説明した。
時間潰しにサウナを温めている様子を見せてもらうことにする。
サウナ室は高床式になっていて、その下にドラム缶が置いてある。
このドラム缶の上には長いパイプが伸びており、サウナ室の床へと繋がっている。
ドラム缶の中で草を蒸してこのパイプからサウナ室へ蒸気を入れるのである。
夕方とは言え、ドラム缶で火を焚いているおじさんは既に汗だくだった。

そろそろいい頃合いになったらしいのでサウナ室の方へ上がると
イギリス人の少年?青年?が2人いた。
彼らもまた、このラオス式サウナが気に入ったらしく
昨日に引き続き連続で来ているのだそうだ。
更衣室は一つしかないので順番に入ってサロンに着替えるのだが
サウナに隣接している更衣室もまたサウナのようだった。

ルアンのサウナは男女別に別れていたが
ここのサウナは一つしかないので混浴である。
真っ暗なサウナに3人で入り、最初は世間話をしていたが
そのうち息苦しくなって3人とも無言になった。
出たり入ったりを繰り返していると、新たにもう一人入って来た。
どうやら女性らしい。
と、思ったらさっきまで客引きをしていた奥さんだった。

奥さんもサウナが大好きらしく、ご機嫌に座っては
サウナが冷え出すと下で火をくべているご主人に向かって大声で
もっと火を強くしろ的な事を指示し、またご機嫌に座っているのであった。

1時間程サウナを楽しんで着替え、
相変わらず「マッサーは?」と誘ってくれるおばさんに
丁重な断りを述べて店を出た。

後ほど、オーストリア人にこの旨を話すと
自分も行きたかったけれど風邪気味だったから我慢したのにまったく羨ましいと
本当に悔しそうな顔をしていた。
07

01

18:47
Fri
2011

No.0566

オーストリア人

CRW_5604.jpg

宿で自転車を借りて洞窟へ行ってみた。
洞窟の入り口にある長い階段を見上げていると
こちらに手を振りながら降りてくる殿方の姿が見えた。
ひらひらと手を振りかえしていると、
その殿方は昨晩、レストランで「僕にもおすすめ教えてよ」と
言っていたあの人だった。
この先に小さい洞窟がもう一つあるから
一緒に行こうとのこと。

私が大きい洞窟を見る間、下で待っていてくれると言ったので
上に行くほど幅が狭くなる階段をびくびくしながら急いで登り、
洞窟の中を一通り見てから慌てて下へ降りた。

彼はオーストリア人で、現在はバンコクで仕事をしているとのこと。
何となく年齢不詳だけれど恐らく40代くらいのおじさんである。
彼の言う小さい洞窟は私のガイドブックにはないので
どこから手に入れた情報かは不明だが
何となく残っている踏み跡を辿りながら探し、
30分程彷徨った挙句にようやく辿り着いた。

中へ入るとさっきの大きな洞窟とは違って大分奥行きが広い。
広い空洞だけの洞窟よりも断然楽しめるもので、
真っ暗な中で岩を登ったり降りたり隙間をすり抜けて進むと
戦時中に使われていた銀行跡などがある。
と、言っても穴の中にある穴の一角なので
看板を見て初めてそれとわかる程度のものだが。
なんにせよ、日本人御用達の黄色い本にもぜひ載せて頂きたい場所である。

オーストリア人は歩いて来ていた。
ので、帰りは自転車を押しながら歩いて帰った。
もう昼になっているので背中がジリジリと熱い。
オーストリア人はおもむろに傘を出し、
「日本人は暑い時にも傘をさすんでしょ」と言った。

夜は彼の知り合いであるドイツ人の男女3人と夕飯に行くから
babarもおいでと言われたので一旦宿へ帰って休み、
夕方頃に向かいのロッジである彼の部屋へ誘いに行く約束をした。

さて、夕方になったので彼を訪ねてロッジへ行くと
彼は大歓迎の様子で「入って入って。蚊はいないからね」
と、やけに蚊を気にしていた。
何となく神経質な殿方であるなと思っていると
どうも前回ラオスに来た時、デング熱にかかったらしい。
蚊に対する警戒心はこれ故だろう。

夕食は何とインド料理だった。
彼の友人を待つ間、小さなテーブルでジュースなどを飲んでいると
隣の席にはおじいちゃんと若い男性の奇妙な2人組が座っていた。
親子かなと思いながら眺めているとドイツ人達が腹減ったと
叫びながらやって来たので大きいテーブルへと移った。

帰り際、オーストリア人は翌日の朝食も一緒にと言ったので
前回初めてあったレストランで待ち合わせにした。
何だかとっても疲れてしまい、実はこの日の夜、
宿の少年と約束をしていたのをすっかり忘れて眠ってしまった。
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